雪割草
〈78〉楽な場所へ…
次の日の晩、早苗は出来上がった着物を、風呂敷包みの中から取り出した。
一日で仕上げろと無茶を言ったにも関わらず、きれいな出来栄えだった。
その着物に袖を通してみた。
ぴったり。
腕が良い仕立て屋さん。今夜一回しか着ないから、雑でもよかったのに。
でも、うれしい。
感謝しながら、着物を着た。
知らないうちに、人でない物達が周りに集まってきていた。
自分を出迎えるためと称し、ものすごい人数だった。
ねぇ、似合う?
『 アァ ニアウ キレイダ 』
ありがとう。
『 ダガ マダ ウツクシク ナイ アレガ タリナイ 』
わかってる。これからやるから。そしたら、俺をつれていってくれるんだよな?
『 ソウダ ワカッテル ジャナイカ 』
楽しみにしてる。
『 ワレラ モ タノシミ ダ オマエガ ナカマニ ナル 』
皆うれしそうに不気味な笑顔を浮かべていた。
…あと少し、あと少し。
これで俺は解放される。
やっと楽になれる。
あの人のこと忘れられる。
何も考えないですむ。
みんな幸せになる。
おろし立ての着物の上にいつもの着物を着て、部屋を出た。
蒸し暑かったが、早苗はなにも感じられなかった。
まず由紀の所へ向かった。
寝る支度をしていたが、声をかけた。
お銀の姿はなかった。ちょうどいい。
「ちょっといいか?」
「いいわよ。今夜は気分よさそうね。良かった…。」
正面に座り、由紀を見た。
やっぱり、綺麗。与兵衛さんが好いてくれるはず。
うらやましい…。
「言っておくことがある。黙って聞いててくれ。これから助さんに話をつけてくる。」
「なんの?」
「…俺に二度と近づくなって。」
「だから戻れるって言ってるでしょ?まだあきらめたら…。」
「お願いだ、黙っててくれ…。これ以上俺はここにいられない。あいつは俺が嫌いだ。
男なのに中身がまだ女の俺が気持ち悪くて大嫌いだ。なのに無理して近づいてくる。
聞いただろ?おとといの泣き声…。気がおかしくなったんだ。俺のせいだ。」
「そうじゃない!早苗が好きで、元に戻ってほしいから…。」
「いいや、俺はいらない人間なんだ。とにかく、これから諦めさせに行ってくる。こんな嫌われ者いないほうがいいからな。だろ?由紀にも迷惑かけてる。」
「早苗、もしかして…!?」
由紀は早苗が中に着込んでいる物、懐に入れてある物に気付いた。
仲間内でまさかないだろうと噂していたが、予想に反してこれから起こってしまう。
止めないと!
「…これでおわかれ。こんな忌まわしい姿だから、由紀の友達でもいられなくなっちゃった。いろいろ迷惑掛けてごめんね。大好きな与兵衛さまと仲良くね。
赤ちゃんできたらかわいがってね。今までありがとね。
…でもわたしのことは永遠に忘れて。二度と思い出さないで。」
「そんなこと言わないで!だめよ!絶対に行かせない!」
身体を張って早苗を止めにかかった。
早苗は彼女にしがみつかれ、一瞬怯んだ。
軽く振りきれるが、そんなことしても追いかけてくる。
仕方がない。
「ごめん!由紀。」
「…うっ。」
鳩尾に一発打ち込み、気絶させた。
「すまんな…止められるわけにはいかない。…さようなら、わたしの一番のお友達。」
親友をそっとその場に寝かせ、部屋を後にした。
外はもっと暗くなり、空気はどんよりとしていた。
助三郎の居る部屋に行く途中、新助に呼び止められた。
朝から怪しい早苗の様子をずっと伺っていた。
「…格さん、どこ行くんですか?」
「あいつの所だ。」
「話し合うんですか?」
「いいや。そんなことする必要はない。俺は今日みんなの前から去る。」
「…何言ってるんですか?」
「…今までありがとな。新助がいておもしろかった。
でも俺の事は記憶から消し去ってくれ。こんな生き恥晒したみっともないやつ。」
「やめてください!そんな言葉聞きたくない!格さんはいなくなったらダメです!」
何時になく深刻な表情だった。
「…退いてくれ。行かないと。」
押し切って、立ち去ろうとしたが止められた。
「…早苗さん!」
とうとう「格さん」と呼ばなくなった。
「早苗じゃない!」
「…絶対に戻れます。落ち着いて、穏やかな気持ちになれば絶対に戻れます!
今は本当の格さんでも早苗さんでもない!心が疲れきってる。おかしくなってる。
休めば良いじゃないですか…。休んで焦らず戻れるまで待ちましょう!早苗さん!」
「…もう無理なの。わかるでしょ?皆に迷惑かけてる。わたしはいない方が良いの。
誰もこんな人間要らない。中途半端な死に損ない…必要じゃないの。わたしは嫌われ者。
気持ち悪い人間。」
「そんなことありません!みんな大好きです。中でも助さんが。言ってましたよ、早苗さんが大好きだって。」
一瞬早苗の脳裏に笑顔の助三郎が浮かんだ。
しかし、すぐに打ち消した。
「…それはウソ。真っ赤なウソ。早苗なんか好きじゃなかった。格之進も大嫌いなの。」
「そうじゃありません!落ち着いてください!」
「…優しいね新助さん。昔、女だった時、優しいあの人が好きだった…。
でもそれは幻だった、全部夢だった。わたしの妄想だった。
…いい娘が新助さんにはきっと見つかるわ。じゃあ。さようなら。」
「待って下さい。ダメです!行ったらダメ!」
「すまん!」
「え?」
ありったけの力で、引き留めようとした新助にも一発撃ち込み、気絶させた。
「…ほんとにごめんなさい。新助さん。」
離れた部屋で一人考え事をしていた光圀のもとへ弥七とお銀ががやってきた。
「弥七、早苗はどうだ?」
「やはり、ご隠居の思ったとおり危ないですぜ。由紀さんも新助も足手まといにならない様にして、助さんの所へいきやした。」
「…万が一の為に見張ってくれ。」
「へぃ。」
そういうと弥七は姿を消した。
すぐさま、お銀も後を追おうとしたが主に止められた。
「お銀、行くでない!お前さんは由紀と新助を介抱しなさい。」
しかし、お銀は不安と不満でいっぱいだった。
「本当に、早苗さん大丈夫なんですか!?万が一って、本当に大丈夫なんですか!?」
声を荒げるお銀に光圀は言った。
「…助さん次第じゃ。大切なものを取り戻せるか、それとも永遠に失うか。それくらいの気概でいかないと早苗は本当に消えてなくなる。身も心もな。」
その時、助三郎はぼーっとしていた。
光圀の言葉が引っかかっていた。
早苗を忘れろ、違う女を探せ。
無理にきまってる…。
いくら主の命令でも、藩命だとしてもそんなことできない。
早苗を見捨てるなんてできない。
ふっと人の気配がした。
「…話がある。」
とついたての向こうから声がかけられた。
「なんだ?」
久しぶりに早苗自ら近寄って来てくれた。
少しは俺の気持ち通じたかな?
ちゃんと話し合って、元の関係に戻りたい。
早苗は無理でも優しい格さんの声が聞きたい。
名前を呼んでもらいたい。
傍に行こうとしたとたん、拒まれた。
「…そっちで聞いててくれ。近くに寄られたくない…。」