大事なものは王冠の下
どこかの誰かが大事にするものを自分も大事にしたなら、趣味が良いと褒めてもらえるだろうか。そんな判断の裏返し。
だって俺は世界のアメリカ合衆国なんだ。
誰もが全てにおいて俺を一番だと褒めたたえないといけないはずなんだ。
俺を部外者として扱っていい国なんかない。
みんなのヒーローなんだ。俺は。
「…どうして勝手にそんなことを、確信してるんだい、君は」
ようやっと絞り出した反駁は、反論の形になりきれず、純粋な疑問文に落ち着いた。
「知ってるからよ」
2人分のカップをキッチンに下げて、ハンガリーが戻ってくる。
「宗教も民族も基盤になっていない、芯のない国家。とんでもなく柔軟でずるがしこい癖に、ただ他人に認めて欲しかっただけのお子様な国家をもうひとり、知ってるだけ」
淡い感傷のにじむ声は、さっきまで正にアメリカが欲していたハンガリーの揺れだった。
「あんたはダメよ、あんな風に、誰かのために自分を削っちゃ」
すん、と鼻を小さくすする。
「アメリカは、私たちみたいな古い国が大事にしているものが不思議でしょう? そして、それでも価値を理解しようとしてくれてるでしょう?」
どきん、と今日一番の心臓の高鳴りが来た。
そうだ。びろうどの絨毯や、王様だけに許された部屋や、黄金のワイングラスや、華奢な尖塔を備えたお城。
厳しい開拓時代、美しいものの何もかもを、振り返る余裕もなく突き進んできた。
1000年も1500年も前から土地を拓き、文化を育てたヨーロッパの列強のように、美しく優雅なものは手に入れられなかった。
「それはとてもうれしいことよ、『私たちみんな』にとって」
彼女の言うみんな、の範囲にはおそらく、ヨーロッパのあの島国も入っているはずだ。
激しく争い勃興と没落を繰り返した大陸の国々は、それでもいつの時代も密接に血を分けあい文化を分けあって互いの関係を深めてきた。
生まれも育ちも違っていても、誰もが少しずつ近い。
苦々しく思ったけれど、否定しきれないアメリカはうつむいた。
ハンガリーは微笑んで、それから何かをテーブルの上に置いた。
「あなたはみんなの経験を踏まえて、傷つかずにこれから先へ歩んで行ける」
細かな傷がなめらかな刃面に残る、両刃の剣だった。
中世の頃のものだろうか。素朴な作りだが手入れは行き届いている。
「それって素晴らしいことよ。口うるさい先輩がいっぱいいるのが素晴らしいかどうかなんて…まだ分からないかもしれないけど、私たちは傷つけ合ったり苦しんだりしてきたから」
あなたの未来に少しでも良い影響を与えられてたら嬉しいって思うのよ、と彼女は笑った。
それはもう、子だくさんの母か、大家族の姉のように。
なんだか拍子抜けしたと同時に納得した。
そんな風に思われているのなら、特別な一番みたいなヒーローポジションにはきっと入れない。
でも決してないがしろにされているわけでもない。
よかった、と素直に思えた。
ヒーローでない俺を誰が必要としてくれるんだ、全く。――――家族以外に。
「ところで、良いことを思いついたの」
考え事をやめて見上げれば、テーブルの上のシンプルな西洋剣二振り。
その上に微笑む彼女の顔がある。
「勝ったほうが王冠を持ち帰る。どう? ハンデはそうねえ、アメリカ君が諦めるまで」
「俺だって剣くらい使えるし、君、そのスカートで動けるのかい?」
「もちろん、それなりに?」
ハンガリーは少年のように目を細めて笑った。
「売られた喧嘩は丁重に買うわよ、アメリカさん?」
訂正。
獰猛に笑った。
***
木漏れ日のさす庭にしゅる、しゅるっと摩擦音が響く。
白刃の面の上を白刃が滑る音だ。
「くっそ…」
片手でスカートの裾を優雅につまみ、もう片手に剣を取ったハンガリーは、刃こぼれを避けるつもりか打ち合いすらさせずにアメリカの攻撃をさばき続けている。
「素直ねえ」
ふわりとスカートの裾が広がって視界を塞いだかと思いきや、鋭く踏み込んだハンガリーの剣先がアメリカの鼻先につきつけられる。
「はい、次」
にっと笑う顔はわんぱく小僧そのものだった。
「君はさあ」
「なあに?」
「本気出してないだろ!」
力いっぱい振り下ろした剣が、するりと滑って弾きあげられる。
蛇かロープを相手にしているかのように、剣が絡め取られる。
手首のスナップと梃子の原理で、アメリカの剣がすっぽ抜けた。
「本気よ。あなたが諦めるまで体力持たせなくちゃいけないんだもの」
さくりと芝生に突き立った剣の前で、ハンガリーは真顔で言った。
「全力で一度戦うだけの手合わせじゃないんだから」
うなじに後れ毛が張り付いている。
「君が消耗しきるまで俺が踏ん張ればいいってことか。そんな勝ち方は好きじゃないなあ」
「あら、余裕ねえ。ここで諦めたら勝利はいただくわよ」
ハンガリーは一歩も引かない。
なるほど彼女はガンコそうだ。
「今、この状態で全力でひと勝負とかどう?」
冗談まじりに持ちかけるとハンガリーは剣を鞘に納めて眉尻を下げた。
「本気とか全力とか、どこまでの話よ。死なずに相手を殺すことじゃないでしょう?」
「君は俺を殺す気なのかい!?」
「そうしないように加減してたら私の全力じゃないのよ!」
ハンガリーが腰に両手を当てた。
なんて物騒な話だ。
それじゃこっちが銃を出したいって言うのと同レベルじゃないか!
口をぱくぱくさせて言い返す言葉を探していると、植え込みをがさがさかきわけて大きな犬が飛び込んできた。
「あっ、こら待てブラッキー! 行くなベルリッツ! アスター!!」
三匹の犬がいっせいにハンガリーの足元に駆け寄る後ろから、プラチナブロンドの人物が早足に踏み込んでくる。
「ちょっとプロイセン、そこ植えたばっかりのペチュニアがあるんだから踏まないで!」
ハンガリーが鞘ごと剣を向けた。
あっけにとられて口を開けたまま闖入者を見る。
「なんだお前、物騒なもん振り回して!」
ああ、見覚えのある男だ。
プラチナブロンドに赤紫の目という組み合わせのこの男も、かつて国家だった同輩である。
名前は今ハンガリーが呼んでくれたえーとプロセインとかなんかで、ドイツの兄だか親戚だか、確か同居しているはずだ。
大戦中は随分手こずらされたし、ハンガリーと共にロシアの家に引きずり込まれて随分辛酸を舐めた…はずじゃないんだろうか。
細身の男は犬たちを手元に引き戻して(犬たちは随分ハンガリーになついているようで彼女の周りをぐるぐる走り回っており、うち一匹はハンガリーのスカートの下に潜り込んでいた)アメリカとハンガリーを見比べている。
「物騒なんていまさらでしょ? 勝負してたの」
「へぇ?」
抜き身の剣を持って立ちつくすアメリカにニヤニヤと笑いかけるとハンガリーの隣に並んでその手から剣を勝手に奪う。
「お前こんなのまだ取ってあったのかよ」
「そうよ、悪い?」
ハンガリーの口調はいっそう子供っぽくって攻撃的になっているが、非常に親しげだ。
言い合いしながらも犬たちを撫でてやっていたり、結構頻繁に交流しているんじゃないだろうか。
「君たちいつから付き合ってたんだい?」
思いついたことを口にしてみた。
作品名:大事なものは王冠の下 作家名:佐野田鳴海