Don't cry for me Amestris
#3 Another suitcase, another hall
アメストリスが近代国家の仲間入りをしたのは、そんなに昔のことではなかった。しかし、貴族が支配していたこの国は、そのまま資産を持つ元貴族がひとにぎりの特権階級となって支配する国家になっただけだった。産業はそれなりに発展してはいたが、特に労働者と農民の地位は低く、生活も大体の家庭において苦しかった。
セントラルで三ヶ月も暮らしていたら、エドワードにも、この街の格差の激しさが理解できるようになっていた。そして、最初の日に助けた女性の言葉も理解できるようになっていた。悲しいことに。
結局はデビルズネストの料理人、という役どころに落ち着いたエドワードは、昼間は母の仇を探して歩き回り、夜は店の料理番のひとりに加わることになった。元々店には料理人がいるにはいたのだが、その料理人、ファミリーの一員でもあるロアはまさかのときの用心棒もかねていたし、エドワードがひとり入ると楽ではあるそうなので。
日中は、店やアジトでごろついている連中の朝を作ったり昼を作ったり洗濯やらもしたりはしていたが、基本的に自由な時間なのがありがたかった。
とはいえ、十年近く前の殺人事件、しかも田舎の、名もない女性が殺された事件の関係者など、そうそう簡単に見つかるものでもなかった。悔しかったがしかし、エドワードだっすぐに片がつくとは思っていなかったから、腰をすえて探し出してやる所存だった。
デビルズネストはグリードたちファミリーの根城でもあり、地下は賭博場でもあった。グリードもいい加減なように見えてみているところは見ているらしく、エドワードがそこに立ち入ったことはない。そもそも、厨房から外に出たことだって、裏口からごみを捨てに出たくらいのものだ。あとは、こっそり店の裏手で野良猫に餌をやっていたくらいのもので。
だが、そこで知られなかったとしても、毎日買出しに行ったりその辺を歩いていれば、おのずと人の知るところとはなる。ただ、スラムのその辺に住んでいる連中は互いに気心が知れていて団結も固かったから、エドワードに妙なちょっかいをかけるような連中はいなかったが。
…最初の日に、一緒に買出しに行ったロアの睨みが利いているのかもしれないけれど。
大きな紙袋を抱えて元気に歩く金髪のポニーテールは、もうすっかり馴染みのものになっていた。おはようエディ、ほらオレンジもってきな、とか、焼きたてだからいっこおまけしとくよ、だとか、買出し先のおじさんおばさんの覚えもめでたい。わあうまそう、ありがとう! と本当に嬉しそうに言うエドワードの態度と、曇りのない笑顔の賜物だろう。
「…お嬢さん、落しましたよ」
紙袋の上から落ちたオレンジを拾ってくれた誰かに礼を言おうとして、あ、とエドワードは目を丸くした。ぽん、とオレンジを紙袋の山の上に戻してくれたのは、ここに来た最初の日に出会った男だったからだ。
――あれから三ヶ月ほど経つ。
その間に、いかに軍人という連中がろくでもないか、ということをたっぷり見聞きしてきたエドワードは、当然、「大佐」と呼ばれていた男にも警戒心たっぷりの態度を見せた。
だが、男は困ったように肩を竦めただけである。
見れば、今日もまた私服のようだ。仕事は非番なのだろうか。だが、この前だって黒いコートの下は私服のようだったのに、呼ばれていたから、その辺はよくわからない。
「やあ、また会うとは奇遇だね」
「……」
「嫌われてしまったかな。悲しいことだ」
男は溜息をついて首を振ると、それじゃあ、と背中を向ける。そうされると、元が田舎育ちで人のいいエドワードは、なにやらひどいことをしたような気持ちになって焦ってしまう。
「そ、そういうんじゃないから!」
慌ててあげた声に、男は足を止め、軽く目を瞠って振り返る。そうするとなんだか愛嬌のある童顔の男だということに気づいて、エドワードはついつい警戒を解いてしまった。
「――ありがとう」
男はまた、礼を言った。だから礼なんていいのに、と表情を選びかねたエドワードに、男はなつこい顔で笑う。
「…そういえば名前を聞いていなかった。私はロイだ」
「え、…エディ」
店での呼び名を口にしてから、しまった、と思ったけれども、本名よりはいいかもしれないと結局訂正はしなかった。
「エディ?」
そう、とこくりと頷いたら、男、ロイは笑った。顔立ちも整っているのだろうが、雰囲気が印象的で記憶に残る男で、エドワードは今もその表情に吸い込まれるように目を奪われていた。端的に言えば、魅力的な男なのだろう。
「そうか。エディか」
「…うん」
「セントラルはどうだい? エディ」
エドワードは困ったように目を伏せた。ロイは答えをせかすことはせず、じっと待っている。
「…変な街だとは思うけど、…嫌いじゃないよ。たぶん」
「…どうして?」
「…だってさ、オレが居候してるところもそうだし、店のおばちゃんとか、おじちゃんとか、皆好きだから」
だから嫌いじゃない、という少女に、ロイは目を細め、嬉しそうな様子を見せた。
「…そうか」
余裕のある表情と態度だったが、なんだか随分とほっとしているようにも見え、エドワードは不思議に思った。
この三ヶ月ほどで軍人の「どうしようもなさ」と「ろくでもなさ」は見てきたつもりだが、ロイのような軍人は今の所見たことがない。それとも、「大佐」ともなるとやはりどこかが違うのだろうか。
「…私もこの街は、…嫌いじゃない」
空を見上げて、どこか遠いところを見るような顔で言うロイを、エドワードは不思議な気持ちで見上げていた。不思議としか言いようがなかった。
「…あんたって、変なやつだな」
エドワードはぽつりと、思ったままを口にした。
「よく言われるよ」
だがロイは、笑ってそれを肯定する。そういわれるとちょっとどうしていいか、と思いながら、エドワードはロイが拾ってくれたオレンジを取り出して、やる、とぶっきらぼうに言った。
「え?」
「もらいもんだけど。おばちゃんとこのオレンジはうまいんだ、甘くて。だからやる、あんた悪い奴じゃないみたいだから」
エドワードは頬をうっすらと染めて、怒ったような口調で言った。だが、それが照れ隠しだとロイにはわかったので、瞬きした後はありがとう、と口にしてオレンジを受け取る。
「…じゃ、オレ、まだ買出しがあるから!」
照れくさくてぴゅっと駆け出すエドワードの腕を、すり抜けられる前にロイが掴んだ。なに、と目を見開くエドワードに、ロイは困ったような顔をして、言った。
「また、会ってくれないかな」
「…え?」
「君は毎日この時間にここを通る?」
「…大体は」
さすがに警戒するエドワードに、ロイはぱっと腕を放した。そして、機嫌を伺うように目を細める。
「たまに来るよ、ここに。…その時は、話を聞かせてくれ」
それだけだ、というと、ロイから先に離れていく。
「呼び止めて悪かった。…オレンジ、ごちそうさま」
またな、と手を振って歩いていく背中を呆然と見送ってから、エドワードはへなへなと近くの電柱によりかかった。
「…びっくりした…」
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ