Don't cry for me Amestris
しかし、その物思いは、聞こえてきた言葉でぶっつりと消えた。
「なんだ、チビッコ」
「オレはチビじゃねえ!」
くわっと目を見開いて、エドワードは声の主に問答無用でとび蹴りをかました。うわっ、と相手からは驚きの声が上がったが、さきほどの軍人達のように無様につぶれてくれたりはしなかった。
「…っぶねえな!」
ふう、と息を吐いたのは、見るからに敏捷そうな身のこなしの若い男で、背はあまり高くなかった。どちらかというと愛嬌のある顔立ちをしていて、人の警戒を何となく解してしまような雰囲気を持っていた。
「…おいおい、俺だからいいけどな、まったく…おまえみてぇなのが来るところじゃねえや、さっさと家に帰れ」
どうやら男は、エドワードをまっとうな家の子女と判断したらしい。そのことに、エドワードはついふきだした。
「なんだ?」
「…オレ、ここに用があるんだ」
「はぁ?」
エドワードは店の看板を指差し、言った。
「デビルズネスト、だろ? イズミ師匠に、ここに行くようにって言われたんだ」
イズミ、と口にした途端、男の顔色がさっと悪くなった。
「…イズミって、イズミ…」
「? イズミ・カーティス。オレのお師さんだ」
きょとんと首をかしげると、うわあ、と男は腰を抜かし、エドワードを指差した。
「イ、 イイイイ、イズミさんの、弟子?!」
「…うん…」
あまりのことにぽかんとしているエドワードは、店から出てきた新しい気配にはっとして振り返った。そこには、背の高い、均整の取れた体型の男が立っていた。見るからにその筋の人間、という感じの風体に、エドワードは困惑の表情を浮かべた。
「グリードさん! こ、こいつイズミさんの」
「あー、きいてるきいてる、お前がエドワードか?」
髪を短くした男は、エドワードの前までのんびりと歩いてくると、腰を折ってその顔を覗き込んできた。
「…そう、だけど…」
「はーん。あのおっかないねえちゃんがなんだとは思ったけどな…、ほー」
顎を擦りながらなにやら一人で納得している男に、エドワードは顎を引く。まったく、変な連中ばかりに会う日だ。
「ドルチェット、マーテル呼んでこい。今日からこいつはうちのもんだからな、とりあえずマーテルに面倒見させっから」
「ええっ? グリードさん、でもこいつカタギのガキじゃねえんすか?」
「イズミの弟子がカタギのわけがあるか、アホ」
「…そりゃまあそうっすけど…」
エドワードは困惑気味に眉根を寄せた。イズミに紹介されてやってきたのだから悪いところだとも悪い連中だとも(世間的にはともかくとして)思いたくないが、イズミを悪く言われるのは心外である。それは確かに、鬼のように強いし、特訓は地獄だし、万事において厳しい人ではあったけれども。
「師匠は、悪い人じゃない」
抗議するように口を尖らせたら、そこでグリードという男とドルチェットという男が顔を見合わせ、そして噴出した。
「なんだよ!」
それにエドワードが顔を赤くして眉を吊り上げれば、わりいわりい、と男が手を振った。
「や、あれはイイ女だぜ、悪人なんて誰も言ってねえ」
「…でも今」
「ん? ああ、まあ鬼みてえに強かったからな、そんだけだ。っと、マーテル、きたか、こいつがエドワードだ、よろしく頼むぜ」
「はいよ、グリードさん」
店から新たに出てきたのは、唇の厚さが肉感的な、金髪を短くした女性だった。めりはりの利いた体型に、エドワードはぱちぱちと瞬きしてしまった。師匠もどちらかといえば女性的な体型のひとだったが、この女性も結構そんな感じで、…少年とも間違えられるエドワードからしたらなにやら複雑なものがあった。
「イズミの身内だ、丁重にな」
「…イズミさんの、」
マーテルと呼ばれた女性は、軽く驚いた後まじまじとエドワードを見た。師匠の有名人ぶりになんとなく落ち着かないものを覚えながら、よろしくおねがいします、とエドワードは頭を下げた。
デビルズネストはやはり酒場だったが、グリードというあの男が道楽で始めた店のようで、グリードもさきほどのドルチェットという男も、マーテルも、彼らは皆店には直接かかわっていないということだった。だが一階と地下が店舗になったその建物の二階と三階は彼らともう幾人かの「ファミリー」の住処となっているそうで、…そこまで聞いて、おぼろげながらエドワードにもこの店と彼らの素性が飲み込めてきた。
彼らは要するに、「ファミリー」なのだろう。裏社会の、いわゆるそういった集団だ。そしてこの店は拠点であり収入源のひとつ、といったところか。
イズミがなぜ彼らと知り合いなのか、どうして彼らにエドワードを託したのかは解らなかったが、とりあえず、彼らがイズミを嫌ったり軽んじたりしてはいないことは解ったので、今はそれでよしとした。
ただ…、
「ねえ、マーテルさん。オレ、何すればいいかな?」
「え?」
この部屋使っていいわ、片付けておいたけど、窓開けて風入れたほうがいいかもね、気さくに説明してくれたマーテルに、エドワードは鞄を置きながら首を傾げた。
「お店手伝えばいい?」
「…なんで?」
「…師匠の家では、師匠は、アンタはあたしの子供だと思って、店の手伝いはしてもらうけど他には特になんもしなくていい、って言われてた。ここでは、オレどうしたらいいかと思って…置いてもらって、あとどうすればいいかなって…」
仕事って、どんな仕事があるかなあ、と真面目な顔で腕組みする小さな客人に、マーテルは瞬きした後噴出した。
「えっ、なに? オレなんかへんなこと言った?」
「ううん、そうじゃないけどね、…あぁ、そうなの。うん、そうね、わかった、グリードさんに聞いとくよ。でも、店は酒飲みの店だからね、あんたが出るのは反対されるんじゃないかしらね」
「そうなの?」
夜毎店に集うのは、ただの酔っ払いだけではない。グリードの身内、どころかイズミの身内と解れば誰も余計なちょっかいはかけないだろうが、それでも何があるかわからない。むしろ、イズミに恨みを持っている人間に知れたらそれはそれで厄介かもしれない。
だがマーテルはそんなことは言わず、ぽん、とエドワードの頭を撫でた。その頭は小さくてやわらかくて、マーテルを不思議な気持ちにさせる。
「ま、買出しとかおさんどんとか、そういう仕事ならあるかもしれないけど…」
「オレ、料理は得意だよ、特に肉料理」
「あらそう、じゃあ料理番してもらうのがいいかしらね」
じゃあ一緒にいこっか、とマーテルに手を差し出されると、ぱちぱちと瞬きした後、照れたようにはにかんで、そ、と指先だけで触れてくる。その初々しい様子に、マーテルは目を細めた。新しい風が吹き込んできたのを感じていた。
まさか、それが、自分達ファミリーだけの枠に留まらず国という枠にまで広がるとは、その時は夢にも思わなかったのだけれど。
とりあえずあるもので何か作ってみな、と面白がったグリードに言われ、その晩、エドワードは大きな鍋いっぱいにシチューを作った。後はミートローフに、グラタン。何人いるのかわかんなかったから、とたくさん作られた料理だったが、結果から言うとその量は適正なものだった。
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ