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Ring

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 時任は、はあと一つため息をついて、久保田が帰ってきたとき咄嗟にソファの下に潜り込ませたキーホルダーを探り出した。家の鍵は特に問題なかったが、時任を悩ませている方の鍵は明かに変形している。普通の人間が捻ろうとしてもこうはならないから、一目見れば久保田はすぐ察知するだろう。
 たぶん、彼は怒らない。
 今まで、時任が力加減を誤って壊してしまった物は、片手どころか両手でも数え切れない。それでも久保田は、一度だって時任を責めたことはなかった。もともとが物に執着する性質じゃない。残骸をあっさりゴミ箱に放り込んで、「新しいの買いに行こっか」と笑うのだ。
 その久保田の執着の薄さが、なぜか今夜は無償に恐かった。
 もし。
(もし、いま俺がいなくなったら)
 常になく気弱な考えが頭を駆けめぐる。
(久保ちゃんはまた、誰か新しいヤツと暮らしたりすんのかな)
 公園でした花火の相手を忘れてしまうのだとしたら、時任とベランダを焦がしたあの夏の夜のことも、いずれ久保田の記憶から消されてしまうのかもしれない。
 過去を持つ久保田と、過去を持たない自分。
 自分の知らない久保田がいて、それを知る人たちがいる。そのことに言いしれぬ胸の痛みを覚えたのは、つい最近の話だ。おかげで時任は、自分が久保田のすべてを欲しがっているのだということにも気がついてしまった。
 それこそ、時任の知らない過去なんか、消え失せてしまえばいいと思うほどに。
 けれど、時任と暮らした日々のことも、久保田はあっさり過去に埋没させてしまうとしたら。
 思わず背筋を走った震えに、時任はぎゅ、と目を瞑る。
 その方が何倍も恐ろしい。
 忘れられるなんて、耐えられない。
 強く、強く焼き付けて、時任以外の存在を上書きする余地を残してはいけない。
(久保ちゃんの幸せなんざクソ食らえだ!)
 時任はすっくと立ち上がると、床に散らばるゲームソフトを蹴散らして、憤然と寝室へ向かった。












 ふっと意識が浮上した。
 ノブの回る音に続いて、扉がキイとかすかな音をたてた。ぺたりぺたりと、近づいてくる裸足の足音は、何だかなまめかしい気がする。
 時任が寝室に入ってきたのだとわかったが、久保田はとりあえず目蓋を伏せたままでいることにした。
 もともと寝るつもりはなかった。ベッドに転がって天井を見ているうちに、いつのまにか眠ってしまったらしい。帰りがけに恐いお兄さんたちとした鬼ごっこが、存外こたえていたようだ。
(年かねぇ、俺も)
 ベッドの淵に腰掛ける時任の重みで身体が傾く。久保田の頬に落ちている髪を、しなやかな指がそっとなでつけた。
 時任がこんな風に久保田の眠りを妨害するのは珍しい。というより時任が起きていて久保田が眠っている、この状況事態もあまり多くはないことだ。
 彼が何をしたいのかわからず、けれどしたいようにさせようと思っていると、
「起きてんだろ、久保ちゃん」
「…………バレてた?」
 久保田はゆっくりと目を開けた。ブラインド越しに差し込む月の光が、唇を引き締めた時任の姿をくっきり映し出していた。
「どうした? 眠れない?」
「……詰めて」
「?」
「そっち、詰めて。俺もここで寝るから」
 時任はなぜか据わった目で、久保田の身体をぐいぐい壁の方に押しやる。
「えーと。一緒ってこと?」
「一緒ってこと。…嫌なのかよ」
「んにゃ全然。ちょっとびっくりしただけ」
 久保田が言われた通り壁際に後退すると、時任の身体がするりと滑り込んできた。せまいベッドの中では、ほとんど久保田に抱きついているような形になる。時任がはだけた毛布を丁寧にかけなおしてやると、彼は一度久保田の顔を見上げてから、くるりと背を向けて体勢を整えた。
「あれ。そっち向いちゃうの?」
「……男同士が向き合って寝てどーするよ」
 くぐもった声はどこか甘さを含んでいて、その声に誘われて久保田は時任の腰に両手を絡ませた。
「――ち、ちょッ…久保ちゃん!」
 慌てたように身体を浮かす時任を押さえ込んで、ぎゅうと抱きしめたまま離さない。振り返ろうとした時任の耳に声を潜めて、
「だって捕まえとかないと、お前落ちるっしょ?」
 熱い吐息と一緒に注ぎ込むと、時任は急におとなしくなった。腕に閉じこめた身体には密かな緊張が走っている。
「だいじょーぶ。絶対離さないから安心して寝なさい」
「……俺が心配してんのそっちじゃねえ」
「じゃあどっち?」
「…………」
 久保田は時任の綺麗な黒髪に唇を寄せる。時任と一緒に暮らし始めて真っ先に覚えたことは、彼にじゃれてもいい時といけない時の違いだった。時任の全身からは、先ほどの久保田を拒絶するようなオーラはなく、積極的に歩み寄る姿勢が見える。
 頬をすり寄せていると、唇が彼の大きな耳をかすめた。時任の身体はビクンと大きく跳ねたが、声に出しては何も言わない。
(なんかもしかして、本気で甘やかされてナイ? 俺ってば)
 本音を言えばこの状況をいつまでも楽しんでいたいけれど、そうもいかない。時任の様子がおかしいのは確かなのだから。久保田は後ろからそっと問いかけた。
「時任、お前さっきから何か変じゃない?」
「……変じゃねぇよ」
「そーお? でも普段はあんまりこういうことしないじゃない?」
「…お前が俺のこと忘れたりしないようにしてんの」
「…………なにそれ」
 呆然として問い返すと、時任は自分の腹の前で交差された久保田の腕に手をかけて、きゅっと握る。
「だってお前、前に花火一緒にやったヤツのこと、ろくろく覚えてねーんだろ?」
「…………」
「俺はそんなのヤなの! 俺のこと忘れて他のヤツとヨロシクなんてぜってーさせねーっつーの!」
「…………時任?」
「なんだよ!」
「やっぱこっち向いて?」
 久保田は時任の返事を待つことなく、彼の身体を無理矢理反転させた。
「なにすんだよ!」
「お前、どっか行くの?」
「はァ?」
「この家がイヤになった?」
「…………何言ってんだ? 久保ちゃん」
 裸眼のまま時任の顔を見据えると、彼はそこで初めてとまどったような声を出した。ぎっちり掴んでいる腰は若干引き気味だ。
(逃がすつもり……ないんだよねぇ)
「じゃあ何で俺がお前のこと忘れなくちゃいけないの」
「……って、手のこと、とか、あるし」
 ベッドの中でもはめられている革手袋を見て、時任が妙なことを言い出した原因はこれなのか、と納得する。痛みで不安が喚起されたのだろう。時任自身の意志で、ここから出ていくつもりではないのだとわかって、内心、安堵のため息をついた。
「先はまだまだ長いんじゃなかったっけ?」
「……それは、そう、だけど」
「たとえばお前がここから出て行くとか、この手に飲み込まれそうになったりしたら」
「久保ちゃ」
「それでも俺はお前についてくだけなんだけどね」
「――ッ!」
「忘れようがないと思わない?」
「久保ちゃん…」
 革手袋をはぎ取りむき出しになった獣の手に、久保田は笑って口づけを落とした。
 久保田にとって居場所は時任の隣りにしかないから、住む場所なんかどこだっていい。彼がWA患者のように朽ち果てるのなら、その前に鋭い爪でこの胸を抉って欲しい。
 それに。
作品名:Ring 作家名:せんり