Don't cry for me Amestris
「彼らのいうことは、気にしなくていい」
エドワードはぶんぶんと頭を振った。なんだか頭を殴られたような気持ちがして、泣きたくなった。本当は少し期待してもいたのだ。だが。
「…!」
下からやんわりと抱き寄せられ、エドワードは息を飲んだ。
「私は軍人で、…今どんなに理想を掲げていようと、それはかわらない。この国を変えたいのは本心だ。だが、きれいごとばかりではない。手も汚したし、君には考えられないようなこともたくさんしてきた男だ」
エドワードは、床に膝を着いて、ぎゅっとロイに抱きつき返した。その背中を大きな手がゆっくりと撫でる。
「いつ誰に殺されても文句はいえない生き方をしてきた。それなのに、君がほしいとはいえない」
背中を撫でていた手が、そうっとエドワードの顔に回った。両の頬を押さえられ、エドワードは半泣きの顔をロイにさらすことになる。
「…いってよ、…オレは、大佐が言ってくれるなら」
嗚咽がまじりそうになるのを、エドワードは必死で耐えた。…耐えた、のだが、ロイの手が鼻をつまんできたので、怒って手を振り上げる。
「ばか! なにす、」
「君がほしい」
「………」
男は笑いながら、エドワードを抱きしめた。わあ、と慌てた声をあげてもう遅い。
「人が忠告したのに、君ときたら。…ああ、私は君がほしい。傷つけたくない、泣かせたくないといっても、本心ではほしくてしょうがないんだ」
わかったか、となんだかえらそうに言われて、エドワードは頬を膨らませた。
「プロポーズはもう少し先までとっておくつもりだったんだがね。まったく、おせっかいの部下をもつとこれだから」
顔中にキスしてくる顔を半ば照れから押しのけながら、エドワードは、母親のことを思い出していた。
旧体制の残党が一気に終結し、セントラルの新体制に総攻撃をかける。その極秘情報が寄せられたのは、ある夜半のことだった。
エドワードは既に床についており、ロイは未だ司令部に詰めていた。
「既にセントラルまで二キロの地点に半数以上が集結していると見られます」
冷静な副官の報告に鷹揚に頷いて、ロイは数秒間、考えるように目を閉じた。そして開くと、淡々と口を開いた。
「向うはいつ動くと思う?」
「情報によれば、…現在半数以上が終結ということですから、一両日中には動きがあるのではないでしょうか」
ロイはひとつ、ふたつ、頷いた。そして。
「現在こちらで動かせる兵力は?」
「全員配置についています」
全員? と目を瞠るロイに、副官は薄く微笑した。
「情報を得てから私が何もしなかったとお思いですか」
「――イエス・マム、君には脱帽だ」
ロイは冗談めかして笑うと、立ち上がり、髪をかきあげた。
「夜明けと共に、セントラル郊外で叩く」
「アイ・サー」
びしりと敬礼を返した中尉に、ふと、ロイは表情を変え、こんなことを口にした。
「しかしひとつだけ気がかりなことがある」
「ファースト・レディですか」
「…その名前はまだ早いんじゃないかね」
「遅かれ早かれ名実共に彼女がファースト・レディです。大佐がここで諦めるおつもりでしたら、話は別ですが」
ロイはため息をついた。まったく、この副官にはかなう気がしない。
「そんなつもりはないよ。…とにかく、エディのことだ」
「なんでしょう」
「護衛を増やしておいてくれ」
いやに真面目な顔で告げるのを見れば、色ボケというのだけでもあるまい。ホークアイ中尉は、怪訝そうな顔を向ける。
「…正確には、お守りかもしれないが」
「…は?」
「あれで意外と暴れん坊だからね。いきなり飛び出してきて戦闘に参加されたらこっちの心臓がもたない」
しっかり見張っていてもらわなくては、と嘆息する上司に、ごちそうさまというべきかどうか、副官は暫し迷ったという。
しかしロイの心配とは別の話で、彼の決断は間違ってもいなかった。
というのも、エドワードの人気というのは本当に侮れないものになっていて、マスタング支持に一方ならぬ力を発揮している、というのが世間の評価だったからだ。つまり、旧体制側としても、「エディ」は目の上のたんこぶというものであり、打倒マスタングのためには消しておきたい相手だったのだ。だから、旧体制が終結しつつある今、エディの保護は真実大事な問題だったのである。
ただ、ひとつだけ不確定要素があって、これはロイも旧体制側もまったく関知していなかったことなのだが、エディはデビルズネストの連中にとって「妹分」であった。要するに、たとえ世の法律は破っても仲間の義理は立てる無法者にとって、大事な身内であるエドワードを守るのは当然のことであり、それを害しようとするものは須らく敵である、ということだ。
「…ほい、いっちょあがり」
マスタングが増援を決定したエドワードの護衛が到着する前に、元々いた護衛のところにさえ近づけずに、どさりと倒れた人影が既に十近い。彼らは皆、エディを殺害、あるいは誘拐しようとして潜伏していたのだが、護衛兵の前に姿を現すことなく、闇に生きるデビルズネストの連中にことごとく地に這わされていた。
――その夜は星がきれいに瞬いていて、翌日の晴天を予測させた。
だが、明日のアメストリスがどうなるかは、まだ誰にもわからなかった。
陰ながらそんなにも守られているとは知らず、エドワードが目を覚ましたとき。何か予感のようなものを覚えて、着替えもそこそこ、ラジオをつける。特に変わったニュースはない。だがそれでもやはり気がかりで新聞を読み、新聞にも何も見つけられなかったのだがそれでもやはり納得がいかなくて、軍人に聞いてみることにした。この国で最も正確な情報を最も速く掴んでいるのは結局軍人なのだ。
「…やられた」
ちっと舌打ちしたエドワードに、これがあの「エディ」なのか? と面食らった兵士は、要するに真実のエドワードを知らない人間だ。それに気づいてとりなすように微笑を浮かべればそれでごまかされてくれたが、エドワードは内心怒鳴りだしたい気持ちで一杯だった。
司令部に連絡すれば、ロイもホークアイも、ハボックもブレダもいないという。エディには行き先を告げないようにと厳命されていると聞いて、エドワードは怒り狂いそうだった。
あれだけ一緒に戦うといったのに、結局あの男はそれを無視したのだ。どんな激しい戦闘だか知らないが、こんな風に自分を蚊帳の外に置いて。
しかし、冷静さを失うのは禁物だ。それはイズミにもよく言われていた。困難なときこそ冷静さが何にも勝るのだと。まず深呼吸をしてよく考える。世の中は皆ひとつの大きな流れに沿って動いているのだから、大事なのは、その流れを見極めることだと。
「…」
エドワードは大きく深呼吸してから、ラジオを抱えてチューニングをいじり始めた。ドルチェットが教えてくれたことがあった。ある音波域は高位の情報のために使われていて、民間あるいは国有であっても、民生用の放送にはけして使われないのだと。そこでやりとりされている機密情報は暗号化されていて、一般的に市販されているラジオでは傍受することは不可能だ。
「…ドルチェット」
エドワードは舌を舐めた。目を閉じて、眉間に皺を寄せる。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ