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糸魚川 翡翠
糸魚川 翡翠
novelistID. 57856
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囚人と青い鍵 1

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10 狭い世界(翡翠side)


Trrrrr...Trrrrr...
「マスター、電話ですよ。」

カイトが携帯を取ってきてくれた。
萌だ。

「もしもーし、ひーちゃん?」
「あぁ、萌、どうした?」
「どうした?はこっちの台詞だよ?ひーちゃん昨日もぼーっとしてたし、今日はいきなり休むし、萌心配だったんだよ?教授も、珍しいなって心配してたし。」
「あぁ、寝坊したから。」
「え!?寝坊?うっそだぁ、ひーちゃん絶対なんかあったーっ!」
「まぁ、それはともかく、大丈夫だから。」
「そう?それならいいんだー。」
「あぁ、また明日な。」
「うん、またねー♪」

「マスター」
「ん?」
「やっぱりマスターは一人じゃないです。」
「そうだな」
「たとえ他の誰がマスターの味方じゃなくても、僕が一人にさせませんけどね。」

なっ、さっきは全然それどころじゃなかったけど、改めて言われると、なんか、その、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?

「マスター」
「な、何?」
「可愛いです。」
「は?はぁああああっ!?」

走って逃げようとしたのに、なぜかカイトに後ろから抱きしめられてる、だと!?

「逃げようとしてもマスター小さいからすぐつかまえちゃいますよ?」

なんだ!?なんだこいつ天然タラシなのか!?
ってか、その前に今こいつ…私への禁句を言ったな…?

「あのね、電気代節約したいの。」
「あぁ、節電ですね?」
「だから、冷凍庫のコンセント抜いていいよね。」
「わわっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」
「何が悪いか分かってる?」
「ち、小さいって言ってごめんなさい…」
「分かって言ったんかいボケェっ!!」
パシーン
「ったたた…マスタぁごめんなさい…」

「こいつ可愛いな」
「え、マスター今…」
「なんでもねーよっ!!」
今度こそ走って逃げる。そしてベッドの中に隠れる。

Trrrrr...Trrrrr...
ったく、今度は誰だよ…忙しいな。
「もしもし、翡翠?元気か?」
「恭一!?いきなりなんだよ?」
「いや、元気にしてるかな、と。」
「本当に?」
従兄妹だからしょっちゅう遊んだことはあったが、恭一の方から連絡するときは、大概何かとんでもない(恭一にとって)ことがあるのだ。
「実はさ、とんでもないことがあって…」
「やっぱり…」
「え?」
「いつものパターンだろ。」

でも、大概その「とんでもない」っていうのは、私からしてみたら大したことはないのだ。
初めて食べ放題行ったらお腹壊しただの、ヤモリが迷い込んだから飼うことにしただの、新作のゲームを買いに早朝から並んだのに恭一の前の人までで売り切れただの、霊感が強いらしく何か出てきて取り憑かれただの、最後の一つ以外はむしろ、そうですか、としか言いようがない。
ただ、当時の恭一からしたら十分、従弟妹に伝えるほど「とんでもないこと」らしい。しばらく経って同じ話題を振ると大抵けろっとしているのだ。

「そんなにいつもじゃないだろ?」
「いや、恭一からかけてくるときはいつもだから。で、とんでもないことってのは?」
「実は昨日だな、うちに新型ボーカロイドが届いたんだよ。」
「はぁっ!?嘘だろ?まさかそれ、箱に入って勝手に届いた?」
「うん。」
「で、PCソフトじゃなくて人間だった?」
「そうそう、そうなんだよ。って、何で知ってるの?」
「いや、それは…」
「メイコもミクも同期がいるって言ってたから、もしかして翡翠のところにも届いたの?」
「なんでわかるんだよ!」
「おー!じゃあ翡翠が昔歌ってたやつとか教えられるじゃん?」

「私はもう歌わない。」
恭一はまだわからないのだろうか。
琥珀を思い出すようなことは、いないことを認識しなきゃいけないことは、できるだけしたくないんだ。
前にも言ったはずなのに。

「翡翠、お前とらわれてるよな。」
「そんなことない。で、それ以外に用件ないなら切るよ。」
「ちょ、待てよ!」

プツッー


「恭一さんって、元彼さんか誰かですか?」
いつになく機嫌の悪そうなカイトがいた。
いや、本人は機嫌の悪いつもりはないのだろう。

「いや、従兄だよ。あと、元って何、今いなさそうに見えるの?いや、いないけど。」

「あ、従兄ですか。いや、そういうわけじゃ、マスター、ごめんなさい…」
カイトは少しだけ安堵の表情を見せた。

「そういえば、めーちゃんとミクっていう同期のボーカロイド、会いたい?」
元気でやっているかくらいは、お互い知りたいんじゃあないだろうか。

「え?あっ、はい、ぜひ!」

「例の従兄が、二人のマスターやってるみたいなんだ。」
「世界って狭いんですね。」

「ついでに聞くけど、リンちゃんとレンくんって言うのも同期?」
「そうですよ。」
「本当に世界は狭いな。」

「二人のマスターと知り合いなんですか?」
「あぁ、大学の友人だ。」

つまり、だ。これからはボーカロイドを通じて萌と大学以外で会う機会も、恭一と会う機会も増えるってことか。
騒がしくなりそうだ。私はただ、何もしたくないのに。

溜息をついた私に、追い打ちをかけるようにカイトが言葉を放った。

「マスター、そういえばさっき、私はもう歌わないって…」

「歌は苦手なんだ。だから、カイトに歌は教えられない。ごめん。」

もちろん、嘘だ。
苦手だから、ではない。

カイトはそれ以上、何も聞いてこなかった。
「そういえば、昨日カイトが作ってくれたサンドイッチと玉子、まだある?」

カイト自身も忘れていたのだろうか、一瞬きょとんとした顔を見せる。

「あ、でもずっと冷蔵庫に入れてましたから…」

「食べよう。」

「はっ、はい!」
少しだけ驚いて、でも花が咲いたような笑顔をみせるカイト。表情がくるくる変わる、本当に可愛いやつだな。

作品名:囚人と青い鍵 1 作家名:糸魚川 翡翠