prayer
「――――トウヤ。手、貸せ」
「大丈夫かい」
よ、と。
呼び掛けに応えてトウヤは手を伸ばしてソルの手を取り、岩棚の上まで小柄な身体を引き上げた。
足場を確保すると直ぐに彼は振り返り、合図変わりに下へ手を振る。すると「いくぜ」と岩場の下から声と共に投げ上げられた、魔力増幅の呪の刻まれた霊祭用の杖が、澄んだ音を立てて彼の手に収まった。
「ガゼル、ここから先には出ないように皆に伝えておいてくれ」
「判ってる」
任せたぜ、と一言残してガゼルが戻っていく。身の丈を越す杖を無造作に一振りすると、ソルは振り向いて近付いてくる旅団に視線をやり、僅かに目を細めた。
「どうする?」
「…出来るだけ多くの兵が士気をなくしてくれると良いんだけど」
「兵力の絶対数では不利だし、無駄な戦闘は避けたいからな」
ソルと同じように砂塵へ目をやる。
そうこうしている間に両者の陣営は、近付いてくる旅団の兵士達が目視出来るくらいの距離までに狭まっている。視線を下にやると、距離を気にしだした客人一行にカイナが何事か取りなしているのが見えた。
・・・そろそろか。
「…驚かせるには派手な方がいいよね?」
「今更だろ。お前の行動自体、さりげなく派手だ」
「ひどいな、いつも穏便にいこうと思ってるのに」
言ってろよ。
呆れたように応えながら、当然のように差し出されてきた手に、用意してきた召喚石の中から一つを選んで落としてやった。薄紫に淡く輝く石を手にトウヤは軽く首を傾げる。
「手加減するようにガルマに言った方が良いのかな」
だ か ら。
「そんな小器用な事が出来るのはお前だけだって」
わかってんのか、この誓約者サマは。お前の術が特異なんだ、と何度言ったら判る。
飽きるほど聞いてきただろうに、判っているのかいないのか。トウヤはニッコリと一見害のなさげな笑みを口の端に乗せる。
「そう言いながらソルだって加減するんだろう?」
「・・・あのな」
「大丈夫だよ。公爵もソルの事好きだから、ソルが頼めば聞いてくれるよ」
いや、だから。・・・駄目だ、話聞いてない。
こんな場でありながら、トウヤはいつも通りのペースを崩さない。
…そんな彼のスタンスが周囲も落ち着かせるという結果も伴うと判ってからは、必要以上に落ち着いている姿を見せるようになったのは気のせいか。
・・・いや、違うか。
状況に、慣れたのか。
瞬間僅かに翳ったソルの表情に、トウヤはぽんと一つ肩を叩く。
何も言わず触れるだけで伝えてくるそれに、ソルは僅かに苦笑を落とした。
「…そういえば、何を話してたんだ?」
「ん?」
「さっき。マグナに」
ここに来るまで思い詰めたような顔をしていたのに、さっきすれ違った時は少しばかり吹っ切ったような顔してたけど。
何気ない事を聞いたつもりが、すい、とトウヤは視線を滑らせた。
「・・・おい」
「・・・怒るから言いたくないな」
なんだよ、それ。
微妙に険悪になったソルからの無言の圧力に負けたのか、トウヤはごめん、とまず先に謝ってきた。何を謝るのか、と更に不審気に睨め付けると、笑みが僅かに苦笑に変わる。
「何だか―――ここに来た事を悔やんでたみたいだから」
というか、自分たちを戦いに巻き込んだ事を、と言った方がいいだろうか。
「・・・ああ」
なるほど。
合点がいったはいいが、それは自分に、いや自分たちにとっての地雷でもあったから、ソルはそっと目を伏せた。
頭を過ぎるのは1年程前の事。
同じ事を思い浮かべているのだろう。ソルの表情が強張る。対して、淡々とした口調のトウヤからは何の感情も窺えない。
「最初僕がここに来た事で、この街の――――この世界の、均衡を壊したから」
それなりのバランスを保っていた日常という世界を、自分が壊したんじゃないかと。
トウヤは反射的に口を開こうとしたソルをそっと押しとどめた。
ソルが言おうとしたことは判る。それは違う、と彼は言ってくれるはずだ。だけど、違わない。原因は、自分がこの世界に現れたことから、始まったのだ。
そして、今回のことも。
悪魔が出る、との旅人の噂を聞いて、心に憶えた引っ掛かりを消す事が出来ずに、シオンや守護者たちに各地に調べに行って貰った。
それでも、ギリギリまで動かなかった、動けなかった理由。
戦いになれば、こんな事態に相対することを元々由とする守護者たちはともかく、以前のような暮らしを漸く取り戻したこのフラットの面々も巻き込む事になる。そこだけが、引っ掛かった。
だが、仲間達は今も変わらず協力してくれる。そこに流されたりだの、妥協も打算もない。皆戦いを選ぶのは自分自身の意思で、決断で。
ことトウヤにしてみれば、遅かれ早かれといった話だったから、仲間達からすれば寧ろ状況を直接知る者たちとの関わりは願ってもないことだったのだけれど。
しかし、それを話の上でしか知らないマグナたちからしてみれば、自分たちの所為で平和な暮らしをしている皆を巻き込んだ、との思いの方が強いのだろう。
「――――マグナが思っていた事も、似たような事じゃないかなと思って」
そう思ってしまう、気持ちもわかる気がする。
だけど一言だけ言わせて欲しかった。
「こう言ったら不謹慎かも知れないけれど、踏み出すきっかけをくれたことに感謝してる」
戦いを、望むわけでは決してないけれど、そうしないと本当に護れない物があるというのなら、戦う事を躊躇うことはない。
たぶん、仲間達の誰も同じだ。
だからマグナたちが悔やむ事はない。
出会って本当に間もない時間しか互いの中にはないけれど、同じ世界に暮らして、この世界を好きだと思う、仲間だと思っているから、手を貸すのだ。
「1人じゃない、って事をちゃんと思いだして貰わないとね」
「・・・お前らしい言い方だな」
「そうかな? 僕が言わなくても良かったような気がするんだけど」
出過ぎたマネしたかなぁって、と笑うトウヤから目を逸らして、ソルはほんの少し目を伏せた。
世界を壊す?
それを言うのなら俺だろう。
こんな戦いなどない、穏やかな世界に生きていたお前を、この世界に喚んだ。
たとえトウヤが自分の意思でここにいるのだといくら言っても、最初のきっかけを与えた事実に変わりはない。
自分が、彼の運命を変えたのだ。その重みに変わりはない。
ふとした時に時折過ぎるこの思いに、ソルが囚われるのを彼はひどく厭う。今回も無駄に勘の良い彼は、気付いたみたいだ。
「――――何を考えてるの?」
「・・・怒るから言いたくない」
先程までの真摯さはどこへやったのか、わざとらしく顔を覗き込んでくる黒い瞳から逃れるように背を向けて、ソルは玩んでいた召喚石と杖を構えた。
これ以上の追求はなし、と無言で表すのを少し残念に思いながら、トウヤもまた喚ぶ為に手に石を携え、すらりと剣を抜きはなった。
呼吸を整える。薄く開けた目に、迫り来る悪意の一団を映して、彼は静かに開戦を告げた。
「…行くよ、ソル」
「まかせろ」
即座に答えてくれる超えに僅かに笑みを浮かべると、トウヤは静かに声に、言葉に力を乗せた。
「――――至源の時より生じて、悠久へと響き渡るこの声を聞け」