Don't cry for me Amestris
ロイの声は慎重だった。エドワードは、その固い軍服の布地を掴む。
「…君は、もう泣かないのか?」
男はそっと体を離して、困ったように笑いかけると、涙の滲んだ金色の瞳を指でぬぐった。エドワードは頬を染めて目をそらす。泣いているつもりはなかった。ただ、感情が昂ぶって、抑えが利かなかった。
「エディ?」
どうなんだい、と優しく促されて、エドワードは瞳を上げた。そうしてロイの目を真っ直ぐに見つめて、エドワード、と言った。
「え?」
「オレの名前。エドワードがほんとの名前」
「…エドワード?」
男の名前に眉をひそめるロイに、エドワードは小さく笑った。
「オヤジが、バカで。男の名前つけて、男だっていって家に入れようとしたんだって、母さんとオレのこと」
でもそんなのわかるに決まってるよな、とエドワードは泣き笑いの顔で笑う。ロイは、何も言えずただ少女の目を見つめた。
「エディは、こっちにきたとき、ラスト達がつけてくれたんだ。皆が呼んでくれるのが嬉しかったからエディできたけど、大佐には、ほんとの名前、教えておきたかった」
「…そうか…」
ぺたん、とエドワードは座り込んだ。そうして、今度はエドワードがロイを見上げる。のぞきこむ。そうっと手を伸ばし、ロイの両の頬に触れて。
ロイはなすがままになっていた。まるで魅入られたように。
「――大佐なら変えてくれる。オレにはわかる」
託宣のような言葉だった。ロイは、撃たれたようにただじっとしていた。じっと、少女の金色の瞳を見つめていた。
「…、…今、本気になったよ」
ロイはやがて幾許かの後、囁いて少女の手に触れた。やんわりと外し、握りこんだ手は自分より小さかったけれど、やわらかくはなかった。固く鍛えられた手をしていた。それが、ロイには悲しかった。
手を引いて抱きしめれば、抵抗もなく腕に落ちてきた体は大人しい。わかっているのかいないのか、それはわからない。ロイがどんな思いでいるのか、彼女がどれくらい気づいているかなんて。
「…私からもお願いする。どうか、そばにいてくれ」
抱きしめる腕に力をこめれば、ぎゅっと服を掴まれて、たまらない気持ちになった。
「君が泣かないですむなら、私はそれだけで頑張れる」
真剣に告白したら、オレはもともと泣いてない、と強がられて、ついつい男は笑ってしまった。自分はとても大事なものを手に入れたのだ、と噛み締めながら。
エディの番組は、それから数日後に再開された。
何度も生産されたレコードはもう随分と売れていて、番組再開の日は街角から人が消えたという伝説が作られることになる。
もっとも、自主的に閉めてしまう酒場なども多かったから、そういうせいもあるのだろうけれど。
ラジオがない家は、街頭にラジオが設置された場所に集まって、皆で聞いていた。彼らは皆顔も名前も知らない同士であったが、少なくとも彼女の音楽の前では誰もが同じアメストリスの人間の一人だった。
『…えっと、こんばんは。久しぶり』
かすれてはいたけれどそれは電波のせいで、思いの外前と変わらないエディの声に、リスナーはそこここで安堵の息を吐いていた。
『お手紙くれたひととか、心配してくれたひと、本当にありがとう。ラジオ局の人から、お手紙、ちゃんと受け取ってます。ひとりひとりにお礼できなくてごめんなさい。でも、本当にありがとう』
今までこんなにたくさんエディが喋ったことはない。喋っても、せいぜい二言三言といったところだ。後は終わりの挨拶と。
『今はもう、元気です。大佐が助けてくれたから』
大佐、の言葉に、リスナー全員がマスタング大佐を思い浮かべる。彼がいなかったらエディは今頃殺されていたかもしれない。実際は勿論そんなことはないのだが、大衆はそう信じていた。そういう意味で、彼は多くのリスナーにとって英雄だった。
『今日はちょっとだけ、…わたしの話をさせてください』
普段の「オレ」という一人称が出そうになったが故の間だったが、聞いている人間にとったら、単純に緊張としか捉えられない。むしろ、どんな重大発表か、と彼らは固唾を呑んで次の言葉を待った。
『わたしは、セントラルからずっと遠くの、リゼンブールというところで生まれました』
どこだ、それ、と首を傾げる人間もいれば、ああ、羊毛で有名なとこだろ、と答える者もいる。
『…母さんは、女手ひとつでわたしを育ててくれて、…でも、わたしが小さいときに、なくなりました。…父さんは、知りません。わたしは父の顔を知らないから』
この発言に、誰もがはっと息を飲んだ。
――彼女は、私生児なのか。それとももしや、父をうんと昔に亡くしているのか。
『ピアノは、見て覚えました。だから今でも楽譜はあまり得意じゃありません。読み方はちょっとずつ教わっているけど、聞いて覚える方がまだ得意。だから、難しい曲よりも、皆が知ってる、皆で歌える曲が好き』
最後にちょっと照れくさそうな笑い声がかぶさった。
『…お休みしてる間、大佐がたくさん、話を聞いてくれました。わたしが楽譜を読めなくても、大佐は笑わなかった』
街灯に集ったリスナーたちはそれぞれ顔を見合わせた。彼女は何を、言おうとしているのだろう?
『…でも、作曲家の先生が、とても…なんていうんだろう? かっこいい、明るい、すごくいい曲を書いてくれて。それを、弾いてみたくて』
途中で言葉を探して小さく笑うのがラジオでも解った。リスナーたちにとって、この田舎からやってきたピアニストは希望であり、癒しだった。だが、この日この夜からは、皆の愛すべき妹になった。
『たくさん練習したけど、うまく弾けなかったらごめんなさい。でも、皆に聞いてほしい』
少女の拙い言い方に、誰もが、聞こえるはずもないのに「そんなことない」「聞かせてくれ」と口にする。
そして、メロディは流れ始める。
?New Amestris?
そう名づけられた曲は、この日を境にあちこちで流されるようになる。何しろエディの初めてのオリジナル曲だったし、確かに彼女が言う通り、明るくて気分の高揚する曲だったのが大きいだろう。
そしてやがて、この曲は、特権階級に反発する革命的な人間達をまとめるひとつの象徴になっていく。
?新しいアメストリス?
その言葉も調べも、ひとりの男の旗に集約されていくことになるのだ。
エディがメディアに顔を出すことは、増えていった。彼女は自分を助けてくれたマスタング大佐贔屓をよく口にした。下種の勘ぐりを向けてくる連中もいるにはいたが、何しろ、清潔な印象の強い少女だったから、そんなことを口にしても酒場で袋叩きにされて終わりだっただろう。
それに、表立っては勿論動いていなかったが、彼女を妹分と可愛がるデビルズネストの連中も陰ながら彼女を守っていて、直接の害はなくとも、そうした外野からの攻撃を闇に葬ったりしていた。
それについては、彼女は存ぜぬことだっただろうけれど。
「大佐」
副官も一緒に住み込んでいるとはいえ、相変わらず同じ家に住んでいるエドワードは、ロイが帰って来るなり難しい顔をして詰め寄った。
大体用件がわかっているのでロイはさてどうしたものかと思案したが、勿論顔には出さない。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ