Don't cry for me Amestris
#2 Hallo, Central city !
首都に行けばまだ働き口もあるのだろうが、田舎ではそうもいかない。貧しいものは小作として地主に土地を借り、細々と生きていくしかなかった。無論事情はそれぞれに異なるので全員がそうだということでもなかったが、大体は似たようなものだった。領主や地主、そういった一部の特権階級が大きな力を持っていたのは国の中のどこを見ても同じで、どこでも事情は厳しかった。
エドワードが生まれたのは、そんな小さな、窮屈な田舎の町だった。しかし幸いだったのは、それなりに土地の豊かなその町は、他ほどには人心がすさんでもいなかったことだろう。
彼女の母は、父の正式な妻ではなかった。もしもこれが他の町であったなら、どんなひどい、辛い目にあったか知れない。だが、全員が優しくはないまでも、彼女たち親子に優しくしてくれる隣人だっていたから、エドワードは不幸ではなかった。何より優しい母親がずっと傍にいてくれたから、そんなことは本当に思わないでいられたのである。
それでも父親を恋しいと思ったことがなかったわけではない。けれど噂好きのおばさんが、頼んでもいないのに「あんたの父親は、ほら、あのお屋敷の今の旦那様だよ」と教えてくれてからは、興味を失った。その人物について何を知っているわけでもなかったが、自分と母親を捨て、のうのうと暮らしている、ということだけは確かで、そんな父親なら自分には父はいないと思っていた方がまだましだったから、それ以来二度と考えたことはない。おばさんが言った「お屋敷」とは、エドワードがいた町一番の地主の屋敷のことだった。
だから、彼女は、自分に生き別れの弟がいたことだって、十五のその年まで知ることがなかったのだ。
「…いやです」
母を亡くしてから今日まで自分を育ててくれたその人に、エドワードは頑なに反抗した。相手は椅子の上腕組みし、足を組み替えて再び口を開いた。
「せめてあと二、三年待ちな、つってるだけだろうに。なんだってそんなに急ぐ?」
「…オレ、もう強くなりました、師匠の言いつけだって守ります、だから!」
金色の大きな目を必死に揺らめかせて、少年のような少女のようなエドワードは一途に師匠であり、親代わりでもある女性を見つめる。彼女は眉をひそめ、口を閉ざす。
「駄目だね、許可できない。いいかい、セントラルってのはあんたが思ってるような街じゃないんだ。あんたみたいな田舎のガキが出てったって、親切ごかした連中にだまされて売り飛ばされんのが関の山だよ」
「でも…」
「…少し頭ぁ冷やしといで。夕飯の支度はしなくていいから」
「………はい」
エドワードはがっくりと肩を落とし、師匠の前を辞した。
何か声をかけてきた住み込みの店員に生返事をしながら、彼女はふらふらと師匠の自宅である精肉店の裏手の土手にしゃがみこんだ。
膝を抱えて背中を丸くして、鈍色の細い川を見つめる。水面はただ暗かった。風は存外に冷たく、まるですべてのものが自分に反対しているようにさえ思えて、エドワードは頬を膨らませた。そして感情が落ち着かなくて、涙が滲んでくるに至り、慌てて顔を膝に埋めた。
どれくらいそうしていただろう、あの、と遠慮がちに声がかけられて、エドワードは不審げに顔を上げた。そうして辺りをうかがって、こちらを見ている視線に気づく。振り向けばそこに立っていたのは、自分とそう年のかわらなそうな少年だった。
――ただし、知らない顔の。
だが彼はエドワードと目が合うと、まるで長年の知り合いででもあるかのように嬉しそうに顔をほころばせ、近づいてきた。エドワードは困惑してそのままぼんやりと彼が近づいてくるのを待つ。そうして、彼が自分と同じような色合いをしていることに気づいた。髪だけならともかく、目の色まで同じなんて、とひそかに驚きながら。
そうして、知らないはずなのになぜか奇妙な懐かしさを覚えることに、内心首を捻りながら。
「…エドワードさん?」
近づいてみれば少年はエドワードより少し背が高いようだった。何となく面白くなくて、張り合うように立ち上がり、「…誰?」と短く問い返す。すると、少年は照れくさそうに笑って、「アルフォンスといいます」と答える。やはり知らない名前にエドワードは首を捻ったが、続くファミリーネームに軽く息を飲んだ。
「アルフォンス・ホーエンハイム」
「…ホーエンハイム…?」
それはあの幼い日、自分の父親だと聞かされた男の家の名と同じだった。では、とエドワードは目を吊り上げ、背中を向けて土手の上を歩き出した。あんな男の家の者と話す木になどなれなかった。だが、
「待ってください! …姉さん!」
慌てて追ってきた少年の、エドワードの腕を掴んだ手とその台詞とに、エドワードは息を飲んだ。
「…やっと会えたのに、…お願いです、少しくらい、話をしてください」
恐る恐る振り返れば、彼には懐かしい、優しい母親の面影があった。エドワードは膝から力が抜けるのを感じた。
アルフォンス、そう名乗った少年は、アルって呼んでください、と人懐こい顔でそういった。
「ボク、今年から寄宿舎に入ることになって、そうしたら自由がなくなるから、どうしてもその前に、姉さんに会いたかったんです」
「…オレ、弟がいたなんて、知らなかった」
名前のせいもあったけれど、一番は警戒が大きくて男のように振舞う少女に、弟だという少年は困ったように笑った。
「ボクが生まれてすぐに、父とボクが連れ戻されたんだそうです。姉さんと、…母さんのことは、いつも心配していた」
エドワードはきつく目を吊り上げて、ふざけるな、と低く吐き捨てた。頭に血が上って、とても抑えることなどで気はしなかったのだ。
「心配してた? じゃあなんで一度も会いに来なかったんだ、母さんが死んだ時だって…!」
思い出し、エドワードの肩が震える。ごめんなさい、と少年は手を伸ばす。それを振り解いたエドワードだったが、アルフォンスは見た目より押しが強いのか、結局競り勝ってエドワードの肩を掴んだ。
「母さんは親父の…、おまえたちのせいだ、母さんが殺されたのは、…母さんを返せよ…!」
「…ごめんなさい、ごめんね、姉さん、ごめん…」
エドワードは前が見えなくなって、しゃがみこんで顔を抑えた。涙は後から後から溢れてきて、とてもとまりそうもない。肩は怒りとも悲しみともつかないものに揺り動かされ震える。
エドワードは小さな町の、民家からは少し外れた場所、森の近くの小さな家に母親とふたりで住んでいた。裕福ではなかったけれど、母親は昔から続く薬師の血筋で、頼まれてちょっとした風邪薬を調合したりして、周囲から必要とされてもいた。医学が進歩してそういった土着の教えは徐々に世界の端に追いやられようとしていたけれど、貧しい庶民にはいずれにせよ高い医療など受けることは出来ない。そうとなれば、母は必要な人だった。
だが、身分高い人間からしたら怪しげな呪い師とでも同等に見られたのだろう。父との結婚が許されなかったのはそのせいだと、後に隣家の幼馴染の祖母から聞かされた。
しかしとにかく、エドワードが七つになるその年まで、母と子はつつましくとも仲良く、それなりに幸せに暮らしていたのだ。だが、それがある夜一変した。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ