敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊
黄色彗星帝国
「ねえ森君、今日のカレーにニンジンが入ってなかったけど……」
と〈ヤマト〉艦内の船務科に操舵長の島大介がやって来て言った。〈ヤマト〉が太陽系を出て最初の金曜日だ。金曜日はカレーの日だ。はるか昔の帝国海軍時代から、日本の海を護る船の週末のメニューはカレーと決まっている。地球を出てからの通算ではこれが五度目の金曜であり、これが五度目のカレーである。先週の四度目のカレーのときには〈ヤマト〉はまだ土星にさえ達していなかったが、クルーの誰もがあれから一週間しか経ってないのを嘘のように感じていた。
カレーは船乗りの食べ物だ。元はインドの料理だが、日本にはインド人を奴隷にしていたイギリスの船乗りが航海中に食べるものとしてやって来た。
イギリスには料理がない。〈料理〉という概念自体が存在しない。肉も野菜もただ茹でるか揚げるだけで、茹でたものは味が抜けてクタクタの出し殻のごときものとなり、揚げたものは日本人なら『なんだこれは? かりんとうか?』と見て言うしかないものとなる。
イギリス人に何か物を揚げさせれば、エビだろうとコロッケだろうと完全に水気が抜けてガチガチの軽石かヘチマタワシの黒いやつ、というようなものになるまでそれを揚げるのだ。イギリス人でない者にとってそれは食べ物ではない。他の国では犬や猫でもイギリス人が食うものなんかやっても鼻で押しのけてしまう。
けれどもしかし、イギリス人は、黙々としてそれを食う。パンも固くボソボソとした味気のないシロモノである。小麦粉をこねて丸めて置いておき、自然にそこらの菌が付いてちょっとばかりふくらんだのを焼いただけ。
原始人が最初に食べたパンはこのようなものだったろう、彼らは味覚をまだ持っていなかったからこれでも構わなかったのだろう、というようなものがイギリスのパンだ。だから、まずい。とてもまずい。他の国ではちぎって鳩にやっても食わない。
けれどもしかし、イギリス人は、黙々としてそれを食う。イギリスでは食事とは機械的に食べ物を口に押し込むだけのことで、子供の頃から味のない食べ物に慣れているためそれで問題は起きないという。
彼らは機械人間だ。アイルランドの農民に麦を植えさせて実ったものを全部取り上げ、『お前らは芋でも掘って食っていろ』と言ってきたのが〈イングランド〉の人間なのだ。植物の地面の上に出ているのはイングランド人のもの。そうでないのが食べていいのは土の中にあるものだけ。
アイルランドの人間がジャガイモを食べているのを『ヤーイヤーイ、あいつら根っこ食ってやがるぞ』と親が言い、子がそれを見て育つため、みんながみんな『英国人の誇りにかけて、オレは決して根っこは食わぬ。もしもオレに根っこを食わせる者がいたら殺す。必ず殺す』と言うようになる。22世紀末の今でも、外国人がついうっかりイギリス人に根菜料理を出したために殺される事件が後を絶たない。
そんなイギリス人であるが、かつて帆船の時代には彼らも南国で苦労した。インドからマラッカ海峡を抜けてシンガポール。さらにそこから日本へと長い船旅をする間には、船倉に積んだ食糧はみんな傷んでしまうのだ。ハエがたかりウジが湧き、パンにはカビが生えてしまう。味覚についてはだいたい豚と同程度とされるイギリス人の口でもこれは食えたものでなかった。
そこでインドのカレー粉だ。これを使えば、アラ不思議。途轍もなくひどい悪臭を放っていたゴッタ煮の匂いをなんとかごまかせるではありませんか。食べてみたなら、おお、なんとか、食えないこともない味だぞ。
日本に着いて日本人に教えたところ、日本人は彼らの〈料理〉と称するものにただ怖気(おぞけ)をふるったものの、カレー粉なるものは有り難くいただいた。これを元に研究が為され、インド人もビックリの日本のカレーが生まれたのだ。
日本人は日本のカレーの味にうるさい。『日本のカレーがカレーであり、インドやタイやジャワのカレーはカレーじゃない』とインドやタイやジャワの人間に向かって言う。帝国主義だ。カレーに関して日本は始末に負えない帝国主義国家なのだ。
かつて日本は黄色い彗星の帝国として東南アジアに襲い掛かり、そこでイギリスと戦争をした。カレーを食べても絶対に根菜は入れぬイギリス人と。
根菜を憎み、根菜を食べさす者を生かしておかぬイギリス人。根菜を愛し、カレーを根菜料理として他に押し付ける日本人。本当のカレーの国の人々にとって、こんな迷惑な話はなかった。紛争の種が撒かれて根を広げ、過去の遺恨を何百年も燻(くすぶ)らすのだ。人の怨みはとてもとても恐ろしい。
そうして今、この〈ヤマト〉の艦内だ。島がまた言う。
「ニンジンはどうしたんだよ。カレーにニンジンが入ってないなんて話はないだろう。ニンジンがなきゃ馬だって働かないぞ」
森のまわりで船務科員らがゲンナリという顔をした。
無理もなかろう。〈ヤマト〉艦内で何かにつけて口うるさいのが彼らの長である森雪と、そしてもうひとり、島大介。誰もが忌避するツートップがツノ突き合わすところに居合わせてしまったのである。それも、カレーにニンジンが入っていないなどという問題で。
「それなんだけどね」
と森が言う。船務科員らはいま机に食パンを焼く型のような長方形の容器をいくつも並べ置き、それを囲んで思案に暮れてるところだった。ひとつひとつに粘土かパン種のようなものが入っている。
「だからパーティーで言ったでしょう。船にはもう野菜がないのよ」
「ん?」
「ニンジンだけでなく、ネギもキャベツもほうれん草も、みんな刻んでギョウザの具にしちゃったの。後はもうこれしかない」
「『これ』って?」
言って島は森が差し出したものを受け取った。透明なコップの中になんだかドロリとした感じのみどり色の液体がある。
「なんだよこれ。青汁か?」
「まあ、似たようなものかもね。藻よ」
「も?」
「酢と醤油で味を付ければ、もずくみたいに食えなくもない」
「……」
「後は、固めて寒天みたいにしてやるか……」
「……」
「薄くパリパリに乾かして、海苔として食べるか」
「って、つまり……」
と島は言った。冥王星の戦いで〈ヤマト〉は戦闘食として米のおにぎりを大量に作り、アマノリで出来た本当の海苔も全部使い切ってしまった。今後は〈ヤマト〉艦内で海苔と称して食(しょく)されるのはこの藻で作る代用海苔ということになるが、
「これって本来、浄水用のものなんだろ」
「そうよ」
「ってことは……」
と言った。〈ヤマト〉は当然、艦内で生活排水をリサイクルしている。トイレやシャワールームから出る水を浄化してまた使う。単に浄化するだけでなく、でんぷんやタンパク質を合成する素になるものを取り出して、塩分を抜き、残ったものを農場で使う肥料に加工する。
それを完璧にやってのける優れたシステムを持っているのだ。持ってはいるが、その内部を覗いてみれば、人間のために立派な仕事をしてくれているのは別に超科学の賜物などではなくてみどりのドロドロとした――。
「これ……」
「あ。言っておくけれど、浄水用の藻は藻だけれど、食用に別に培養しているものよ。まさか、ねえ、そんな」
作品名:敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊 作家名:島田信之