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凌霄花 《第二章 松帆の浦…》

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〈04〉慣れとは



 早苗が水戸から帰ってきて数日後の朝早く、助三郎は町人姿で歩いていた。
ばしゃっと盛大な音を立てた後、彼は悪態をついた。

「だから雨は嫌いなんだよ……」

 うっかり水溜りに足を突っ込み、ずぶぬれ。
足袋に雨水が染込み、彼は不快感をあらわにした。
 しかし彼は歩き続けた。待ち合わせに、遅れてしまう。
 
 いくつかの大きな水溜りを避けながら、ようやく待ち合わせの場所に到着した。
しょっぱりを戻し、塗れた足を拭こうとすると、隣に待ち合わせの相手が立っていた。

「水溜りにはまったんですか?」

「あ、新助。待ったか?」

 助三郎は手早く足を拭うと、手ぬぐいを懐に入れ、彼に笑いかけた。
 
「いいえ。さっき来たばかりです。そうだ。こちらが今回お世話になる親方です」

 彼の隣には恰幅の良い中年の男がいた。
半被を身に纏い、鉢巻を締めた姿は典型的な職人だった。
 助三郎は新助の伝で、彼に接触することができた。
これも、密命のひとつ。

「おう。兄ちゃん、よろしくな。人手が足りなくってよ。たのむぜ」

 親方は二人を引きつれ歩き出した。
 彼は庭師。ある屋敷に出入りができる。それが彼に近づきたい理由だった。
 
「新助。大丈夫だよな?」

「はい。仕事さえちゃんとすれば何も言わない人なんで」

 二人は庭師として、屋敷に潜入することができた。
 
 
 
 
 
 屋敷の大きな庭の木を切りながら、彼は屋敷に眼をやった。
庭に面する座敷では、運よく顔が知りたいもう一人の人物がやってきていた。
 この好機を逃すまいと、彼は黙々と剪定をする不利をしながら、必死に眼を凝らした。
 

「そこを、何とか……」

 白髪の老人が、彼よりも若い男に頭を下げていた。
しかし、その男は不満げな顔。

「そう申されましても…… 吉良殿、貴方の知識と経験が必要なのですよ」

「このような老人、もはや何の役にも立ちませぬ。隠居の願い、聞き届けてはくれませぬか?」

 吉良上野介義央。
彼は権勢を振るう側用人、柳沢吉保の屋敷に来て彼に言上していた。


「どうしても、隠居と申されますか?」

 手に持った扇子を弄りながら、吉保は溜息をついた。
 
「はい……」

 上野介は深々と頭を下げる。
彼に見えないのをいいことに、さも見下げたような表情を浮かべた後、彼は言った。
 
「再び、上様にお伺いしておきましょう」

 感情がまったくこもってない一言だったが、吉良は手放しで喜んだ。

「ありがとうございます! お願い申し上げます!」





「……助さん、どうです?」

 下で伐った木々の片づけをしていた新助が助三郎にこそっと聞いた。
 
「……吉良様と柳沢様、しかと見た」

 そういう助三郎の眼は吉保を睨んでいた。
彼の思う事件の原因。それは吉良の浅野虐めではなく、柳沢吉保。
 彼が一方的な沙汰を下したことで、浅野巧みの紙は切腹、自分は妻とともに密命をこなす日々。
安穏な日々は到底やっては来ない。
 彼を心配して、新助は声をかけた。

「……姿だけで良いんで?」

「……あぁ。内容は、そのうち弥七が持ってくる」

 その時、親方から怒鳴り声が上がった。
男二人の作業をする手はいつしか止まっていた。

「ぼんやりしてんじゃねぇぞ! 手動かせ! 手!」

「はい!」

 驚いた二人は仕事に戻った。





 彼から見えない場所、聞こえない場所で先ほどの二人はそれぞれ言いたいことを言っていた。
上野介が退出した座敷では、吉保がにやりと笑った。
 傍には、影で使う忍びが控えていた。
 
「……なにが隠居だ。 させてもいいが、そうやすやすと許す俺と思ってるのか?」

 そして彼は目の前においてある、『贈り物』に手を触れた。

「本当にいい鴨だ」

 彼のところには多くの人がやってくる。
皆己の願いをかなえるため、吉保に贈り物をし袖の下を渡した。
 彼はそれを快く受け取り、時に願いをかなえてやり、時に無碍に斬り捨てた。

 上野介はいい鴨だった。
しばしば彼を訪ね、隠居願いをし、そのたびにお礼を置いていく。
 
「そういえば、あの爺の屋敷はどこだったか?」

 彼は忍びの者に聞いた。

「はっ。呉服橋門内(*1)にございます」

「では、そろそろ、退いてもらおうか」

 扇子をぱちんと閉じ、彼はにやりとした。
すべては自分の手の内にあるといわんばかりに……




 一方、吉良は……
 
「成り上がりの若造になぜ媚びへつらわんといかん?」

 苦虫を噛み潰した顔で彼は不満タラタラ。

「しかし、早く隠居の許可を貰わねばならん。一刻も早く……」
 
 イライラを深呼吸で一旦収め、彼は帰宅した。

 なぜ彼が隠居をしたいのか?
 それは、周囲の眼から逃げたいが為。
 彼はあの事件で傷を負いはしたが命を取り留めた。しかし、評判はガタ落ち。
 無理もなかった。
 喧嘩両成敗にもかかわらず、彼だけは何のお咎めもなかったばかりか、褒美までもらっていた。
 さらに、過去に勅旨饗応役を経験し、彼に教えを請うた際、イヤミを言われたり苛められた皆が影で悪口を言っていた。
 
 肩身の狭い思いをする彼だったが、己の今までの言動を改めることなどはしない。

「これもなにも、あれのせいだ……」

 彼は己の額に手をやり、傷に触れた。
その傷をつけた本人を恨んでいた。

「田舎侍が……」
 
 しかし、彼は心の隅で、その田舎侍が遺した物を恐れた。
 残された赤穂の浪人たち。そしてその者たちの『復讐』だった。




「……ということは、助三郎さまはみんな顔解るってことになるの?」

 早苗は畳みにうつ伏せになっている夫の腰を揉みながら聞いた。

「まぁな……」

 彼らがどういう人間なのか、彼女は興味を抱いた。

「……吉良さまは意地悪そうな顔してた?」

「いや、思ったより貧相な爺さ…… あぅ!」

 気持ち良さそうに眼を瞑っていた助三郎が突然うめき声を上げた。
はっとした早苗は手を止めて夫の顔を覗き込んだ。

「ごめんなさい。大丈夫?」

 助三郎は笑って妻を安心させた。

「いや、さっきのは効いた……」

 すると隣の部屋からもっと惨めな男のうめき声が上がった。
それを叱咤する声も。

「もう、慣れない事するから!」

「お孝ちゃん、痛いんだって……」

 新助の家で、男二人はへたっていた。
その日一日こなした庭師の仕事で、彼らは足やら腰やらをやられた。
 それを互いの相手に、治療してもらっている真っ最中。

「だったら、お灸にする? それとも鍼?」

 お孝は若干呆れ顔でそう聞いた。
すると、新助は俯いた。

「……どっちもいやだ」

 助三郎は彼を笑った。
彼のほうが日ごろ鍛えているので、被害も少なかった。

「新助、泣きごといってないで全部やってもらえ! あ、早苗。悪いがもう少し強く出来るか?」

「わかった。ちょっと待ってて」




 いつしか助三郎は気分が良くなり、眠くなり始めた。  
妻の腕は、それくらい彼を心地よくさせていた。

「気持ちいいな……」

 しかし、耳に入った声で目が覚めた。

「……効いてるみたいだな」