Don't cry for me Amestris
寝室の続きの間はどうやら書斎のようになっていたらしく、机には書類が広げられていた。ロイは既に何か仕事をしていたのかもしれない。層思えばなおさらいたたまれない気持ちになった。
だがロイはそんなことは何も言わず、オレンジジュースは飲むか、なんて聞いてきた。飲む、と答えれば、すぐ持ってこさせよう、と返す。
「だが今は先にこれを見せたくてね」
ロイは、少女を抱き上げたまま、部屋の壁に幾つも並べられた衣装を見せた。首から下の人形に着せ掛けられたいくつものドレスに、エドワードは呆然とする。
「皆君のドレスだ」
「…ちょっと、待って…なんでこんなにたくさん…」
「少ないくらいだといっていたよ、他の国に比べたらね。…エディ。これから忙しくなるよ。君も、私も」
「……」
ロイはドレスがよく見える位置にあった長椅子にエドワードをおろしてくれた。エドワードは呆然とドレスを見る。頭が飽和して何も考えられなさそうだった。
その間にロイはどこぞへ電話をし、それから、ガウンを腕にかけて戻ってきた。
「シーツのままでいても私は楽しいが、君は気になるだろう」
今着るようだということらしい。だったら服を残しておいてくれればよかったのに、そう思いながら、エドワードはひったくるようにガウンを奪い、肩にかけた。
…本当は、右肩に今も残る銃創がずっと気になっていたから、隠すものがほしいと思って落ち着かなかったのだ。ロイがすぐに持ってきてくれたのも、昨夜そういう話をしたからだろうとわかった。
傷、大きくなっちゃって。きれいじゃなくて、そうこぼしたエドワードに、ロイは困ったような顔をしてこういってくれた。
「そんなもの、私だって全身にあるよ」
「…でも、大佐は男だし、でも、」
「関係ないよ。…関係ない」
そう言って、ロイは肩の傷跡に唇で触れてくれた。
今まで、エドワードは、その傷を見て母の事件を思い出すことはあっても、そんな風に気にしたことはなかった。見られることなど気にもならなかったのだ。だが、ロイの目にどんな風に触れるのか、それが怖かった。
しかしそれは杞憂に終わった。
「…」
思い出すといちいち恥ずかしいが、ロイがそう言ってくれたことは本当に嬉しかった。
ウェディングドレスは肩が隠れるデザインで、とロイがこの後言ったとき、エドワードは本当の理由がわかっていたけれど、花嫁の肌を見せたくないんだ、と本気の顔でロイが言ったから、多分エドワード以外は、若い花嫁に溺れた男、くらいにしか思わなかっただろう。そういったことも、エドワードはこっそり嬉しかった。
結婚披露宴は派手に行われた。国内外への、大統領誕生のアピールの一環としてだ。各国から賓客が招かれ、アメストリスの変革が訴えられた。若く美しい花嫁は人気の的で、連日その様子は報道された。
また、それからは国内外の視察に彼女だけで赴く機会も少なくなかった。特に彼女が力を入れたのは、孤児と寡婦の救済である。
瞬く間に時は過ぎ、その間も彼女と大統領の人気は留まるところを知らず、全てが順調に進んでいるかのように見えた。このまま、ずっと進んでいくように、誰もが思っていた。
しかし、運命とは皮肉なものだ。順調に、何の翳りもないと思っていたところで、ひどい宣告を投げつけるのだ。
――連日の過労が祟ったのか、エドワードが公務中に倒れた後、彼女が病魔に犯されていることがわかったのである。
絶対安静を言い渡されたエドワードの容態を、ロイは焦燥した顔で聞いていた。自分では大事にしてきたつもりだったが、気にできていなかったのかもしれない。まだ若い少女に、公務は辛かったのかもしれない。
悔やんでも悔やみきれないが、悔やんでばかりいても進まない。
「…手術をすれば治る可能性もありますが…」
医師は言いづらそうに言った。
「お若いので進行が早い。早めに決断しなければ危険です」
「……手術で助かる可能性は?」
ロイの問いに、医師は難しい顔をした。
「五分五分でしょう」
「…そうか。…少し彼女と相談しても?」
「…わかりました」
ロイは、彼女を休ませている寝室のドアを開けた。それは初めて彼女を抱いた場所でもある。あれからまだあまり経っていない。一年経ったかどうかだ。
「…エド」
起きているか、と声をかけながら近づけば、眠っていたエドワードがうすらと瞳を開けて半身を起こした。支えてやりながら、ロイはつとめて明るい表情を浮かべようとする。
しかし。
「…オレ、死ぬの?」
淡々と問いかけられ、とてもではないが笑えそうもなかった。
「…死なせない。病気なだけだ、手術をすれば治ると…」
エドワードは、こつん、とロイの胸に頭を寄せて目を閉じた。
「…この頃よく母さんの夢を見る」
「…エド…」
「大佐と、リゼンブールに行きたかったな…」
エドワードは今でも二人になると大佐、と呼んでいた。今となってはそう呼ぶのは彼女だけで、ロイは、なんだかそれが特別なような気がして、好きだった。
「治して、ふたりで行こう、リゼンブールに」
手を握って囁いたら、ふふ、とくすぐったそうにまだ少女めいたその人は笑う。
「無理だよ。…だって、大佐は大統領だもん」
「…エド、」
「オレだけ特別は、だめ」
笑って、彼女は顔を起こした。そうして目を閉じて、キスを強請る。そんな仕種は今までしたことがなかったから、ロイはたまらない気持ちになった。
「…死なせない」
キスの合間にそう言えば、エドワードは何も言わずただ微笑んだ。
エドワードの合意を得たわけではなかったが、ロイは手術を決めた。そして、対外的には、エドワードは療養に入るため公務はキャンセルの旨を発表した。セントラルのみならず、アメストリス中の人々が彼女の容態を案じ、官邸にはひっきりなしにお見舞いが届けられた。
エドワードは、彼らに返すべく、曲を書き始めた。それは、完成すれば初めて彼女が作る曲になるだろう。だが、書き上げる彼女には鬼気迫るものがあり、必ず完成するだろう、と周囲の人間は思った。そして、その時こそ彼女の命が尽きてしまうのではないか、と案じた。
そんなある日、デビルズネストをたったひとり訪れた男がいた。
目立たない黒いスーツに黒いコートを着たその男は、変装のつもりかさらに眼鏡までしていた。しかし、良く見れば顔などすぐにわかってしまう。それくらいこの国では知られた男だった。
それもそのはず、彼の名はロイ・マスタング。時の大統領だったのだから。
「…おやおや、大統領さんが共もつけずにどうしたんで」
さすがにグリードが表に出れば、彼は黙って頭を下げ、頼みがある、と告げた。
その真摯な態度に、グリードはさてどうしたものかと思ったが、いつまでも外で話していられる相手でもない。中に通して、続きを聞くことにした。…一応、可愛い妹分の旦那でもあるので。
「…エディを預かってくれ?」
ロイは真剣だった。だが、グリードはわけが解らない。大体、この店に辿り着いたのだってよく調べたと思う。その上本人がやってきたのもすごいとは思う。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ