LOOP
コトン、と。少々ヤツ当たり気味の音を立ててポーンを3fへ。
むやみに広い部屋に小気味のいい音が響く。
ちら、と僅かに顔を上げて対面に座した相手の様子を伺うが、盤上に落とした視線は揺らぐこともない。
遊戯は聞こえないほど小さく、一つ舌打ちした。ゴキゲンだな、と小さく舌の上で呟く。聞こえているのかいないのか。彼はその呟きには何の反応も見せなかった。・・・表向きには。
相対するはこの部屋の主。
・・・正しくはこの最上階の部屋を含めたここ、海馬コーポレーションの主、である。
彼の視線はチェスの盤上から逸らされてはいない。
ただ、普段のようなあのテンションはそこにはない。元々表情の読みにくい面ではあるが、今日はうっすらとあるかなしかの笑みを刻んだ口元と、日本人にあるまじき青い瞳の光が、珍しく表面に出ている上機嫌振りをよく表している。
・・・序盤から優勢に立っているのも要因の一つかもしれない。
盤を軽く一瞥すると彼は小ばかにするようないつもの調子で切り出した。
「・・・守りに回るには早すぎると思うがな」
短く告げられた台詞に、遊戯は器用に片方の眉だけ上げて僅かに肩を竦めた。その拍子に胸に下げられた千年パズルの鎖がしゃらり、と澄んだ音を立てる。
「ゲームはまだ始まったばかりだろ?これからだぜ」
「相変わらず口は達者だな。大口を叩いていられるのも今のうちだ」
盤に落とされていた海馬の視線がようやくこちらに向けられる。
視線を合わせた途端、その青の瞳に浮かんでいる色に遊戯は取り合えず長期戦を覚悟した。
・・・シャチョーさんにも色々あるのかもしれないが、ストレス解消に付き合わされる身としてはあまり頑張って頂かない方が有難い。
なにせ、張り切っちゃっている彼には、過去ロクな目に合わされた記憶がないのだ。
そんな遊戯の内心もお構いなし。海馬は、ふん、といつものように鼻で笑うと、腕を組んで尊大に踏ん反り返った。
・・・これがいつものポーズとはいえ、そういう態度に出られるといっちょその鼻っ柱でも折ってやろうか、という気にもなるのはしょーがないヒトの性ってヤツだろう。
・・・とはいえ。
(何でまた、こんな事になってんだか)――――と。
一抹の不本意さを拭いきれずにいるおかげで、いまいち集中しきれない。
遊戯は軽く一つ息を付いた。
いつものこと。
そう言い切ってしまうのには多少抵抗があるんだが。
しかし、結果としては本当にいつものことなんだが。
・・・もう少し何とかならないものだろうか、この男。
「・・・お前、本当はヒマなのか?」
思わず口をついて言ってしまった途端、微妙に険を含んだ視線がこちらに向いたようだが、そんな事は知ったことじゃない。怒り・呆れもしたいのはこちらの方だ。
今度は逆に盤に視線を落としたまま顔も上げずに無視を決め込んでいると、わざとらしい程の呆れたような溜息が降ってきた。
「そんな訳なかろう。今朝こちらに帰ってきたばかりだと言っただろうが」
無駄な時間のありあまる学生身分には判らんだろうが、とつけ加えられて、さすがに遊戯の眉間が軽く潜められる。
確かに、自由になる時間の事を思えば自分たちの方が比重が高くなるだろうが・・・、だったらその忙しい合間を縫ってヒトを巻き添えにして何をしてるんだ、お前は。
・・・と。喉まで出掛かったそれを取り敢えずは引っ込めた。
ここでその程度の挑発に乗ってやるのでは面白くない。
それでも取り合えず無駄なだけだろうが、一応釘を刺しておくことにする。
「・・・ならいちいち会議切り上げてまで出てくるな。最近ただでさえここに来てると帰りが遅いってママさんに目を付けられてるんだぜ」
「オレのいない時の事まで知ったことか。新作に夢中になって一晩ブースで明かしたのは誰だ」
即答。・・・というか。
・・・そんな事まで耳に入ってるのか。
「それとこれとは別の話だ」
「勝手なことを・・・」
微妙に合いた間には気を取られなかったらしい。
遊戯は指先でチェス盤を示した。
次は海馬の番だ。
シミュレーションに入って文句は受付終了となった海馬を見やりながら、遊戯はお返しとばかりに深々と息を吐いて、気を抜けばそのままズブズブ行ってしまいそうな上等なソファーに背を預ける。
雇い主の前とはいえ、多少態度が悪かろうとも許されるだろう。
何せ長時間バイトの終了間際を社長個人のワガママで拉致られた身だ。しかも別にこれが初めてという訳でもない事だし。
・・・しかし予想の付いたことではあるけれど、ここにいる間のことは筒抜けじゃないか、これじゃ。
睨めつけるような胡乱な視線には十分気が付いている癖に、面の皮の厚い社長サンはキレイさっぱり気付かぬフリ。
こうでなければトップはやってられない、といった所か。
そのうち抗議の視線を送る事にも飽きて、遊戯はつらつらとここに至る経緯を辿ってみた。
内心指折り数えてみる。・・・あまり意識はしなかったんだが、意外と月日も回数もこなしてきている事に驚いた。
・・・きっかけはホンの些細なゲーム感想をモクバに聞かれた、というだけの事だった様に思うのだが。
それから何度かモクバに頼まれてゲームのモニターなんかをしている内に、いつの間にやらバイトのようになっていて。
ちょうど相棒や仲間たちにいつも奢って貰ってばかりじゃ立つ瀬がない、と思っていた頃だったので渡りに船で話に乗ったは良いが(良くは判らないが報酬は結構高額だったらしい)、いつの間にやら2人まとめてアドバイザー扱いされていて。
何処から聞きつけてくるのか、たまに社長に乱入されては拉致同然に連れていかれた事もしばしば。(はじめは上手く逃げ回っていた筈なんだが、そこは相手も並みではない。結構な頻度でそれなりに気合の入った逃走劇を繰り返していたりする)
大した事は言ってるつもりはないが、何故か重宝がられて色々やってるうちに、自分の知らない所で話は動いているようだし。
そうして微妙に不貞腐れていると、すぐ傍でくすくすと小さく笑う気配がした。
『・・・もうひとりのボク、考えてること筒抜けだよ』
ふわり、と。
半透明な影となったもう一人の自分が隣に現れた。
自分にしか見えないその姿に、勿論海馬は気付かない。
(悪い、起こしたか?)
言葉にはせずに心の中で問い掛けると、もう一人の遊戯は首を横に振った。
『ううん、大丈夫。普通に目が覚めただけ』
身体を起こして体勢を変えると、逆の肘置きに再び頬杖をついて座りなおす。もう一人の遊戯は他人には見えないのを良い事に、ちょっとお行儀はよろしくないが折角だ、遊戯に空けてもらったソファの肘置きにちょこんと腰掛けると、ボードに視線を落としている。
『ごめんねー、また先に沈没しちゃって』
(今回もまた長時間だったからな。相棒が寝た後すぐのデータ、ちゃんと残してあるぜ)
『ホント?ありがとう、もうひとりのボク!』
にぱ、と音が付くほどの笑みを向けてもう一人の遊戯は笑った。
『・・・でもびっくりしちゃった。さっき目が覚めて、もう家に着いちゃったかなーって慌てて出てきてみたら・・・、目の前に海馬くんがいるんだもん』
そこまで言って、一旦言葉を区切ると小さく笑みを漏らした。