Don't cry for me Amestris
軍人に腕をつかまれたときには反発しかなかった。グリードやドルチェット、ロアに腕をつかまれても、イズミの夫シグや店員のメイスンにそうされた時くらいの感覚しかない。
だが、ロイは違った。近づいた顔や、吸い込まれそうな黒い目や、シャープな印象の顎や、何かが、エドワードには未知のものすぎた。やけに落ち着かない胸を深呼吸で落ち着けながら、エドワードは頭を振って体勢を戻した。買出しを続ければ落ち着くかもしれないと思ったから。
ファミリーは店の経営だけをしているわけではない。グリード達の真骨頂はそこにはないのだ。用心棒やスパイ、果ては、エドワードには言わないが殺し屋のようなものも請け負っているらしく、確かに裏社会の人間達なのだった。彼らはエドワードの前ではそういった話を全くしないので、そんなことはつい忘れてしまいがちだったが。
「なんだ? 新入り?」
買出しからエドワードが帰ると皆出払っていて、代わりにいたのは、初めて見る顔だった。だがどことなく雰囲気がラストやグリードと似ていたから、それに近しい人間なのだろう、とエドワードは思う。彼らは姉弟のようなものだと聞かされていた。
「ここに置いてもらってる。エドワードって…」
買い物袋を抱えながら、エドワードは緊張気味に真面目な顔をした。見た目はエドワードとそう年のかわらなそうな少年だが、グリード達が見た目よりずっと年嵩のようなので、彼もまたそうかもしれないと思ったのだ。見た目より上なのではないか、と。
「ああ、お前が『エディ』?」
少年は厨房の椅子に座りこみ、面白そうに目を細めた。何となく馬鹿にされているような気がしてエドワードは若干むっとしたが、かまわず、そうだ、と頷いた。
「ふーん。あのグリードが珍しく気に入ってるみたいだっていうからどんなんかと思ったんだけど」
「…なに」
じろじろ見られるのはあまり心地よいものではない。気にしないようにしようとしてもやはり気になる。
「べつにぃ。…なあ、お前料理うまいんだろ。なんか作ってよ、俺腹減って死にそうなんだよね」
横柄に言われて、気の短いエドワードは思わず買ってきたかぼちゃを持ち上げ構えた。え? と目を丸くする少年に構わず、その髪の長い頭にがつんと一発振り下ろす。
「…ってぇ! なにすんだこのチビ!」
「オレはチビじゃない! 大体手も洗わないで入ってくんな! あと名前くらい名乗れ! 誰だお前!」
エドワードは小さいといわれるのがものすごく嫌いだ。それはもう筆舌に尽くし難く嫌いである。むしろ、許せない。
ただでさえこの少年の態度にむっとしていたのだから、抑えなど利くはずもない。かぼちゃを構えなおして第二撃、の構えのエドワードに、さすがにこれはまずい、と思ったのだろう、少年は「待った!」と手を前に出しながら名乗った。
「エンヴィー、エンヴィーだよ、俺は! あと、わかった、手洗う、洗うからかぼちゃはやめろ! いてえんだよ!」
俺が死んだらどうすんだ、とわめくエンヴィーにエドワードは冷たかった。
「お前なんか殺したらこのかぼちゃが可哀想だからしない。罪のないかぼちゃを殺人かぼちゃにするわけにいかないだろ」
真面目な顔で言い切ったエドワードに、エンヴィーはしばしぽかんとして、…それから、背中を折って盛大に笑い始めた。
「こら、何笑ってんだ! さっさと手洗え!」
「はいはい…、あー…やべえなんだこれ…」
笑いすぎて涙が滲んできた目をぬぐいながら、少年は思った。
およそグリードという男は、明るいように見えて自分の懐は明かさない性分なのだが、これでは確かにたまらないだろう。いや、グリードだけではない。デビルズネストに集う連中は多かれ少なかれ皆脛に傷持つ身だが、それだけに、こういった底抜けの素直さなど向けられたら面映いに違いない。もしかしたら腹も立つかもしれないが、ここまで真っ直ぐだと嫌うほうが難しい。この子供は、あまりにも分け隔てなく接しすぎる。そんなに馬鹿なようにも見えないから、きっとこの店にも、ファミリーのことにもある程度気づいているのだろう。そう考えるとなおさらに納得がいった。エンヴィーもまた、同じような気持ちになったからだ。
「で、そのイノセントなかぼちゃ様は何になるんだ」
厨房の水道で言われた通り手を洗いながら問いかければ、エドワードからは「ジャック・オ・ランタン!」という元気の良い返答があった。は、とエンヴィーは瞬きする。
「…おい、それ中身じゃないだろ。外見じゃないか」
「中身は、コロッケとパンプキンパイ」
「…そっちが重要なんじゃない? おチビちゃん」
エドワードは無言で報復を実行した。エンヴィーの足を思い切り踏んづけたのだ。エンヴィーは無言で転がった。相当痛かったらしい。
「だって、かぼちゃ買ったらロアが作ってくれるって。知らないのか、かぼちゃくりぬくのすっげえ大変なんだぞ?」
「いや、うん…まあ、そうだな。うん。大変だよな」
エドワードのペースに振り回され、エンヴィーはぐったりと椅子に懐いた。なんだか、…なんなんだろうか、「あの」イズミの弟子だと聞いたのだが、どうにも調子が狂う。
イズミといえば、十年前くらいはセントラルで知らぬ者のいない、鬼とも死神とも恐れられたもはや伝説のエージェントなのだが…。
「…師匠のとこにいた時は、シグさんとかメイスンさんが作ってくれたんだ。で、オレは師匠と一緒にコロッケ作ったんだ」
「じゃあ今日はコロッケか」
「そう。かぼちゃと挽肉と玉葱な。結構うまいんだぞ。好き嫌いは駄目だぞ」
てきぱきと買ってきたものを整理しながらのエドワードに、エンヴィーは無意識のうちに頬をほころばせていた。なんだか、すごく新鮮だった。
「なあ」
「?」
片付ける手を上から押さえて声をかければ、エドワードは不思議そうな顔をして首を捻った。珍しい金色の目は冬の太陽のようで、その印象的な色彩にエンヴィーは一瞬言葉を失った。
「なんだ?」
そんなに腹減ったのか? と聞いてくるのは子供だからだろう。だが、磨けば光るに違いない…、と思ったところで、びゅっ、と何かが風を切ってエンヴィーの頬を掠めていった。
わあ、というエドワードの驚いたような声で、エンヴィーの呪縛がとける。飛んできたのはナイフで、エンヴィーの頬には一筋の朱が走っていた。
「…なにすんだよラスト! 俺が死んだらどうする気だよ!?」
「どうもしないわ」
けだるげに二本目のナイフを振りながら言ったのは、寝起きのような様子のラストだった。彼女はエドワードと目が合うとにっこりと笑う。
「エディ、さ、こっちにいらっしゃい。エンヴィーなんかと一緒にいちゃだめよ」
「でも、こいつ腹減ってるんだって」
「いいのよ、減らしておきなさいな」
にこにこするラストには何か逆らい難いものがあって、エドワードは手に持ったままだったナイフのもって行き場所に困った。
「ラスト、久しぶりに会った弟になにそれ!」
「弟?!」
びっくりして目を見開いたエドワードの目の前、エンヴィーの切れた反対側の頬にさらにぴしっと赤い線が走った。
「えええっ…」
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ