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ワクワクドキドキときどきプンプン 2日目

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4:実弥



「実弥くん、そっち終わったらフロント行って洗い物運んでくれる?」
「うぃっす」
 空き瓶が詰まったビールケースを置いた実弥は、せわしない声にうなずくとすぐに踵《きびす》を返した。背中にかけられた悪いねとの声には、手を上げるだけで応える。古参の社員は実弥の事情を熟知しているせいか、言葉づかいや態度をたしなめることも、不快げに聞えよがしな陰口を吐くこともない。
 悪いねとはこちらの言葉だと、実弥は内心で独り言ちる。まだ中学生の実弥はアルバイトができない。であるにも関わらず、手伝いのお礼という名目でオーナー個人から、幾ばくかの収入を得られるのだ。感謝こそすれ文句などあるわけもない。古参社員たちもまた、実弥に好意的に接してくれる。ありがたいことだ。思いつつも少しだけやるせなく、ちょっぴり苛立つ自分を、実弥は持て余していた。

 リニューアルオープンしたばかりのスーパー銭湯。それが実弥の母の今の職場だ。オープン前の準備期間から務めさせてもらえたのは、オーナーの好意にほかならない。
 昔ながらの健康ランドだったころは、母も実弥も、宴会場の舞台に立っていた。
 実弥やその家族は、大衆演劇の劇団員だった。父はその劇団の団長だった。いずれも過去形だ。父はもういない。実弥の顔や体にいくつも残った傷と引き換えに、いなくなってくれた。
 遺骨の一部を母は持っているようだが、実弥は捨ててしまえばいいのにと思っている。墓参りさえごめんだ。
 大衆演劇と一口に言っても、売れっ子な劇団もあれば、食うや食わずのカツカツな暮らしを余儀なくされる劇団もある。実弥の家は後者だった。
 女性やカップル向け、家族向けなスパが増える一方で、大衆演劇の劇団を呼ぶような健康ランドは年々減っている。その割を食った実弥の父の劇団は、日に日に呼ばれる舞台が減っていき、劇団員は次第に辞めていった。
 それに反して父の酒量は増えた。劇団員が全員去ったころには、もはやアル中としか呼べない状態だったのが情けない。逆か。大衆演劇を愛する者ほど、父への落胆が深かったんだろう。劇団員が去った理由のひとつはきっと、父が酒浸りだったからだ。実弥は苦い舌打ちを飲み込んだ。
 役者として大成はできず、かといって舞台しか知らず変にプライドが高い父に、ほかの仕事などできるはずもなく。ただただ酒に溺れて、諫める母や母を庇う実弥に暴力を振るうのが、ここ数年の父の姿だった。

 フロントに続く廊下を歩きながら、実弥は、今では休憩所になっている座敷にちらりと視線を向けた。
 去年まで、あそこには舞台があった。オーナーは最後の舞台に父の劇団を呼んでくれたが、去年はもう劇団なんて名ばかりだったから、実弥が最後の舞台を踏むことはなかった。
 故意に目立つよう振る舞うのは苦手な実弥だが、舞台に立つのが嫌いだったわけじゃない。小さいころに浴びた客の歓声や拍手は心地好かったし、なにより殺陣が好きだった。ここの客筋はとくによかったのを、覚えている。観客の年齢層が高いから、黄色い声援などと言えるようなものではなかったけれど。それでも、青いウェアのおっさんたちの喝采も、水色のウェアのおばさんたちの歓声も、子供心に誇らしくはあった。幼かった実弥は、女形は勘弁被りたいと逃げ回ったが、殺陣のある役はそりゃもう張り切ったものだ。
 けれど、食えないのならしかたないじゃないか。見切りをつけて地に足をつけた生活をすればよかったのだ。今の母や実弥たちのように。
 それが父にはできなかった。昔の歓声が忘れられず、ずるずるとタイミングを逃した愚か者。自分の才能の限界を認められずに、時流や世間のせいにして酒に逃げた卑怯者。挙句、借金のために実弥を伴って遠出した帰り道、飲酒運転で事故を起こし自分はさっさとくたばった大馬鹿野郎。実弥の父はそんな男だった。

 足早に歩いていた実弥は、すれ違った客が会釈した実弥を見て息を呑んだのに気づき、握った拳に力を込めた。
 廊下の大きな窓ガラスに、そっと目を向ける。ぼんやりと映しだされた自分の顔に舌打ちしそうになった。
 顔を横切る大きな傷の数々。父が自らの死と引き換えに実弥に残したものは、顔や体に刻まれたいくつもの傷と、母や弟妹の泣き声のない生活だ。
 舞台に立つわけではないから、男が顔の傷など気にすることはない。思えども、他人の目はそうもいかない。好奇心や憐みの視線には苛立ちが湧く。怯える視線にはうんざりもする。
 それでも自分はまだいい。我慢できる。だが、まだ幼い弟の玄弥の傷に向けられる視線には、はらわたが煮えくり返ってしかたなかった。
 父が暴れたときに、割れた窓ガラスから庇いきれず玄弥の顔に傷を作ってしまったことを、実弥は今も後悔している。客が向けてきた今の視線は、玄弥にそれが向けられるさまを連想させて、苛立ちが実弥の胸を焼いた。
 とはいえ、昔のよしみで母を雇ってくれたオーナーに、迷惑をかけるわけにはいかない。実弥にこうして手伝いをさせてくれ、いくらか小遣いまでくれるのだ。目立たぬよう、客を怖がらせぬよう、うつむき歩くしか実弥にできることはない。

 フロントの裏に顔を出すと、心得ている従業員が「それよろしく」と重ねられたランドリーバスケットを指差した。繁忙期なゴールデンウィークにくわえオープンキャンペーン中なだけあって、スーパー銭湯は盛況だ。洗濯物の量も半端ない。
 実弥は濡れたタオルやウェアが入ったバスケットを抱えると、ランドリールームへと足を向けた。
 今日はオーナーの好意で弟や妹も入泉している。玄弥が子守をしてくれて助かった。厨房で働く母の仕事が終わったら、一緒に賄いを食べさせてもらえるから食費も浮く。ゴールデンウィーク様様だと、実弥は小さな自嘲の笑みを浮かべた。
 本当なら友達と同じように遊園地だのにだって行きたいだろうに、玄弥をはじめ実弥の弟妹は我儘を言わない。母や実弥が父に殴られ蹴られするのを見て育ったからか、子供らしい我儘を言うなど思いもよらないのだろう。それが実弥には悲しい。

 でも、こんな暮らしはいつか終わらせる。自分が終わらせてやる。
 金を稼いで、母や玄弥たちを絶対に幸せにしてやるのだ。母は仕事を辞めて好きなことをして過ごせばいい。玄弥の傷もきれいに治してやる。ほかの弟妹たちだって、こんな連休には遊園地だろうと動物園だろうといくらでも連れて行ってやろう。自分の拳で、そんなすべてを掴むのだ。
 実弥は中学を卒業したらアルバイトをしながらボクシングジムに通い、十七になったらすぐにプロテストを受けるつもりだ。腕っぷしには自信がある。
 殺陣が好きだったから、定住するなら本当は剣道をやってみたかった。けれど、剣で食っていけるわけがないし、役者やスタントマンはこの傷が邪魔をする。人を殴るという行為は、スポーツであっても最初はためらいがあった。喧嘩っ早い自覚はあるが、争いごとが好きなわけじゃない。金に困らぬ生活なら、きっと別の将来を夢見ただろう。けれども、そんなのはしょせん『もしも』の話だ。自分の才覚だけで大金を掴むことを考えたとき、実弥が選んだのはボクシングだった。