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猛獣の飼い方

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15.めぐり巡って、僕を知る





ホワイトソースに、ほうれん草とベーコン。
ぐつぐつとフライパンで煮え立つパスタソースが、美味そうになればなるほど、臨也の機嫌は急降下していった。

「…なに、シズちゃん意外と料理出来るじゃん。ムカつく」

「あ?てか、なんでこんな深夜にパスタ茹でなきゃなんねーんだよ」

「俺は、シズちゃんの健康を考えてあげてるんだよ。飼い主としてね」

「さりげなく逆転させてんじゃねぇーー!!!」

肩に乗せた臨也が、不機嫌そうに文句を言い続けてしばらく経つ。
俺としては、言われるがままに作ったら中々の出来になったのだから、教え方がいいんじゃねーかと思うんだけど、ここまで文句を言われて素直にそれを言う気には到底なれない。てか、コイツの外見が猫じゃなかったら絶対ブチ切れてる自信があるんだけどよぉ。ああ、ったく。どんな姿だって臨也は臨也だ。人の感情を逆撫でるのが異様に巧くて、油断するとどこまでも掻き乱して去っていく。分かっていたハズなのに、なんでコイツと一緒にいるのか。いくら猫だからって、それだけじゃ我ながら納得いかない。

「……パスタ、そろそろいいんじゃない?」

「ん」

ザルに上げて、それから一気にソースにブチ込めば「適当なんだから」と、溜息混じりに聞こえてきた。
でも、声に刺がない台詞は、意外と悪いものではなかった。

「美味きゃいいんだよ」

「どうだろ。見た目だけなんじゃないの〜?」

「ンな事ねぇよ。テメェが教えた通りに作ったんだ」

「………シズちゃんってさぁ」

「あ?」

「―――別に、何でもない」

そっぽを向いたくせに、ちょっと寝かせた耳と、わざとらしく振られる尻尾は丸わかりだ。
人間の時は、滅多に感情を表に出さないで、楽しい時も、つまらない時も、怒っている時も笑っているようなヤツが、猫になっただけでこうまで分かりやすくなる。あの変わらない「笑顔」が、俺は胡散臭くて嫌いだった。誰も見抜かないだろうと言いたげな、見下しの笑顔。今思い出しても腹が立つ。


「…? これ、シズちゃんのお腹の音?」

「――腹減ってんだよ。メシにしようぜ」

人間不思議と、怒ると腹が減る。
なんでだろうな?よくわかんねぇけど。

「そうだねぇ。シズちゃん、俺にもさっきの金缶あけて」

ぺしぺしと頬を叩いてくる手が、ふにふにしててくすぐったい。
笑うのを堪えながら、放置していたビニール袋から一個250円という贅沢過ぎる品を取り出した。

「…猫のくせに、俺のカップ麺2食分かよ」

「猫でも俺だもん。仕方ないんじゃないかな?むしろ、ものすっごく譲歩してる方だよ。偉くない?」

「偉くねぇよ。しかも皿に開けなきゃ食わないとか、すげぇ我儘だぞお前。近所のノラを見習え」

「俺は今は猫でも、きちんと人間なんですー!って、何…?この、匂い…?」

くんっ、と鼻を動かした臨也にさっきスーパーで買った小袋を持っていた手を止める。
「猫のストレス解消グッツ」というキャッチフレーズのこれは、餌に振りかけたりして食べるものらしいとパッケージにはあるんだが…。なんだ、この反応?なんかヤベぇのか。いや、でもスーパーで売ってるんだしなぁ。

「別に、そこまで変な匂いでもねぇと思うけど」

粉末になっている中身を手のひらにあけ、俺も匂いを確かめてみる。
決して良い匂い、というわけではないが、ここまで過敏に反応するモノでもない、と思う。

ほら、平気だろ?と、臨也の顔の前まで手を持っていくと、ビクリと跳ねた身体が床に落ちた。
スーパーまでの道のりでも文句を言いつつ、俺の肩の上でバランスを崩す事なんて決してしなかったコイツが。

「おいっ、大丈夫か?!」

慌てて身体を持ち上げれば、それは"猫だから"という理由では説明出来ないくらい、脱力してふにゃふにゃになりきっていた。

「……臨也?」

「シズちゃ…それ、またたび…だ、よ」

ふにゃふにゃの臨也を揺すってみると、辛うじてそんな言葉が聞けた。
が、俺の手にあった"またたびの粉"をより深く吸いこんでしまったらしい臨也は、それからはもう――凄かった。










ザリッ、ザリッと、この10数分で聞き慣れてしまった音が耳に響く。


「ンぁ、しずちゃん…いー匂い」

ペロリと口周りを舌で拭った臨也が、再び俺の手を舐める作業を再開させる。
臨也の目は、とろんとしていて――むしろとろけきっているようで――なんだか居心地が悪い。

「って、噛むな。バカ!…ほら、もういいだろ」

先程まで多少の粉が付いていた手は、臨也によって綺麗に舐め取られてしまった。もういいだろうという言葉に偽りはなかったが、なんだかこのままだと良くない気が、とてもするのだ。

「やーだ。シズちゃん、おいしー。ふふっ、ねーねー。もっと…ねー、しずちゃん」

「ちょ…待て、って…!もう、またたびはねーよ!正気に戻れって…っ、舐めんな!バカ臨也!」

ざりざりとした舌が、無遠慮に人の頬を舐め、柔らかい部分に噛みついてくる。
今では完全にコイツに乗り上げられる形になっているんだが、どうにもふにふにしきった身体を邪険にするのが戸惑われる。

それでも、引きはがそうと伸ばした手を、臨也はやはりペロリと舐めた。
特に指が気に入っているようで、柔らかい毛並みの腕を二本とも絡みつかせ舌を伸ばしてくる。

「いーざーや!」

「んー。なーに?ふふっ、ふふふふ…」

ぺろり。

「っ…?!」

「しずちゃん、うるさーい!ふふっ、もっかい、ちゅーする?」

臨也は、俺の返事を待つ事なく、もう一度舌で俺の唇を舐めた。
今度は一瞬ではなく、指を舐めていた時のようにねちっこく舐められ続けている。

「っ…!やめろ、バカ!!」

歯まで舐められ、ようやく俺は正気に戻る事が出来た。
今度こそ容赦なく臨也の身体を引き剥がす。

つーかコイツ、本気でタチが悪い。酒に酔ってもこうなのか?
臨也と飲むなんて今まででは考えられなかった事だが、こんな状況に陥ってしまっては想像だってしてしまう。我を忘れる程に飲んで、俺の知らないヤツとこうやってベタベタする臨也を。

「……………面白くねぇ」

「んー?しずちゃん?」

「テメェ、誰にでもこんな事するのかよ」

想像だけで、腸が煮えくり返りそうになるなんて、思わなかった。
でも、これが事実だ。コイツが、誰かにこうして擦り寄る姿が、俺には耐えがたい、らしい。

おかしい、これは――本当に、おかしい。
これじゃあ、まるで俺が――



「まさかぁ。するわけないじゃん、しずちゃんだけだよ」

「……なん、で?」

「しずちゃん すきだもん」
作品名:猛獣の飼い方 作家名:サキ