LOOP
「・・・ステイルメイト、と。・・・何とか持ち込んだな」
さすがにチェスは海馬に一日の長があるといった所か。
それでも土壇場に奪ったルークを盤外に転がし、生き残った王を指先で弾く。
「・・・ドロー如きで何を言っている」
忌々しげにその指先を見送っての海馬の不機嫌そのものの声にも遊戯は涼しい顔だ。
「あの形勢からここまで持ってきたんだ。中々だろう?」
胡乱な視線で一瞥しただけで軽口には取り合わず、海馬はすっかり冷め切ったコーヒーに手を伸ばした。
「・・・そういえば前から聞こうと思ってたんだが」
海馬は憮然となんだ、と問い返す。
「預かってるこのカード、何処まで入れるものなんだ?」
ピ、と開発棟の出入りに使っているIDカードを翳してみせると、海馬はちらりと視線を上げただけで、いかにも面倒そうに一言。
「何処でも」
とだけ答えた。
「何処でも?」
「今日、そのカードでここに入ってきただろう。見ていなかったのか」
途端、遊戯の目が据わった。
「・・・あの状態でそんなもの見れたと思うのか」
・・・・・・。
そういえばモクバに連れられて部屋に入ってくるなり、性懲りもなく逃げようとした所をひっ掴まえて小荷物運びしてきたような。
「・・・お前今何か余計な事考えただろう」
「何のことだ」
こいつ・・・。
思わず何か投げてやろうかと思ったが、手近にあるのは駒くらいで。しかも海馬は常人以上、というより既に人外の身体能力の持ち主。避けられたら避けられたで更に腹が立つだけだと思い直し、遊戯は一つ息を付いて意識を切り替えた。
「つまりはコレで全館フリーパス、ってことだな?」
社長室まで入れる、ということはそういうことなんだろう。
案の定あっさりと海馬は頷いてみせる。
「オレとモクバ、後は管理者以上の数人だけだ」
もっとも、この部屋に入るにはオレの許可と他のセキュリティも解除せねばならんがな。
「お前の個人データは最初の段階で登録しただろう。本社・開発棟などはそれ一枚で事足りる」
「ふ・・・ん?」
告げられた事は多分それなりにたいした事なんだろうが、まったくピンと来ない。
用のない所には行く必要もないし、興味もないから尚更だ。
だが、一部の方面に対しては絶大な効力を持つものだということはわかった。どうやらご大層なモノらしいカードを、遊戯は無造作にリュックに突っ込んでしまったが、海馬も気にした風もない。
「・・・それで?」
「ん?」
「本題はなんだ。まさかそんな今更な事を聞きたかった訳ではあるまい」
「・・・まぁな。こいつは報告の義務があるかと思って」
一応、現在雇われ人の身だし。
そう良く判らない事を言いながら、遊戯は今度はポケットから何か紙片を取り出した。
ほら、と投げて寄越すそれを受け止め、目を落とすが紙片名刺だに印字された名には覚えがない。
「なんだこれは」
「少し前からこの近くで見かける顔だとは思ってた。だがこのまえ、帰り間際に呼び止められて・・・」
一旦、そこで言葉を区切る。
「情報をリークしろって持ちかけられた」
「・・・何?」
先程までとは逆に海馬の視線に厳しいものが混じる。だがそれに気付きながらも遊戯もわざと取り合わない。
「オレたちがちょくちょく開発棟に入ってるのに気付いて目を付けたらしい。情報に応じて代価は払うから、だと」
「それでどうした」
「相棒がそんな事承知するわけないだろう。勿論丁重にお断りしたさ」
だからそれ、と海馬の手の中にある名刺を指差す。
「念のため、お前には伝えといた方が良いだろうと思ったから名刺を拝借してきた。断ったとはいえ相棒も気にしてたみたいだし」
以上、報告おわり。
最後は茶化すように締め括る。
「――――他は?」
「・・・それ以外に声を掛けられたかって質問なら、今のところはない」
「ならばこれ以上そんな馬鹿な輩が出てこないよう、手は打っておく」
それでこの件は終わりだ、と言わんばかりに名刺を机の上に放った。
それを何気に目で追いながら、少々予想外だったな、と海馬は一人ごちた。
社内ではアドバイザー・開発者の面々については伏せるように指示はしてあるが、行き帰りの経路にまでは気が付かなかった。
・・・いや、違うか。
こいつだから気付かれた、なんだろう。
この際派手な頭だとかそんなことは置いておいても、遊戯は問答無用で人目を引く。思わず振り向いてしまう程の圧倒的な存在感。
そして視線を合わせれば判るはずだ。
こいつは、ただの学生などで収まるタマじゃない、と。
そして開発棟のモニターに来ているその辺の子供なぞに聞けば、容易く正体はバレるだろうし。
「でも相棒とも話してたんだが、あれだけ人の出入りする所で何でわざわざオレなんだ?」
「・・・・・・。」
・・・本人は全く無頓着なようだが。
人のことを全くとやかく言えない筈のこの街一番の有名人は、ただ呆れたように吐息を漏らした。
つらり、と思考が横へそれる。
・・・本当に、こいつは全く自分の価値を判っていない。
そして自分自身の持つ力についても同じだ。
時折、呆れるほどに無防備なのは片割れの影響なのか。
…言い知れないもどかしさを覚えて何度も誘いをかける。
もっと。貴様はそんな所で留まっている様な者ではないだろう。
高みへ。――――先へ、行けと。
だがその言葉が届いたとしても、彼の答えはいつも変わらない。どんな時も変わることはない。
心を寄せるすべてのものを護る為に容易くすべてを投げ出すだろう。己自身のすべてをかけて。
背筋を、唐突に何かが走り抜けた。
「遊戯」
名を呼べば振り返る。
必ず、あの赤の瞳は逸らされる事なく見返してくるのだ。
そして何より雄弁に、その心を語る。
夢だ。
夢の話だ。
・・・ありえない筈の、夢の。
だがこの不自然な沈黙は何だ。
何かがある。何かがあるのに、遊戯はわざと何でもない方向に持って逃げようとしている。
・・・駄目だ。
ここで逃がしてなどやるものか。
「・・・貴様、何を隠している?」