雪割草
〈69〉腰元、若菜
数日後の良く晴れた暑い日、城の奥に女中が集まっていた。
一人の新しい若様付きの腰元を家老自ら寄こしてきたと知らせを受け、奥を取り締まる女中が品定めをするように彼女に面会していた。
「名は?」
「若菜とお呼びくださいませ。」
「…若菜ねぇ。経歴は?」
「はい、水戸藩江戸屋敷で奥方さま付き取締補佐をしておりました。」
「なぜそこを辞めてこのような田舎へ?」
意地悪く鼻にかかった声で聞いた。
「家の事情で一度嫁し、職を辞しました。この国へは夫についてまいりました。ここへは御家老様に是非にと頼まれました故。」
と彼女はさらっと言ってのけると、取締りの女中は悔しそうな表情を浮かべ尋問をやめた。
「まぁ、良いわ。小夜と共に励みなさい。」
「はい。」
助三郎は相変わらずつまらない日々をもてあそんでいた。
危ないことは多々あったが、小夜が未然に防いでくれる上、自分でも対処できるものが多かった。やることがない。それが苦痛だった。
「若様、本日から小夜さまとともにお世話をいたします腰元をお連れいたしました。」
「そうか?」
女中がその新しい腰元とやらを連れてきた。
「お初にお目にかかります、若菜と申します。よろしくお願いいたします。」
「うむ。」
一人増やすって確かに言ってたが、可愛いかな?優しいかな?
小夜さんみたいな怖い娘はイヤだ。早苗だったらいいな。
もしそうだったら、この場を借りて思いきりイチャイチャしてやる。
「面を上げよ。」
「はい。若様。」
顔をあげた女を見て驚いた。
「げっ!」
期待した許嫁ではなく、彼女の親友の由紀だった。
「…若菜さん、父から何か伝言は?」
「はい。文を預かってまいりました。若様にも。」
「…なぁ、由紀さん、若菜ってなんだ?」
名が違ったので、疑問に思い聞いてみた。
「若様、渥美さまからの御伝言でございます。若菜は源氏名でございます。由紀ではございません。」
出立前、早苗にも聞かれた。
『…若菜って源氏物語の巻名だろ?』
『そうよ。女三宮が出てくる所。』
『あそこ、好きなのか?』
『名前だけね。わたしは明石の段が好きなんだけど、先輩がいたからダメだったの。』
「はぁ?」
由紀は完全に仕事の顔になっていた。
「文をどうぞ。」
手渡された文を開くと、懐かしい字が目に入った。
一枚目は角ばった男の字で、
『仕事しっかりやれ。ふざけすぎてボロを出すな。由紀を危険に晒すな。小夜さんにちょっかい掛けるな。』
と書いてあった。
格さんはやっぱり格さんだな。
二枚目を見ると、柔らかい字で、
『ご無事でお戻り下さい。クロと一緒に待っています。お体に気をつけて。』
と書いてあった。
早苗はやっぱり優しい。俺の将来の妻はあいつだけだ。
まだ一枚紙があった。
なぜか、犬の足跡が押してあった。
「…それはクロです。例の方になつかなくて毎日ほえかかって。早く帰ってきて遊んで欲しいと泣いております。」
「そうか…。」
早苗とクロが遊んでいる様子が目に浮かんだ。
格之進が机に向って日誌を書いている光景も浮かんだ。
早く帰りたい。
「読まれましたか?」
「あぁ。」
「ではお貸しください。」
「なんで?取っておく。」
「いけません、燃やしてしまわなければ。小夜さん、お願いします。」
「はい。若様、お渡しください。」
一時幸せな気分にさせてくれた文は目の前で灰になってしまった。
がっくりとうなだれた。
懐に隠し持っていた早苗からもらったお守りを取り出し、眺めた。
入れ替わった時、これだけは渡さなかった。
早苗が作ってくれたお守り。これしかあいつを感じられる物が手元にない。
会いたい…。
そんなさびしい助三郎の傍で同年代の腰元二人は意気投合したらしい。
「若菜さん、いろいろ教えて下さいね。」
「いえ、お力になれれば幸いです。」
それから数日後の昼、助三郎は書見をしていた。
しかし、国で読んだことがある物だったせいかつまらなくなり、眠気に襲われた。
最初は船を漕いでいたが、耐えきれず横になり腕を枕に居眠りに変更した。
「若様!起きてください!」
「んぁ?誰だぁ?」
「小夜にございます。何という格好で寝ているのですか?」
せっかく気持ちよく眠っていたのに、怖い声で起こされた。
「だってつまらないから…。体動かしたいなぁ。」
「ではちょうど良い。今から剣術の稽古でございます。」
「剣術?やって良いのか!?」
まだ半分寝ていた頭が冴え渡った。
「…ほぅ。町人の分際で剣が好きとは。」
「小夜さん。言い方悪すぎますよ。」
「…いい加減疲れました。まぁよろしい、早く道場へ。」
道場に向かうと偉そうな先生が待っていた。
「さあ、どこからでもかかってきなさい。」
なんとか流免許皆伝に違いない偉い先生を相手に立ち合いができるなんて貴重な経験。
腕試しにいっちょやってやるかと、思いっきり打ち込んでいった。
そのせいで、静かだった道場は阿鼻叫喚と化した。
「若様!?」
「いったいどうなされたのですか!?」
「御乱心ではあるまいな?」
剣の師匠だけはうれしそうに立ち会ってくれたが、周りでは女中が泣きだし、
暇な藩士が騒ぎ、小夜があっけにとられていた。
キリがついたところで、剣の師匠に礼を言い別れた。
「なんであんなに驚かれるのです?」
「貴方やはり武士ですね。そこまで剣術できるということは。」
「え?例のお方は?」
「…剣術がまるでダメです、だからあんなに凄まじい剣を使う貴方を見ておどろくのです。」
「そうですか…。」
その会話を聞いていた由紀は助三郎にこう告げた。
「若様、例のお方は渥美さまにも負けました。渥美さまはそれはもう驚いておりましたよ。」
しかし、格さんはもう弱くない。
俺がさんざん仕込んだ。真剣はダメだが、木刀なら其れ相応にはなったはずだ。
格さん…。一緒に稽古したい。もう脇腹治ったんだからできるはずだ。
新助は元気かな?あいつお武家の前だとやたらと緊張するから大丈夫かな?
由紀さんは…。目の前にいるのに、いつもと全然違う…。
「…なぁ、由紀さん、いつもの調子でいてくれよ。」
「若様、わたくしは若菜にございます。」
どうにかして元の由紀に戻してふざけたい。
一時でいいからあの仲間との生活に触れたい。
いい事を思いついた。
「…なぁ、小夜さんの代わりに風呂についてきてくれないか?」
毎日彼女に風呂に付いて来られ、落ち着けない。
男の風呂覗きが好きな由紀だ。乗ってくれるはず。
しかし期待は大きく外れた。
「それは小夜さんのお仕事。わたくしはこの部屋を守るお役目がございます。」
由紀は小夜がいない間に何者かが何かを仕組まれないよう、見張りをしていた。
その傍ら、女中を手なずけ、じわじわと味方を増やしていた。
こんなに仕事できる娘なら、江戸屋敷のお女中方は辞める時さぞかし残念に思っただろうな。
与兵衛さんも、よくこの仕事大好き女を口説いたもんだ。
まぁあの人、技術凄そうだからな。
やっぱり江戸に着いたら伝授してもらおう。