雪割草
〈72〉決意
早苗は、原っぱを歩いていた。
助三郎とクロと散歩に来ていた。
早苗は走り去って行ったクロを追いかけ、抱き抱え、許嫁を呼んだ。
『助三郎さま!』
『なんだ、早苗?』
『クロいたわよ!』
『そうか。早く戻ってこい!』
言われたとおり、彼に近寄ろうとしたが、なぜかすでに彼の隣は空いていなかった。
自分や、クロの代わりに見知らぬ女がいた。
すごく嬉しそうに見詰め合い笑っていて、早苗の方を見ることはなかった。
『誰なの?その子…。』
恐る恐る声を絞り出して聞いた。
『俺の嫁だ。可愛いだろ?』
衝撃を受けた。
『…わたしは?わたしじゃないの?』
お願い、冗談だって言って…。
『え?なに言ってる?格さん。』
『へ?』
『自分の姿、良く見てみろよ。』
言われて、自分の身体を見降ろした。
いつの間にか、クロはいなくなり、自分は来ていた着物が男物に変わり、手はゴツイ男の大きな手になっていた。
『…俺。…男になってる。』
『格之進。悪いが、男のお前と結婚はできない。じゃあな!』
笑顔でそういうと、隣の女と話しながら去って行った。
必死で追いかけたが、どんどん距離が開いて行った。
足がもつれて、走れない。
『待ってくれ!助三郎!俺は…俺は女だ!!』
遠ざかる助三郎の姿を眺めながら、叫んだ。
『…イヤだ、行かないでくれ、置いて行かないでくれ!助三郎!!』
夢?
あぁ…まだ夜か。
怖い…。
本当になりそうで怖い…。
はぁ…。
男の手か。
まだ戻れない。もうダメかな?
夢の中まで、男だったし…。
「大丈夫か?うなされてたみたいだが…。」
さっき夢の中で見知らぬ女とうれしそうに歩き去った許嫁は、自分に向って心配そうな顔をしてくれていた。
「なんでもない…気にするな…。」
「そうか、今度はちゃんと寝ろよ。変な夢は見るな。」
「あぁ…。」
優しい…。
これがずっと続いてほしい…。
再び、目をつぶろうとした瞬間、ふっと何かの気配がしたので部屋を見渡した。
しかし、何もいなかった。
気のせいだろうと思い、再び眠りについた。
「クロ。おいで。」
呼ぶと尻尾を振って棒切れをくわえてやってきた。
「取って来いよ。それ!」
棒を投げると、すごい速さで走って行った。
本当は、助三郎さまと、クロと三人で遊びたい。
こんな男の姿、早く捨てたい。
はぁ…。
「よう、どうした。ため息ついて。」
知らない間に、助三郎がやってきていた。
「あ。助さん…。」
「最近元気ないが、どうした?金でも足りないか?」
「…そうでもないが。」
ねぇ、気付いてるの?それとも気付いてないの?
どっち?
「…そうか。お、クロ棒取ってきたのか。えらいなぁ。もっと遊びたいのか?」
「ワンワン!」
久しぶりに三人そろったのがうれしいらしく、黒い仔犬は大喜びだった。
「よし、引っ張り合いっこしよう。」
「ガゥガゥ。」
「その声はダメだ。怖い仔犬は早苗に嫌われるぞ。」
「ワン。」
『早苗』ってそういえば、全然呼ばれてない。
このまま行くと、一生『格さん』か『格之進』かな。
怖い…。
いたたまれなくなり、その場を去ることに決めた。
「じゃあ、二人で遊んでてくれ。俺は、用事思い出した。」
「そうか。クロ、俺が遊んでやる。ヘトヘトになるまで強い犬になるための特訓だぞ。いいか?」
「ワン!」
光圀に打ち明けて、助三郎には自分から言うと約束したにも関わらず、しばらく決心ができないでいた。
父上への文は早飛脚で送ったからそろそろ水戸に届いたはず。
返事はいつかな。
怖いような、待ち遠しいような…。
でも、あの人に言わないと。
でも、何時どうやって言おう。
なんて切り出そう。
そうこうして悩みぬいて時間が過ぎて行った。
一向に戻る気配もなければ、文が来る様子もなかった。
精神的に疲れている早苗の為に、旅の速度も落とした。
そんなある晩、打ち明ける良い機会ができた。
助三郎が飲み会に誘ってきた。
「格さん、男だけで飲み会やらないか?」
「あぁ…。」
男の格之進に対する誘いなら受けられる。
それだけが唯一の救いだった。
用意をする助三郎の裏で、早苗は新助に相談した。
「…今晩、言おうと思うんだが。」
「良い機会だと思います。でも、心配しないで、大丈夫です。助さんは悪い人じゃありません。絶対助けてくれます。」
「そうかな?」
「はい。大切な許嫁と友達のことです。信じて、自信を持って!」
「わかった。ありがとな。」
それとなく新助が光圀に早苗が決心したことを告げると、光圀と弥七は自主的に飲み会不参加を決めた。
同じように棄権するつもりだった新助だったが、ぎりぎりまで早苗の様子を見守れとの任が下った。
「最近なんか旅の速度落ちてるよな。何でだろうな。」
「さぁ、雨が多いからじゃないですかね?」
「まぁ、いいや。飲もう!」
早苗は、飲む気分ではなかったが、酔っ払ってイヤなことを忘れたかった。
しかし、これからの心配事と酒が無駄に強いせいか酔わなかった。
酒の席で打ち明けるのもどうかと思ったが、本音が聞きたかった。
泥酔にならない程度に酔っ払っえば、本音が出てくる。建前だけは聞きたくない。
ちょうど良いころ合いを見計らって、新助が席を外してくれた。
「おいら、お先に失礼します。眠くなっちゃって…。」
「おう、おやすみ!」
「おやすみなさい。…格さん、大丈夫ですよ。頑張ってくださいね。」
「…あぁ。ありがとう、新助。」
弱いくせに飲むのが好きな助三郎は、まだ大丈夫らしかった。
「お前はもちろん、大丈夫だよな?」
「あぁ、あのな、助さん。話がある。」
「なんだ?」
怖かったが、思い切って口を開いた。
「実は、なぜか理由は分からんが、早苗に戻れない…。」
「そうか。」
あっさりした返事が返ってきた。
「…ごめんな。黙ってて、せっかく誘ってくれたのに。」
案外平気みたい。よかった…。
「まあ、気にするな。戻れないって言っても、まだここ二三日だろ?そんなに心配するな。」
…え?
気づいてなかった。
やっぱり鈍感だった。
言わないと。
もっと前からだって。かなり長くなってるって。
「いや、あの…。」
しかし早苗が言い出す前に、彼はおもしろそうに話し始めた。
「でもさぁお前、最近ほんと男っぽくなって来たよな。もう俺より体格良いんじゃないか?
だからな、もうそのままで抱きしめるのはよしてくれよ。苦しくてかなわんし、人に見られたら恥ずかしい。な?ハハハ。」
…抱きしめるな?、恥ずかしい?
「まぁ、これはもしもの話だが、お前が女に戻れなくなったのなら困りものだよな。
男のままになったら俺と結婚出来なくなる。」
…結婚、できない?
「もし、お前と結婚できなくなったら、相手誰にしようか?
元のお前よりも可愛い娘探さないとな。ハハハ!そこらじゅうにいっぱいいるなぁ。
よりどりみどりで迷うなぁ。」
…わたしは、やっぱり、可愛くなんかない。新しい、相手、よりどり、みどり。