金銀花
《13》香代との再会
千鶴が男になってから、助三郎はほぼ毎晩早苗の腕の中で泣いた。
早苗は、そんな彼をただ慰めることしかできなかった。
ある晩、助三郎は格之進を呼び出した。
早苗は男に変わり、夫の前に座った。
すると、助三郎は笑って言った。
「格さん。朝まで飲もう」
「朝までって、お前が潰れるのが先だろ?」
「そんなことない。いいから、飲もう」
少し酒が進んでから早苗は聞いた。
酒の席では完全に早苗は早苗、格之進は格之進。
そういう決まり事になっていた。
「……で、なんで俺を呼んだ? 今日は姉貴はいいのか?」
「……さすがに悪いからな。毎晩泣いてばっかで、あいつの大事な着物が色あせちまう」
早苗は明るい気分にさせるため、助三郎をからかった。
「さてはそんなに物が悪いのを着せてるのか?」
「酷いこと言うな。確かにあんまり買ってはやらないけど、この前綺麗な反物贈ったんだ。まだ仕立ててないけどな」
「ほぅ。お前にしてはやるな」
「あれを着たらめちゃくちゃ奇麗だぞ。お前に見せてやりたいな」
ノロケを言われ、早苗は恥ずかしくなった。
ただ一言だけ、眼をそらして返した。
「あ、そう……」
すると助三郎はニヤリとしてこう言った。
「……やっぱり女に興味がないか?」
そんな彼と同じように早苗はニヤリとし、こう返した。
「いや、美帆には物凄く興味がある」
「…………」
たわいもない話をして笑い合っていたが、酒がまわると助三郎はダメだった。
どんどん暗くなっていった。
「格さん。俺、兄貴失格だよな?」
「なんでそういうこと言う?」
「……ふざけて、妹を弟に変えちまった。たった一人の妹だったのに。弟になっちまった」
「もう諦めろ。千鶴は血の繋がった本物の弟だ。それでいいだろ?」
「……いいや、弟は義弟のお前で十分だったんだ。高望みし過ぎたんだ。俺には、妹だけでよかったんだ」
そういうと、泣きだした。
「おい、泣くなよ。今日は泣かないつもりじゃなかったのか?」
「格さんならいいと思ったのに。やっぱりダメだ…… 早苗……」
そう言って、縋りついてわんわん泣き始めた。
男が男にそんなことしている光景はみっともないので、早苗は女に戻った。
そしていつもどおり抱き締め、慰めた。
「……助三郎さま。もう泣かないで。泣いても何も変わらないわ」
「俺のせいだ…… 妹の人生を奪っちまった……」
一方千鶴は謹慎処分で、屋敷の外からは一歩も出られなかった。
しかし、千鶴はどうしても香代に逢いたかった。
『ずっと逢える』と約束しておきながら、守れていない。
何度も抜け出そうとしたが、毎回弥七に見つかり連れ戻された。
考えた末に、文をしたためることにした。男になってから初めての文は自ずと恋文になっていた。
逢いたい気持ちを込め、クロに託した。
今か今かと返事を待つと、その日の夕方返ってきた。
そこに記された香代の言葉からも、千鶴と同じ気持ちが見てとれた。
千鶴は意を決し、どこどこで何時に待つと記した紙切れを、再びクロに託した。
その約束の日、家を抜け出し香代との待ち合わせ場所に向かった。
いつも捕まっていたにもかかわらず、すんなりと抜け出せたことに驚いたが、深くは考えなかった。
それは、助三郎と早苗の賭けだった。
千鶴と香代が一時の気の迷いで一緒に居ただけなのか、本当に惹かれあっているのか確認をしたかった。
もしも前者ならば、問答無用で千鶴を世間から隔離し、女に戻す手立てをなにがなんでも探す。
逆に本当に互いに求め合い愛し合うのならば、考える余地を残す。美佳の助言の末の決断だった。
香代への密書は弥七が予め察知し、水野家には当主と下男の出向を依頼した。
千鶴と香代の待ち合わせ場所は、佐々木家、水野家両方の者に囲まれることとなった。
待ち合わせの場所についた千鶴は、香代を見て顔を綻ばせた。
「香代!」
名を呼ばれた香代も、喜んだ。
「千鶴! 今までどうしてたの? 逢いたかったのよ……」
「だから、逢いにきたんだ。俺もずっと会いたかった……」
二人の手が触れようとした矢先、お銀と弥七が間に割って入った。
「残念だけど、香代さん。近づいてはダメよ」
「お銀さん? なんで!?」
一方、弥七は千鶴を眼で制した。
「千鶴さん、外出禁止なはずですぜ」
「弥七さん!?」
「帰りますぜ。さあ」
「イヤだ…… 帰らない!」
千鶴は弥七の前から逃げ出し、お銀を交わし、香代の手を掴んだ。
「香代、行くぞ!」
「行くって、どこ行くの?」
「水戸には居られない。国を出よう。そうすれば一緒になれる!」
「嬉しい!」
二人で逃避行のつもりだったが、すぐに阻止された。
逃げた先には佐々木家の面々が立っていた。
助三郎は千鶴に向い怒鳴った。
「駆け落ちなんてバカな考えはやめるんだ!」
しかし、当の本人はそんなことは聞いていなかった。
「くそっ。香代、あっちだ!」
突破は不可能と判断し、違う方向に逃げだした。
しかし、その方向には水野家の面々が。
「香代! 無駄なことはやめなさい!」
「父上!?」
二方向から挟まれ、千鶴と香代は焦った。
それを見た、助三郎が命を下した。
「今だ!」
香代は千鶴と引き離され、お銀と水野家の下男数人に囲まれた。
いつもおとなしい香代も、さすがに我慢ならず必死に逃げようとした。
「家になんか帰らないわ! 千鶴と一緒に行くの!」
お銀はそんな香代をなだめた。
「香代さん我慢して。そんなこと無理よ」
「イヤ! 千鶴と一緒じゃなきゃイヤ!」
激しくわめく香代をお銀は睨みつけバシッと言った。
「静かにしなさい! 帰るの!」
お銀に怒られ、下男達になだめすかされ、香代はしぶしぶ家に連行されていった。
一方、千鶴は佐々木家の下男たちに力で取り押さえられた。
作戦の時点で、元お嬢様をそんな風にできないと、下男たちは渋った。
彼らを助三郎は叱り、もう女ではない、慈悲は要らんと冷徹に言い放った。
そんな夫を、早苗は黙って見ていた。
泣き顔を早苗の前でしか見せられない。一家の主、佐々木家当主の重みを背負う夫を何も言わずに見守った。
千鶴は男たちに押さえつけられながらも力任せに暴れた。
「香代! 行くな! 香代!」
あまりに凄まじく暴れ、下男たちの手を煩わせた。
とうとう兄助三郎が怒鳴りつけた。
「黙れ! 騒ぐんじゃない!」
すると、千鶴はすぐに暴れるのを止め、じっと助三郎を見上げて聞いた。
「……兄上。なぜですか? なぜ香代と会ってはいけないのですか?」
助三郎は返事をしなかった。
その代り視線を弟からそらし、下男たちに下知した。
「……家の蔵に押し込めて見張っておけ。いいな?」
「はい」
下男数人に連行されながら千鶴は喚いた。
「なぜ無視するのですか!? 兄上!」
助三郎は呼ばれたが、一度も彼を振り向きはしなかった。
その場には助三郎、早苗、香代の父だけが残っていた。