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凌霄花 《第一章 春の名残》

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〈03〉江戸の友



 光圀の訃報は、いち早く江戸にもたらされた。
五代将軍徳川綱吉は驚き、悼みの言葉を述べたが、彼の傍に仕えるある男は違った。
 …態度と口では同じ気持ちを表してはいたが。


 その夜彼は邸の一室で空に掛かる三日月を肴に、一人静かに祝杯をあげていた。

「…ようやく死んだ。あのうるさいジジイめ」

 手の中の盃に、細い月の姿を映し込みしばらく眺めた後、グイッとそれを干した。

「これでやっと俺の思い通りに事を動かせる…」

 再び手酌で酒を注ぐと、側用人柳沢吉保(*1)は端正な顔で静かに笑った。
 
「…手始めに殿の御機嫌取りだ」





 元禄十四年の年が明けた。
しかし喪中の水戸藩、祝い事とは無縁だった。
 佐々木家でも、それは同じ。普段通りの暮らしを送った。
 冬の寒さも大分和らいできたある日の夕暮れ時、助三郎は仕事帰りに後藤に呼び止められた。
 怒られるのではと、少しびくびくしながら神妙に彼の指示に従った。
しかし、彼の目的は叱責ではなかった。

「お前に仕事だ」

 この言葉に助三郎は、安堵と共に小さな溜息をもらした。

「なんだ、仕事か…」

「その口振りはなんだ?」

 年配の後藤はギロッと若い部下を一瞥した。
怖い上司にギョッとした助三郎だったが、怯まず彼の思うところを述べた。

「…御老公がいらっしゃらないので、気合いが出ません」

 慕っていた光圀が亡くなった事による喪失感は職場の皆が背負っていることだった。
しかし、助三郎にはさらに大きな物が有った。

「お前の不満は、渥美だろう?」

「…はい」

 早苗は光圀の死後、一度も出仕していなかった。
それ故、助三郎の眼の前で変身する事もなかった。
 親友に会えない、職場で一緒に働けない助三郎は、気合いと張り合いを失っていた。
しかし、後藤はその事よりも佐々木家の夫婦を心配していた。
 光圀から、託されてもいたからだった。

「…もう少し、女の早苗殿を可愛がってやれ」

「…はい」

 助三郎は神妙に返事をした。
その様子に、少し安堵した後藤は本題に入ることにした。

「さて、仕事だが…。お前と、渥美に出仕命令だ」

 助三郎は表情が明るくなり、飛び上らんばかりに喜んだ。

「誠でございますか!?」

 呆れ顔の後藤は釘を刺した。

「『仕事』だ。今から言う内容にも喜ぶではない。良いな?」

「…して、その内容は?」

 助三郎は身を乗り出した。





「早苗! 江戸で仕事だ!」
 
 助三郎は帰って来るなり、早苗に告げた。
嬉しそうな夫に、彼女は聞いた。

「それって、わたしも?」

「あぁ。明後日の朝出立だ」

 急な出立に、二人は大わらわで支度を始めた。
江戸へ行くのに必要な路銀、着物、薬、などなどを早苗は真面目に詰め込んでいたが、
助三郎は他所事をし始めた。
 一人で将棋の碁盤の前に座り、駒を並べたかと思うと、一人で指し始めた。
 不可解な彼に早苗は近づき、覗きこんだ。

「…ねぇ。なにしてるの?」

 助三郎は集中した様子で、碁盤から目を離さずボソッと言った。

「…練習」

 パチンと駒を盤に置く音が響いた。

「なんで?」

「…格さんに今度こそ勝ちたいから」

 意外な言葉に、早苗は噴いた。
助三郎は今まで一度たりとも早苗に勝利したことが無かった。
 妻が笑い転げる様子を不満げにちらっと見たが、すぐに将棋盤との睨めっこを始めた。
 くすくす笑いながら、早苗は彼をからかった。

「大丈夫? 勝てる?」

 すると助三郎は不機嫌そうに言った。
 
「格さんが強すぎなんだ!」

 早苗が助三郎に勝てるのは、柔術と将棋。
これだけは譲れなかった。

「フフッ。勝ち方教えてあげようか?」

 早苗は悪戯っぽく笑った。
助三郎は真剣な眼差しで、膝を進めた。

「頼む」

 そんな彼の耳元で彼女は意地悪く囁いた。

「…教えてあげない」

 逃走を図った彼女だったが、助三郎にはすぐさま捕まえられた。

「言ったな!? こいつ!」

 彼は早苗をギュッと抱きしめ、離さなかった。
そんな彼に、早苗も笑うだけで反抗はしなかった。

「なにするのよ!?」

「離してやらない!」

 …イチャイチャ夫婦の夜が過ぎて行った。





「久しぶり!」

 助三郎はしばらく振りの格之進を見た途端、満面の笑みを浮かべた。
しかし、当の本人はあっさり受け流した。

「あぁ。じゃあ、早いとこ支度しよう」

 その態度が不満な助三郎は膨れっ面になった。

「…なんだよ。久しぶりなのにその態度は」

 早苗は、遠くを見る目付きで呟いた。

「…さて、今度は何時まで持つかな?」

「…どういう意味だ?」

「分からないのか?」

 頭を捻り始めた彼の頭上から、声が聞こえた。
それはお銀だった。

「教えてあげるわ。枕抱き締めて『早苗…』って泣くのよ」

「なんだと!?」

 助三郎は怒鳴った。
しかし、そんなことで怯むお銀ではなかった。

「だって本当の事じゃない。ねぇ? 弥七さん」

 彼女の隣にはいつの間にやら弥七がいた。
彼もお銀に便乗し、助三郎をからかった。

「あぁそうさ。早苗さん一筋だからなぁ。助さんは」

 ニヤニヤする二人を見上げ、助三郎は顔を紅くして怒った。

「からかうんじゃない!」

 一方、早苗はそんな騒ぎを他所に武士の旅装の仕上げをしていた。
特に身分を隠す必要のない江戸までの旅。
 武士の格好のまま、向かうことになっていた。
 ただ、一つ不満が有った。
 
 それは腰に差した大小だった。
 引き抜いたり、差し込んだりと試行錯誤している姿に助三郎が声を掛けた。
その声は若干震えていた。

「格之進…」

「どうした? …あ」

 助三郎の視線は、早苗が触れている刀に注がれていた。

 助三郎は格之進の『刀』の名が付く物を持っている姿に、恐怖し震える。
早苗の姿で『包丁』は平気になった。
 しかし、彼の特殊な刃物恐怖症、完治してはいなかった。
 すべては、早苗が起こした自害未遂が原因だった。
 その負い目がある早苗はすぐに腰の刀を触るのを止め、助三郎を安心させようとした。
 
「これは絶対抜かないから。心配するな」

 しかし、助三郎は申し訳なさそうに頭を下げていた。

「すまん…。ほんとうに、すまん…」





 水戸を出立し、江戸の藩邸に着いた二人は、正装に身形を改め謁見の間に居た。
中々現れない藩主を待っているうち、早苗は隣の男の視線を感じた。

「…どうかしたか?」

「いや、お前裃似合うなって…」

「そうか? お前の方が何百倍も似合う男前だろ?」

 思った通りの言葉を口にした早苗の眼の前で、助三郎は大きな溜息をついた。

「…はぁ」

「なんだ?」

 助三郎は、『格之進』に失礼なことを言った。

「…早苗に言われたら嬉しいんだよ。でも、お前に言われると惨めになる」

「なんで?」

「お前の方が男前なんだよ! 女にモテるしさぁ!」

「俺は女だ! 男前でもないし、モテもしない!」

 早苗が怒鳴ったと同時に、襖が開いた。
殿さまのそばに仕える、小姓だった。