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氷花の指輪

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1.月夜の契約



偉大なる最後の王、キングバブーンの死後、
皆が王国の永遠の栄光を夢見るからこそ起きた激しい争いの中、
敵対し、共に禁呪に手を染め、国を滅ぼした愚かな王子と王女がいた。

その禁呪とは、死霊術。
戦力も資源も、そして進む気力も戻る勇気も…。
何もかもが不足する中、
無残に死んでいった仲間の霊魂だけが無数に漂う王城で…。
二人が死霊術に魅せられたのは、必然だったのかもしれない。

中途半端な知識で扱った死霊術は暴走し、
二人ともども、国民が皆、死霊と化し、災厄を広めた。
古の時代から続いた王国は一夜で消滅したのだ。

---

かつての繁栄は見る影もなく、
風化し、崩れ落ち、むき出しになった岩肌が
滅亡という悲劇の余韻を未だに見せつける。

この暗い洞窟の中に漂って、もう何百年が過ぎただろう。
ニコラスは、あの日からずっとこの場所に縛られている。
この無残な有様を、王国の風化を見守り続けるのが、
この惨事を引き起こした自分の、
蜘蛛王国の王子の役目だと思っていたのかもしれない。

感情も風化する。
あんなに強かった恨めしさも薄まり、後悔すらも空しくなった頃だった。
洞窟の中にもかかわらず、いつの間にか天上が崩れ落ち、
空が見渡せるようになったかつての広場の跡地。
彼は月夜に舞うキノコの胞子をなんとなく見上げていた。

――― 話に聞いた「雪」とはこういうものだろうか…。

もう何度目になるかわからない疑問を頭の中に浮かべた。
もちろん答えなど求めておらず、雪を見たいなどと思っていたわけではなかった。
洞窟の中をあの時の姿のままの思念体として彷徨い、月夜に広場で空を見上げる。
それが何の意味も持たない、どうでもいい習慣だっただけだ。

――― 風?

彼は残された知覚で、風を認識する。
キノコの胞子がさわさわと宙を流れるように揺れる。

「こんな月夜には、雪はもっともっとキラキラ輝くものよ。」

凛と涼やかな声がして、
何百年と続いた静寂に唐突に終止符が打たれた。
いつの間にか洞窟の中には、一人の少女が立っていた。
夜風にさらさらと流れるのは蜘蛛の糸のように繊細で、真っ白に輝く長い髪。
その白さが対照的な黒い肌に映え、吸い込まれるような美しさだった。

――― 美しい。

消えかけていた感情がよみがえり、
最初に湧き上がったのが、美への賛美だった。
そして同時に、真っ暗闇の中に小さな蛍を見つけたような安らぎと不安を感じた。

黒妖精の少女だろうか。
黒妖精の中には死霊と通じあえる者もいるという。
この少女にたまたま自分の声が届いてしまったのだろう。
求めていなかったはずの答えを、愛おしくかみしめる。

ひらひらと風に舞うワンピースからのぞく、むき出しの細い両腕と素足。
胸元で揺れる無造作に紐を通しただけの鈍い色の指輪。
よく見れば、身体には無数の傷があり、
足の裂傷は目を覆いたくなるほどだった。
死霊の自分より、ずっと幽霊のような儚げな彼女の姿。

彼女が、伏せていた瞼をゆっくりと重たそうに開けた。
その瞬間、圧倒的な霊圧がニコラスを襲った。
それでも、彼女の鋭く、すべてを見透かすような漆黒の瞳から
何故か彼は目が離せなかった。

「あなたは、とてもきれいな色をしているのね。」

そういいながら、おぼつかない足取りで近づく少女。
きれいな色。霊魂の色だろうか。
死霊術の知識は、ニコラスに自分と少女の霊魂を見せた。
自分の、罪と後悔と土埃で薄汚れた霊魂より、
彼女の凪いだ水面を思わせる透き通った霊魂のほうが、
比較にならないほどきれいだと思った。

「私は死霊術師なの。あなたをここから連れ出せる。
 一緒に、本物の雪が降るところを見に行く?」

首を少しかしげ、可愛らしい口から紡がれた、可愛らしいお誘い。
それなのに、有無を言わせぬ強大なプレッシャー。
彼は、蜘蛛王国の王子ニコラスは、自分でも気付かぬうちに膝を折っていた。

「…はい。マイマスター。」

彼女の手を取り、忠誠の口づけ。

彼女は無言で首から下げていた指輪を紐から抜き、
ニコラスの左の薬指にはめた。
その時彼は確かに、戦慄、いや興奮したのだ。

ふたりは、手を取りあったまま見つめあった。
漆黒の瞳と紅の瞳は、ずっと前からこの邂逅を待ちわびていたのだ。
白銀の冷気と紫紺の熱は、ずっと前からひとつになることを待ちわびていたのだ。

彼の魂は、彼の瞳の色を写したように激しく再燃し、
彼女の魂は、それを優しくしっかりと包み込む。

それが彼女との出会い、そして契約の瞬間だった。

---

私はあの時、嘘をついた。
私は死霊術師ではなかったし、
だから、一緒に雪を見に行くことが難しいことを知っていた。
そして、彼が別に雪を見たいと思っていないことも知っていた。

それでも…。
それでも、彼の呟きに誘われ、動かぬ身体に鞭を打ち、
洞窟に入り、その魂を見てしまったとき、一目で分かってしまった。

…彼、なのだと。

「ようこそ…。ニコラス…。
 しばらく私の中でゆっくりお休みなさい。」

胸の奥から伝わってくる温かい存在感。
彼が私の中にいる。
契約の証となった形見の指輪をその指にはめて。

私は、蜘蛛王国の王子ニコラスの霊魂を手に入れた。
いつか、私自身の力で彼の霊魂を降霊できるようになるまで、
全力で彼の霊魂を守る。誰にも渡さない。
そして、共に雪を見る。月夜にきらめく雪を見る…。

私は、まだ、死なない。

彼女の目と心に宿った氷のような激しい熱とは裏腹に
見守るものを失った廃墟が寂しそうな音を立てた。


作品名:氷花の指輪 作家名:sarasa