Don't cry for me Amestris
しかし、そのコンサートにおいて、初めて曲に歌詞が付けられることになった。たいしたことがないようで、これは大きな変化であった。歌詞がついて歌になれば誰もが歌うことが出来るようになるからだ。
ロイは、自分の革命、野心に、少女を巻き込むことは反対だった。彼女のためという面はあったが、それは自分の心のありようの問題であって、彼女を利用するようなことはしたくなかった。
しかし、彼の腹心も、彼女自身でさえも、ロイのその意見には反対だった。部下たちは彼女の後押しを必要なものだと感じていたし、エドワードはエドワードで、ロイの力になることができるなら、と非常に前向きだった。いるだけでも力になる、というのは少女には通じないらしく、ロイは少々困っていた。だが、困ってばかりもいられなくなった。
「…これが、…歌われるのか?」
ロイは「ニュー・アメストリス」の歌詞を見て一瞬絶句した。
どんな歌になるのかと思ったが、団結して新しいアメストリスを作ろう、人民の声が届く国を作ろう、といったような内容が主題に据えられていて、明らかに現体制を批判しているととれる内容だ。
「そうだよ」
エドワードはけろっとした顔で頷いた。少女が賢いということはロイには既にわかっていたから、意味がわかっていないとは思わなかった。エドワードはわかっているのだ。歌詞を書いたのが別の人間だったとしても、意味はわかっている。自分がそれに利用されようとしていることも。
「…君は、わかってるのか、…こんな、扇動するような」
それでもどうしても問わずにいられなくて、ロイは眉をひそめてエドワードの両肩を掴んだ。止めさせなければと思ったのだ。
しかし、少女はゆっくりと頷いて、ロイを見上げた。
「わかってるに決まってる。…オレだって逆に聞きたい。大佐こそ、わかってるのか? 今の、アメストリスがどうなろうとしてるか」
真っ直ぐに問われて、ロイは暫し言葉を失った。
わかっている。わからないはずがない。だが、…それでも慎重になってしまうのは性格かもしれなかった。
…いや、違うかもしれない。今はこの、目の前の少女を失うのが怖いのだ。人はそうやって臆病になっていく。
ロイは、エドワードの肩を捕まえたまま目を閉じた。
そうして暫し、二人の間には沈黙が落ちる。それは、ロイが何かと決別するための時間だった。エドワードはとうに覚悟を決めていたから。
「――エドワード」
静かに目を開けた後、ロイは真摯な眼差しでじっと少女を見つめた。エドワードもまたそれを静かに見返す。
「…私と一緒に、来てくれるんだね」
少女はこくりと頷いた。どこまで、とかいつ、とかいったことを聞かれなかったのは、つまりロイが言わんとしていることが正しく伝わっていることを示していた。
「…コンサートの前までに、衣装を用意しよう」
「…?」
ロイは腰を屈めて、エドワードの額に小さなキスをした。
それが、彼からの誓いの証。
エドワードはそれを理解したから、背伸びして、彼の頬にキスを返す。自分からそういうことをするのは初めてだったから、つい赤くなってしまったけれど、ロイはからかったりしなかったから、ほっと胸をなでおろした。
コンサートの、前夜。
ロイは、大きな紙袋を持って帰ってきた。
「これを、君に」
エドワードはその袋を受け取り、言っていた衣装か、と思いながら包みを開けて…そして言葉を失った。
「…これ…」
広げたら、それは、ロイたちが着ているのと同じ軍服だった。
しかし、ただひとつ。色が違う。
この国の軍服は、青。憲兵の着ているのは、色違いの黒。
だがロイがよこしたそれは、真っ白だった。白い軍服などはない。ということは、わざわざその色で同じ意匠のものを作らせたのだろうが、しかし、なぜ白いのか。
ずっとエドワードは、ロイのそばに置いてほしい、護衛くらいならきっとできるから、と言っていた。だが彼は頑なにそれを拒否していた。手合わせをして腕を示しても、確かに強いが、任せられない、と断られていた。
軍服を着て傍にいることは許されなかったのに、今、彼は、真っ白な軍服を用意してくれていた。意味がわからなくて、エドワードはロイを見つめる。
「…君が、私たちと一緒に戦ってくれるというのは、嬉しい」
ロイはゆっくりと言って、エドワードの頬に触れた。
「だが、君がそれで傷つくのは、私には耐えられない」
「…だから、そんなに弱くないって…」
「絶対なんてこの世にはないんだよ、エド。…それに、君はきっと、自分が傷つかなくても、誰かが傷つくのを見れば心を痛めるだろう」
「…それは…」
否定できなくて思わず詰まってしまったら、ロイは困ったように笑った。
「――いいかい、エドワード」
男は、黒い瞳でじっと見つめながら、やわらかな金髪をそっとかきあげ、額に触れた。
「君は、この白い軍服を、けして汚してはいけない」
「…?」
「何しろ白だからね。汚れたらすぐにわかるよ。特に血の赤なんてつけてごらん、真っ先に解る」
ロイは小さく笑った。悪戯っぽい笑い方だった。珍しく。
「君は、けして手を汚してはいけない」
「…なんで、だってオレ、」
「君は希望だから。…だから、君は、この軍服をけして汚してはいけない。約束できるかい?」
エドワードは唇を揺らしたが、すぐには何も言えないらしく、答えがあるのを、ロイは待たなければならなかった。
「…わかった」
暫しの沈黙の後、エドワードは渋々といった様子で頷いた。そのことにロイはほっとして、長めの息を吐く。
「…戦い方も、戦場も、けしてひとつじゃないよ」
「…?」
まだ不服そうなエドワードの頭を撫でて、ぼつりとロイは言った。その言葉に、少女は怪訝そうな顔をする。
「君には君の戦い方があるはずだ。私には私の戦場があるように。…君を巻き込みたくはなかったが、…」
エドワードはぶんぶんと頭を振って、ぶつかるようにロイに抱きついた。軍服がぱさりと床に落ちる。
「一緒に戦わせて」
男は、抱きついてきた体を軽々と抱き上げ、驚いて上がった顔を覗き込んだ。そうして、唇を近づければ、相手はぎゅっと目を閉じた。色気のない表情ではあったが、そんなことはかまわない。
初めて触れた唇は少し乾いていたけれど、ふっくらとやわからかった。軽く啄ばんで、綻んだところに舌を差し入れれば、びくん、と大きく跳ねたので、悪戯はそこでしまいにした。
コンサートに現われた少女、初めて公の場に姿を現した「エディ」が白い軍服を着ていたことに、群集はざわめいた。
しかし少女はそれについて、初め何も言わなかった。
けれども、緊張しているような面持ちで数曲を消化し、「ニュー・アメストリス」が演奏される段になって、彼女はようやく話を始めた。
「…今、色んなところでデモがあるって、聞きます」
会場はしんとした。
「なんで、こんなことがあるのかなって、思ってる。ううん、ずっと思ってた。…この国に、身分とか、そういうのがあるからだって。人間に違いなんかあるんですか? 皆同じ人間ですよね? 皆同じなのに」
少女の訴えは、誰しもが心の中で思っていることをはっきりと言葉にしたものだった。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ