Don't cry for me Amestris
「あいつが作った。パンプキンパイ」
「…そういや作るとか言ってたな」
作ってたのか、と全員が驚いた。随分しゅんとして見えたから、そんなことはしていないかと思ったのだが。だがエドワードはやるといったらやる子だ。と、誰もが何となく頷いた。らしいな、と。
「…菓子は俺が作る」
え、と皆が言葉を失ってロアを見た。この巨体が? お菓子? 何を作る気だ一体。
「マーテル、…エンヴィー」
「はいよ」
「俺?」
「年が近い方があいつもいいだろう。仮装でも何でもさせてつれてきてやってくれ」
どっしりと落ち着いたロアの意見に、やるなおっさん、とエンヴィーは口笛を吹き、マーテルは早速部屋を出て行く。エンヴィーに、先にふたりで着替えるから部屋に入らないで、入ったら殺す、と物騒な一言を残して。その目は割と本気だった。
「…しっかし、変わったねえデビルズネスト」
頭の後ろで手を組んで、エンヴィーは口笛を吹いた。グリードもラストも何も答えなかったが、ロアだけが静かに頷いた。
脛に傷持つ前科者の集まり、腕だけで、社会の裏で生きている連中の集団。それが自分達だったはずだが、たったの三ヶ月で変われば変わるものだ。エンヴィーはそう思った。大体、一緒にいた時間がこの中では一番短い自分でさえ既に影響を受けている。あの、一見無邪気に見える子供に。
「さって、じゃあ菓子の用意頼むぜー」
「あんた、何に仮装する気?」
ラストの問いかけに、エンヴィーはにいっと笑った。
「モンスターつったら、あれでしょ、あれ」
「ああ、お前は仮装いらないんだよな、楽でよかったな」
「…どういう意味さ」
「ん? なにが?」
楽しげにからかうグリードは放っておいて、エンヴィーもまた部屋を出ていった。
母のことや今までのこと、これからのことを思ってしゅんとしていたエドワードだったが、柄にもない大人たちの思いやりを前にしたら、いつまでも落ち込んでなんかいられなかった。
マーテルが着せてくれた魔女の格好は随分と可愛らしくて驚いたのだけれど(そんなものがすぐに出てきたことに)、それだけでなく、手に持ちきれないほどのお菓子だとか、エドワードの作ったコロッケだけではなく増やされたたくさんの料理、自分達まで仮装してくれていた気のいいデビルズネストの連中に、思わず嬉しすぎて泣けてしまった。
その夜は店もやっていないのにデビルズネストは大いに賑わしく、そのうち騒ぎを聞きつけた馴染みの連中が乱入してきたりして、さらに賑わうことになった。彼らは店でも組織でも見たことのない小柄な少女がちょこんと集団の真ん中にいるのに驚いたが、グリードやラスト、しばらく姿を見せていなかったエンヴィーが近くを固めているので、おいそれとは近づけない。気さくに見えても彼らは鋭い刃物のような連中なのだ。下手にかかわって何があるとも限らない。だがとにかく、少女が彼らにとって大事な人物なのだ、ということだけはわかった。知られてしまうことになった。
エディ、という名前がデビルズネストと商店主以外に知られた、それは最初の晩になった。
皆が騒いでいたから、気分が昂揚していたエドワードは、それまで思っていても口にしなかったことを口にした。
「ピアノ?」
酒をあおりながら、グリードの顔には変わったところがない。
強いんだなあ、と思いながらエドワードは頷いた。
「昼間はこっちも掃除したりするから、あれ、気になってたんだ」
確かに店内にはインテリアとしか思えないのだがアップライトのピアノが隅に置かれていて、店の外見を整えるのに一役買っている。
「さわってもいい?」
「弾けたのか、おまえ」
「…あんまりはないけど…母さんが一度、連れてってくれたことがあるから」
「…?」
グリードは首を捻ったが、断る理由はない。
「いいぜ、好きに使って。いつでも。でもなーんもいじってねえから、音がちゃんと出るかはわかんねぇけど…」
「ありがとう!」
エドワードはぱあっと顔をほころばせて、グリードに抱きついた。あまりのことにグリードが目を丸くして体を固まらせたが、すぐに少女は離れていってしまったので、呆然とその姿を手で追っただけだ。
「…あらあらー、グリードさんたらどうしちゃったのさ?」
女なんて幾人でも脇に侍らせて堂々としている男が少年のような少女に翻弄されているのを、脇からしっかり見ていたエンヴィーがからかうが、グリードはうるせえと食べ終わったチキンの骨でその頭をはたいた。何を思ったか、タキシードなんて着込んでいるエンヴィーの頭を。(一応本人的には吸血鬼の仮装のつもり、らしい)
「ちょっと、脂がつくじゃん! やめてよ!」
「だから、うるせっつの」
その目はじっと、ピアノを前に一瞬ためらうように手を迷わせた少女に向けられている。エンヴィーもそれを認めれば黙ってグリードに倣った。
そうして、エドワードが鍵盤の蓋を開けてすう、と息を吸い込んだくらいの頃には、グリード達の様子に気がついた連中が徐々に口をつぐんでいったから、自然と店の中は静かになっていた。
ぽーん、とひとつ、ふたつの音に指を置いて、エドワードは目を閉じる。その表情は懐かしいような、悲しいような、なんともいえないものだった。恐らくは亡くなった母親のことを思っているのだろう、何となく彼女の事情を知る面々はそう思った。
やがて少しの間を置いて。エドワードは、目を閉じたままに指を動かし始めた。まるで何かを思い出してなぞらえるようにも見えた。
芸術のよしあしなど、そこにいる誰ひとりとしてよくはわからない。だが、懐かしさをもたらすその音調に皆がしんみりした。
「…and all flowers are dying…」
不意に誰かが、音階に沿わせるようにして呟いた。それは節をもっていたから、グリードがそちらを振り向く。口にしていたのはロアだった。それが意外だったのもある。彼が歌を歌うなど、ついぞ考えたこともなかった。だがそれに釣られたように、店のそこここで、同じように口を動かす連中がいる。有名な曲なのか、とグリードはラストとエンヴィーを振り向くが、二人は知らないらしいことに何となくほっとする。
「…until you come to me…」
曲はまた始めからの繰り返しになった。美しい旋律はどこか物悲しく、心に訴えかけてくる。グリードは何も言わずそっと立ち上がり、一端部屋から消えた。それをラストが目で追ったが、特に声はかけない。
すぐに戻ってきたグリードの手には、どこにしまっていたものだかヴァイオリンがあった。珍しいわねとばかり目を細めたラストと、口笛でも吹きたそうな顔をしたエンヴィーを無視して、グリードは適当に、しかし物慣れた仕種で楽器を構える。まさかこの男にそんな特技があったなんて誰も知らなかっただろう。
グリードは目を閉じて、少しだけカウントをとるように首を振った。それから、おもむろに弦を引く。途端、ピアノには音がふわっと加わった。エドワードが一瞬驚いた様子で指を引きかけるが、開いた目にグリードの視線で促され、頷いて弾き続ける。
「…『ダニーボーイ』。久しぶりに聞いた」
ぽつりと小さな声で呟いたマーテルを、ラストが振り向く。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ