Don't cry for me Amestris
――それは、風の強い晩だったとエドワードは記憶している。
その風に乗って、猟犬の遠吠えが随分と聞こえていた。そんな夜だった。
エドワードがいつも通り寝る支度を整えて床に入ろうとした時、穏やかな顔しか見たことのなかった母親が、怖いくらい真剣な顔をしてエドワードをクローゼットの奥に押し込んだ。なに、と驚いた娘の額にキスをして、母親は言い聞かせた。
絶対に出てきちゃ駄目、何があっても、何が聞こえても、出てきては駄目よ。
ただならぬ勢いに押されて頷いたエドワードに、いい子ね、と微笑んで、…それが生きている母と会った最後になってしまうなんてエドワードは欠片も思っていなかった。思うわけがない。
母は普段から勘のいい人だった。どんなに晴れていても、彼女が降るといえば雨が降ったし、彼女がもつといえばどんな病人だって元気になった。それを不気味がって魔女と呼ぶ人もあったけれど、勿論エドワードはそんなことは思わなかった。
その彼女の勘が告げていたのに違いない。ただならぬ、しかし避け難いことがその夜起ころうとしていたことを。
その後のことは、きっと自分の中で思い出したくない記憶になっているのだろう。
突然扉を押し破るように入ってきた誰か、数人の男が母を罵り、けれど穏やかな母が一歩も引かずにそれに受け答え、激しい口論の末、長く銃声が響いた。猟犬の凶暴な吼え声がしていた。子供がいるはずだ、探せ、という声。恐ろしくてクローゼットの中で震えていた。何が起こったのか、きっと本能で理解していた。
やがて探すのに飽きた男達が打った銃は家の中のあちこちを壊し、クローゼットの中にまで銃弾は掠めていった。その中の一発がエドワードの肩を打ち抜いて、焼けるようなその衝撃にエドワードは気を失った。
――目が覚めた時、エドワードは隣家の、幼馴染の祖母に抱えられていた。
あんただけでも生きていて良かった、その言葉で、全てを知った。肩に巻かれた包帯と、その下の銃創がその何よりの証拠だった。
大人になったら絶対に母の仇をとるのだと、その時エドワードは誓った。その誓いのままに、母の葬儀に来たイズミに弟子入りしたのだ。母が、一度だけ、彼女のことを「セントラルの第一線で活躍している凄腕のエージェント」と話していたことがあったから。
母を殺したのは、父の腹違いの兄弟についていた連中だと、これも後で知った。彼らがホーエンハイムを脅すために母と自分を狙ったのだと。だが母は死に、自分は難を逃れた。彼らはホーエンハイムに追われ、セントラルへ逃げ出したと噂で聞いた。だから、強くなって大人になったらセントラルに行くのだとエドワードはずっと決めていた。しかしイズミはまだ早いといい、ここ数日は互いに口論が絶えなかったのだ。
そんな中での弟の来訪に、正直エドワードは混乱していた。
だが、それが血の絆というものなのだろうか、アルフォンスの言葉はしっかりとエドワードに届いた。
しゃがみこんでしまったエドワードの隣に自分も腰を下ろしたアルフォンスは、ぽつぽつと今までの、生まれて物心付いてから今までの話を語るともなく聞かせてくれた。
「ボクねえ、父さんしかいなかったから、何度も聞いたよ。どうしてボクにはお母さんがいないの、って」
エドワードは鼻を啜って、アルフォンスの言葉を待った。
「そうしたらね、父さん、泣きそうな顔するんだ」
子供みたいでしょ、と少年は笑った。明るい笑い声だった。
「アルにはお母さんもお姉さんもいるんだよ、でも、父さんが情けないばっかりに一緒に暮らせないんだ、ごめんな、って」
エドワードは思わず弾かれたように顔を上げた。そんな馬鹿な、と思ったのだ。
一度だけ遠くから眺めた父という人は、立派な紳士という感じで、とてもそんな風には思えなかった。冷たい印象もあって、きっと、自分のことなんか知らないのだろうと思っていた。しかし、…もしもアルフォンスの言うことが本当なら、そうではなかったことになる。
「だからボクいったんだ」
「…なんて?」
二人並んで、膝を抱えて川原の土手に座って、まるでずっと一緒に育った姉弟のように会話は続く。
「じゃあ、ボクが立派な大人になって、母さんと姉さんを迎えに行くね、って。そうしたらボクが父さんも母さんも姉さんも守ってあげるから、一緒だねって」
エドワードはぽかんとしてしまった。そんな顔に、少年は目を細める。
「…でも、ボクまだ小さくて、…間に合わなかったね」
「…」
そうっとエドワードの手を取って、アルフォンスは真面目な顔になった。
「姉さん。…イズミさんに聞いた」
「…なにを、」
「ねえ、もう、家には父さんにあれこれ言う人もいなくなった。ボクも三年したら家に帰る。だから、…だからセントラルなんか行くのやめて、一緒に暮らそう、姉さん」
エドワードは今度こそ思考が止まってしまった。
「ボク、姉さんを守るから」
「………」
エドワードは、アルフォンスから自分の手を取り返し、首を振った。ゆっくりと、痛みをこらえるように。
「――守ってほしいなんて思ってない」
「姉さん!」
エドワードは再び涙がこみ上げてくるのを感じながら、震える唇を叱咤してどうにか告げる。
「助けてほしいって泣くのは、もうやめた。もう、決めたんだ…」
アルフォンスは眉をしかめて、伸ばした手を宙でさまよわせる。風がエドワードの、ひとつに結わいた金髪を揺らしていく。
「…もう、決めたんだから」
様子を見に来たイズミに肩を抱かれて、それきり顔も上げなかったエドワードに、アルフォンスは泣きそうな顔をしたけれど、そのまま頭を下げて帰っていった。困ったことがあったらどうか連絡を、と手紙を残して。
「…アタシがどうしてこんなに反対してるか、わかるかい?」
今日はアタシんとこで一緒に寝よう、と何を思ったか言い出したイズミに従い、まるで小さな頃のように髪をとかしてもらいながら、エドワードは首を振った。
そんな少女の頭を撫でて、イズミは随分と優しい声でこんなことを言う。
「そりゃね、あんたがかわいいからだよ」
「…え…」
「…アタシもね、生きてればあんたくらいの子供がいたんだ」
「……!」
エドワードは思わず息を飲んで振り返ろうとしたが、イズミに頭を抑えられそれは叶わなかった。
「…預かり物だと思って、いつかはアタシの手を離れるもんだって思ってきたけどね。それでも情はうつるよ、アタシだってなにも、石で出来てるわけじゃない」
イズミはぎゅっとエドワードを抱きしめてくれた。母親にそうされたことを思い出して、エドワードはぎゅっと目を閉じた。
「ほんとはあんたが、そこらの女の子みたいに、いつかなんもかんも忘れて、誰かのとこに嫁にでもいってさ、そんな風になってくれたらいいなって、ちょっと思っちゃいたんだよ」
まあ、無理だろうってわかっちゃいたけど、とイズミは寂しげに言った。その通りだったので、エドワードは黙っていた。確かに、そんな風になんて、とてもではないが考えられない。
「…でも、あんたは母さんを殺した奴らのことを絶対に忘れられない。そうだね」
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ