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美少女オタクと鏡音レン

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バレンタイン



 バレンタインのその日、三人は台所に立って四苦八苦していた。
 事の起こりはマスターが出張ということで出かけてしまった前日のこと。部屋で一人雑誌を読んでいたレンの元に、ミクとリンがそろってやってきたのだ。
「なんだよ、二人そろって。また、妙なこと企んだんじゃないだろうな」
 レンは及び腰だった。なにせ、二人はマスターの誕生日の一件という前科がある。奇しくも明日はバレンタイン。レンが警戒するのも当然のことだった。
「まあまあ、そう警戒しないでよ、レンくん。私たちも前回のはちょっとやりすぎたかなって、反省してるんだよ?」
 そう、ミクは言う。だが、その表情はちっとも反省しているように見えないどころか、リンとそろって目が笑っているのだから、レンは背筋に悪寒が走るのを感じずにはいられなかった。
「でもレン。チョコ用意してる様子もないし、ここはやっぱりあたしたちの計画に乗って、あわよくばまたイイ思いしよう、なあんて考えてんじゃないの?」
「なわけないだろ」
 肘でつついてくるリンを振り払い、レンは見ていた雑誌をミクとリンに突きつけた。
 二人が、そろって目を点にしていた。
 見せておきながらなんだが、レン自身恥ずかしかった。
 リンが思い切りよく吹き出した。
「おっかしー! あんたがこれを本屋でこそこそ買った姿が目に浮かぶわ!」
 ミクも肩を震わせている。
「自分でも恥ずかしいんだから、笑うなよ!」
 耳まで熱くなる。
 レンが手にしていたのは、手作りチョコのレシピ本だった。レンは、バレンタインに自分でチョコを作ろうと考えたのだ。
 最初は既製品をあげようと思ったのだが、どうしても何かが物足りなかった。そこで、ふらりと立ち寄った本屋で見かけたのが、その本だった。レンは、見かけた途端、飛びついていた。
 男の自分がチョコを上げる立場になるということには、やはり少し抵抗がある。だが、バレンタインという一大イベントにのらないというのは、絶対に後悔する。
 というわけで、バレンタイン当日。出張から帰ってくるマスターを待つ間に、三人はチョコを作ろうとした。だが、なにぶん料理もしたこともない三人である。大変な騒ぎになった。
「リン、チョコ刻むの手伝って」
 と、リンに頼めば、勢いよく、持ち前の怪力でもって板チョコを刻みだす。だが。
「って、まな板まで刻むなー!!」
 あわれ、まな板はまな屑と成り果てた。
 かと思えば湯煎用のお湯が沸騰し、やかんが音を立てる。
「ミク姉、お湯をボールに……」
 言いかけて、レンは青くなった。やかんをネギで支えてふるふる震えるはちゅねミクがいた。直後。
「うぎゃぁぁぁ!!」
 あわれ、鏡音レン。ボーカロイドでなければ全身やけどの重傷を負うところだった。
 そんな大いなる災厄を乗り越え、レンの手作りチョコは完成した。のだが。
 できたーと思ったところに、電話が鳴った。
 きっとマスターからだろう。レンは胸をときめかせながらいそいそと電話を取った。
『あ、レンか? スマン、ちょっと用事ができて遅くなりそうなんだ』
 それじゃあ、と電話は一方的に切られてしまった。
 だが、それだけであったならばレンもちょっとがっかりする程度で済んだだろう。チョコは、時間がたとうが味は変わらない。
 だが、現実はそれだけでは済まなかった。電話の向こうから聞こえた別の声が、問題だったのだ。
『――さん、急ぎませんと間に合いませんわ』
 あきらかに、女の人の声だった。
 レンは、受話器を持ちながら、硬直していた。何でマスターと一緒に、女の人がいるのだろう。しかも、なんでそれで遅くなるのだろう。ぐるぐると、レンの頭の中に、疑念が飛び交った。
 いや、もしかしたら、ただの仕事相手かもしれない。でも、そうじゃなかったら?
 かくんと、膝が砕けたように、レンはくずおれた。
「レン、まさかあのマスターに限ってそんなことありえないわよ。ねえ、お姉さま?」
 リンが慌ててフォローしようとするが、ミクははちゅね化していて何も言わなかった。
 レンは、一人部屋に閉じこもった。今は、何も聞きたくなかった。



 時間は、遅々として進まなかった。たった数時間が、何日にも、何年にも感じられるようだった。
 マスターは、もしかしたら帰ってこないかもしれない。そんな不安が、レンを包み込んでいた。
 真っ暗な部屋に、光が差し込んできたのは、そんなときだった。慌てたような声が、光と共に部屋の中に入ってきた。
「どうしたんだ、レン。電気も付けないで。あ、もしかして待っててくれたのか? 悪い、遅くなって!」
 抱きしめ、頭をなでようとしてくれる、マスターだった。
 けれど、レンはまだ信じられなかった。抱きしめようとするマスターを突き放し、マスターの顔を見上げた。
 首をかしげたマスターの顔が、にじんで見えた。
「なんで、遅くなったんだよ」
 声が重かった。言葉が、思うように口に上らない。レンは、自分が泣きそうなんだと気がついた。
 ぽんと、マスターの手のひらが、レンの頭の上に置かれた。
「ビッグニュースがあるんだ、レン」
 再び見上げたマスターは、いつになく喜んでいるようだった。
 手を引かれ、リビングに連れ出された。ミクとリンが、晴れやかな笑顔で待っていた。
 ソファに座らされる。もったいぶるように、マスターが咳払いをした。
「レン、デビューだ」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。そんなレンの肩を、マスターがしっかりとつかむ。
「俺の曲と、お前の歌が認められたんだよ。それで、今日は遅くなっちまったんだ。悪かった」
 うれしそうに、マスターが笑う。だんだん、レンも思考が働いてきた。
 デビュー? それはつまり、芸能界ということで。
「ほんと、に……?」
 確認すると、全員が大きくうなずいた。
 信じられなかった。マスターと自分の歌が、芸能界の人たちに認められたなんて。それで、デビューできるだなんて。
 いつか、マスターが言っていた夢を思い出した。歌手デビューするのが、夢だったのだと。それが、自分が歌うことで、かなえられるのではないか。
 ミクが、レンに小さな包みを差し出した。昼間作ったチョコが、きれいにラッピングされていた。
 レンは泣きながら笑っていた。
「マスター、おめでとう!」
 チョコを差し出すと同時に、抱きついていた。しっかりと抱きしめてくれたマスターは、いつもよりも力強かった。

作品名:美少女オタクと鏡音レン 作家名:日々夜