Don't cry for me Amestris
当たり前のことを当たり前のように口にし、実行する。怒ったり笑ったりする。元気が良くて、およそ陰というものがなくて。
惹かれるのは当然だった。
「……、…?」
物思いに耽っていたロイだが、そうしてぼんやりしていても仕方がない。帰宅すべく足を動かせば、その時、誰かがラジオ局の建物、そエントランスに小走りに近寄っていくのを視界の隅で確認した。
関係者かもしれないし、デリバリかもしれない。誰かのファンかもしれない。今日何が収録されているかは知らないが、そういうこともなくはないだろう。ラジオは今のこの国では最大の娯楽だ。
だがそれでも、ロイの勘に何かが訴えた。そのにじみ出る雰囲気がどことなく思いつめて感じられたからかもしれない。気付けば、体が勝手に動いていた。彼は大股にそちらに向けて歩き出していた。
しかし、ロイの立っていた場所からエントランスに行くためには、道路を渡らなければならなかった。それが少しのロスを生むことになる。そして。
「…?」
誰かがエントランスを出てくるようだった。ロイは、足を速める。理由のない危機感は彼の中で大きくなっていった。
「――危ない!」
小走りに駆け寄っていった人物、中肉中背の男は、エントランスを誰かが出てくるのを見とめるがいなや、走る速度を上げて向かっていった。その手にナイフが握られていることは、遠目にもわかった。
ロイの声に、一瞬男がぴくりと反応したようだったが、出てきた人間もまた反応した。ロイは絶望的な気持ちで舌打ちする。
…エントランスから出てきたのは、金髪の女性を隣に連れた、エディだったのだ。少女がどんな顔をしたのかは、ロイからはよくわからなかったが、今にも男が彼女に向かって凶刃を突き出しているのは解った。
隣に立った女性はエディの肩を抱いて横にそれ、距離をつめていた男の手を蹴り上げた。どうやら、武術のたしなみがある女性らしい。むしろ、軍人の動きを見ているようだった。
だが、ロイの想像を超えていたのは、その次の瞬間からだった。
「あの女のガキが、認められるなんて! ありえない!」
男の耳障りな叫び声があたりに響き、建物の中からも人が出てきている気配があった。ロイもまた、あと一歩というところまで近づいて、そうして男を見ている少女の冷たい表情に思わず足を止めてしまった。
少女は、…一見すると幼げでとても強くは見えない少女は、容赦なく拳を突き出して男の鳩尾をえぐった。男は醜い呻き声を上げてうずくまる。ひどい臭いで、胃液でも吐いているのかということが知れた。
ロイを含めて、出てきた誰もが動けないでいた。
「…立てよ」
冷たい、憎しみでしか構成されていないような声が落ちた。
「立てよ! 母さんは、こんなもんじゃなかった! 母さんを返せ!」
悲痛な叫びが響いて、彼女が立て続けに、崩れ落ちた男を殴り飛ばそうと身を屈める。気づいた女性がそれを止めようとするのを振り払って、…だが結局は、エドワードの手も足も男には届かなかった。
「離せ! 離せよ…!」
男の前に立ち塞がるように身を滑り込ませた黒いスーツの男が、少女を抱きとめたからだった。
「人を近づけさせるな。こっちの不審者もどこかに縛っておいてくれるか。それから、憲兵隊を呼んでくれ。事情は私が説明する」
わめいて暴れる少女をきつく抱きとめながら、ロイは、少女の背後、建物から出てきた連中に良く通る声で命じた。あまり騒いでいると野次馬を集めてしまう。現に何事かとこちらをうかがう視線を感じなくもない。それらを敏感に察して、少女の顔を隠しながら、ロイは淡々と指示を口にする。それは、命じなれた、上に立つ人間の態度だった。けして傲慢ではなかったけれど、人を従わせる説得力に満ちていた。
「私はロイ・マスタング。階級は大佐だ。そう伝えれば、わかる」
ラジオ局の応接室のような場所で、エドワードは膝を抱えていた。マーテルは何も言わないが、隣に座って黙って頭を撫でてくれていた。
ロイは、さきほどやってきた憲兵隊に別室にて事情を説明している。
彼は返事もしないでうつろな様子のエドワードに、優しく説明してくれた。
「私が見ていた限り、あの男は勝手に君に向かっていった。君は何も知らなかった。ただの偏執的な男の犯行だ。そうだね?」
複雑な事情があることなど彼は当然気づいただろう。だがそれでも、エドワードを守るための発言をして、頭をそうっと撫でていった。恐らく憲兵隊にはそのように事情を説明してくれているのだろう。
エドワードに、何一つの瑕もつかないように。
何も言わないエドワードの隣で、マーテルもまた考え事をしていた。今後のことだ。
エドワードが母の仇を追ってセントラルへやってきたことは知っていた。だから、いつかこうなることが、いやもっと言えば、少女が手を汚すこと、少なくともその覚悟はずっと持っていることはわかっていた。グリードやラストはそれを止めたいと考えていて、自分もまたその考えには賛成だった。エドワードが知る前に、その仇の連中をどうにかしてしまおうと考えてもいた。同じように。
だがまさか、相手からこちらを見つけるとは思っていなかったし、軍人が少女を庇うとも思っていなかった。まして「大佐」といったら随分な高官だ。それが少女を庇うなんて。
しかし、名前を聞けばある程度納得する部分もなくはなかった。
彼はマスタングと名乗った。
それは、下の人間に慕われていると噂の、いつかクーデターでも起こすんじゃないか、スラムでさえそう言われている、有名な男だ。なんでも国境の戦争で軍功おびただしく、それを足がかりに、若くして出世したと聞いている。元々庶民の生まれだとも言われているから、特権階級よりは自分達に近い存在なのだろう。勿論、しかしそれにしたってという思いも当然ありはしたが、納得は出来た。
マーテルはちらりとエドワードを見た。
――最近、彼女をこのまま自分たちのアジトに置いておいていいものか、という話題がよく仲間内の会話に上る。マーテルもまた、それについては思うところがあった。
彼女には光こそが似つかわしい。
「……」
別れのときは近い、とマーテルは思っていた。
大事な妹分を託すべき相手なら、すぐそばにいた。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ