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凌霄花 《第一章 春の名残》

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〈02〉喪失



 水戸に帰って二日後の夕方、早苗は台所に居た。
本来の女の姿で、助三郎の好きな煮物を作っていた。
 ほとんどの料理は下女たちがするが、最低一品は早苗か姑の美佳が作るのが日課だった。

「早く帰ってこないかな?」

 早苗はウキウキしていた。
その晩は、水戸へ帰って来てから初めて『夫婦』として過ごせる夜だった。
 朝から上機嫌の彼女を見て、義母の美佳が言った。

「助三郎にたっぷり可愛がってもらいなさい。でも、その前に煮物を完成させないとね」  

「はい」

「味見はした?」 

「お願いできますか?」

「少し辛い。そうね、水をもう少し足せば…あら。水が無いわ」

 台所の水甕の水は底をついていた。
下女が慌てて謝りに来た。

「申し訳ございません! 今から汲んでまいります!」

 しかし、早苗は彼女に優しく言った。

「重いから、わたしがやるわ。…手伝いに来てくれるか?」

 早苗は男に姿を変えると、水汲みに精を出した。



「よし。これでいっぱいだ。義母上、終わりました」

 下女の半分の時間で仕事を終えた早苗は、満足げに言った。
美佳は彼女の労を労った。

「ありがとう、格之進」

「やっぱり、力仕事はこっちに限ります」

 そこへ若い下女が、一家の主の帰宅を知らせにやってきた。

「若奥…あ、格之進さま。旦那さまがお帰りです」

 この言葉に早苗は喜んだ。

「やっと帰ってきた!」

 そして女に戻ることを忘れ、袴で襷掛けの男の姿で助三郎を出迎えた。

「助三郎! お帰り!」

 満面の笑みで、そう声をかけると彼は少し驚いた様子だった。

「…格さん? 試合にでも勝ったのか?」

 そこではっと早苗は気付いた。

「あ。…お帰りなさいませ。助三郎さま」

 早苗は女に戻り、行儀正しく助三郎を出迎えた。
すると、彼も嬉しそうに呟いた。

「…やっぱり、そっちが良いな」



 その晩の夕餉の席は楽しく過ぎて行った。
しかし、助三郎の深刻な話題に早苗は驚いた。

「…どういうこと?」

「また、倒れたんだ…」

 それは、主光圀の話だった。
 
 その日、光圀は西山荘で仕事をしていた。
助三郎に『大日本史』編纂の詳細について説明を終えるや否や、蹲り立ち上がれなくなった。
 すぐさま医者を呼んだが、光圀はそのまま床についた。

 早苗は一部始終を聞いた後、不安そうに窺った。

「…やっぱり、病気?」

「…わからん。医者はなにも教えてくれなかった。しばらくは安静にして、周りもそっとしておけと言われた」

「…だったら、お見舞いはダメ?」

「…それはいいんじゃないか? 一度、行ったらどうだ?」

「じゃあ、明後日行ってみる」


 その晩は何事もなく、穏やかな夜が過ぎて行った。



 早苗はその日の朝、一通りすべき仕事を終えると、男に姿を変えた。
光圀を見舞いに行く予定だったが、『佐々木助三郎の妻、早苗』で行く以前に
『家来、渥美格之進』で見舞いに行かなければいけない。
 身支度を済ませた後、早苗はあることを思い立った。

 玄関を出ると、クロが走り寄って来た。
彼は元気に吠えた。

「ワンワン!」

「西山荘に櫻と行くんだ。お前も一緒に行くか?」

「ウワン!」

「…道案内? 確かに櫻には要るかもな。クロ兄ちゃんよろしく!」

「ワン!」

 早苗はクロと共に庭の隅にある馬屋へ向かった。
 そこでは白と黒の二頭の馬が仲良く飼葉を食べていた。
一頭は助三郎の馬、虎徹。もう一頭は早苗の馬。

「櫻、今日良いか?」

 首を撫でてやると、彼女は気持ち良さそうに嘶いた。

 助三郎から贈られたその白馬は雌馬。彼女は『櫻』という名前を貰った。
櫻は優しく、早苗のどちらの姿にも従順だった。

「久しぶりに乗せてくれ。 御老公に会いに西山荘までだ」

 留守が多い夫婦は馬を走らせる機会も多くは無かった。
 そこで、その日早苗は愛馬の運動不足解消と自身の鍛錬を兼ねて、乗馬を決めた。

 櫻に鞍を付け、いざ出発しようと跨った途端、さっきまで食事中だった虎徹がそわそわし始めた。
 早苗はその様子を笑った後、彼に言った。

「虎徹、心配しなくていい。すぐ戻ってくるから」
 
 しかし、黒馬は櫻の傍を離れようとしなかった。
 早苗はそれを見て、自分の白馬にこそっと耳打ちした。

「…虎徹殿は助三郎にそっくりだ。お前が居なくなるとそわそわしだす。心配症の兄ちゃんだな」

 その言葉を聞いた櫻は、虎徹に向かって小さく嘶いた。
すると虎徹は落ち着き、静かに再び飼葉を食べ始めた。
 何を伝えたのか早苗には皆目見当がつかなかったが、うらやましそうに呟いた。

「…お前たちとも話ができたらいいのにな」

 飼い犬のクロとは意思疎通ができるようになっていた。
それは彼が一度人間の男の子に変身したおかげだった。
 
「よし。櫻、ひとっ走り行こうか。クロは…走ってこい」

 早苗は馬を走らせ、クロを引き連れて西山荘に向かった。




「…誰じゃ?」

 西山荘の奥、障子が閉まった部屋の中から、光圀が聞いた。
早苗は低く、今の姿の名を名乗った。

「…渥美にございます」

「…構わん。入れ」

 早苗は主の部屋に入り、彼の容態をうかがった。

「…御老公、お加減は?」

 床に着き、お世辞にも元気だとは言えない姿に、早苗は一抹の不安を感じた。
しかし極力それを表に出さないように努めた。
 すると、弱弱しい言葉が返ってきた。

「…まずまずじゃ。それより、すまんの。仕事でもないのに格さんやらせて」

「いえ。私は御老公の家来でございます。見舞いに参上するのは当然」

「お前さんは本当に真面目じゃのう…。助三郎ももう少し見習ってほしいのう…。」

 すると、光圀は大きな溜息をつき、天井を眺めた。
しばらく静かな時が流れたが、彼はこう言った。

「…お前さんに、謝らねばならん」

 申し訳なさそうに言う主に、早苗は気まずくなった。

「…なにをでございますか?」

 恐る恐る尋ねると、彼から驚く質問が返ってきた。

「…仕事を、本当にやりたかったか?」

 突然のその言葉に早苗は言葉を失った。
黙っていると、光圀が続けた。

「…お前さんは有能じゃ、助三郎と組ませると倍以上の力になった。
…それ故、ちと側に置きすぎた。お前さんの気持ちも考えず、迷惑をかけた」

 その謝罪の言葉に早苗は反論した。

「私は、好きでこの仕事をやっております」

「…強がらずともよい」

「そのようなことは…」

 光圀は、早苗の話を聞かず、続けた。

「…とにかく、ワシが死んだら自分の意思で決めるのじゃ。仕事を続けるもよし。
止めるもよし。両立させるのもよし。わかったか?」

 突然出てきた弱気な言葉『死んだら』に、早苗は驚いた。
そして必死に訴えた。

「死ぬなどと、弱気なことをおっしゃらないでください!」

 光圀の顔は歪んでいた。
あまりに声が大きく、うるさかった様だ。

「お前さん、見舞いに来たはずじゃろ? そんなに怒鳴られては、余計におかしくなる…」

 はっとした早苗が頭を下げると光圀はぼそっと呟いた。