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遠く轟く雷鳴のように~この翼、もがれども~

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3.細波


「――どのような用向きかね?」

 久方ぶりに見る顔。珍しい訪問者を前にシャカは優雅に胡坐をかいたまま迎える。
 整然とした真理を映すような中庭で出迎えられた訪問者は興味深げに庭の造形を見回しながら、シャカの座す位置よりも一段低いところで軽く腰をかけた。
 長い足を無造作に投げ出しながら、ゆっくりと象牙色の肌をした端正な顔を差し向けた。無精に伸ばしただけではないことがわかる、長い艶やかな髪。簡単にではあったが綺麗に纏められており、彼の振り向きと同時に揺れた。

「お久しぶりです、シャカ。長い間お留守のようでしたから、なかなかご挨拶に来ることもできなかったので。ようやくお戻りになられたご様子、それで、と馳せ参じたわけですよ」

 春風のように柔らかな笑顔をシャカに向ける。対するシャカはといえば、厳冬の冬の曰くの仏頂面であった。

「殊勝な心がけだが、何か魂胆があるのではないのかね?――ムウよ」
 
 柔らかな物腰とは裏腹に剛のものであると認識している相手だ。シャカのガードも、おのずと固くなっていく。穏やかな笑みに隠された裏側、鋭い眼差しの光を警戒する。

「それはまた……随分な。私はただ、旧知の仲である貴方と久しぶりに語り合いたいと思っただけですが。ひどい扱いですね、本当に。それにしても、久しぶりにお会いして思ったのですが……雰囲気が随分とお変わりなられましたね?」

 まじまじと観察する眼差しを受け止めながら、シャカも相手の容貌がまた一段と逞しく、男らしい体つきになっていることに気付いた。

「君も、な。互いに成長したのであろう。どうということはない」

 恵まれた体型に僅かにでも嫉妬したのか。無意識に口調がきつくなっていた。

「そんな風に私を突き放すようなことを以前の貴方なら言わなかったと思いますが?」

 寂しげに笑んで見せながら、ムウは立ち上がるとシャカを囲う柱の一つに片腕の肘をつきながら、シャカを見下ろした。

「――ここを去る前の貴方はそんな風ではなかった。聖域に向かったその日から、今までの間……どこで何をしていたのか。ふつりと途絶えた貴方の足取り。私なりに考え、推測し、探してはみましたけれども。鮮やかすぎる手際に完敗でしたよ」
 
 探るような、そして咎めるような眼差しを向けるムウである。

「それは私自身の意思で篭っていたことだ。それに私が何をしようと君には無関係だと思うのだが?」

 ムウの詮索を嫌うようにシャカは眉を顰めた。ふだん通りを努めたつもりである。けれども悪夢の行為によって一度植えつけられた屈辱の種は形を変え、シャカに歪みを根付かせたのかもしれない。他者に対して必要以上に警戒心を抱くようになっていた。
 ムウはシャカにとって数少ない胸襟を開くことのできた相手ではあったが、今は見えぬ壁で押しやっている。感受性豊かなムウがそれを気付かぬはずもない。そのせいでムウを苛立たせていることもシャカにはわかってはいたが。

「……でしょうね。貴方ご自身で身を隠さなければ、恐らく私も察知できたでしょうから。それで思うわけです。なぜ貴方がそうしなければならなかったのか、と」

「君には関係ないことだと言ったが?」

 強い口調で不快感を露にしてみせるシャカに対してムウは引かなかった。厄介な人物を招き入れたものだとシャカは自嘲する。今ここでムウをやり込めたとしても、満足のいく答えを得るまできっと幾度となく訪れるに違いなかった。
 シャカがどうでもいいと思うようなことにムウは着眼し、納得するまで探求し続けるのだ。それは特にシャカに対して顕著にみられたように思えた。シャカが見るもの、聞くもの、感じるもの……すべてに関心を引いているようだった。
 まるで実験材料のような扱いだと笑いながら不満を訴えたことが一度あったが、「そうではないのですが」とムウは少し困ったような顔をして言葉を濁したことがあった。

「どうして、それほどまでに私のことを気にするのかね、君が」

「それは……かまわないでしょう?私が気にしてはいけないのですか?」

 逆にシャカが尋ねると、困った表情を浮かべ、途端に歯切れの悪くなるムウである。核心に触れようとすると弱腰になるのだ。それはまたシャカにすれば歯痒さの一因でもあった。

「君は聖域の動向を詳しく知りたいがために私にかまうのだろうが。残念ながら私はその手のことには無頓着だ。君の役には立てないだろう」

 首を傾げながら、重い瞼をゆっくりと押し上げ、シャカはムウを見上げた。ムウの小宇宙が細波のように揺らぐのを感じ取る。

「私が貴方を利用するためにだけ此処へ訪ねて来るのだと思うのですか?」

 ムウは顔を歪ませ、サッと頬に朱を差しながら、顔を背けると台座から一歩飛び降りた。中庭にある小さな蓮池の前に立って大きく息をついていた。ぎゅっと強く拳を握り締めて。
 怒りを静めている――そう、シャカには思えた。

「……すまない。傷つけたのなら……謝る」

 長い間、蓮池に佇んだまま動かないでいるムウに向かって、シャカは根負けしたように謝罪した。怒りを通り越した先、悲しみの畔にムウがいるような気がしたからだ。

「そう思われているのなら、それはわたしの弱さ……聖域に背を向けることしかできなかった私の。少し、悲しくなっただけです。私と違ってシャカ、あなたは強い人だ。どんな困難も切り抜けることでしょう。誰の助けも必要としないのでしょう。でもね……それでは悲しすぎますよ。私たちの未来は決して明るいものではないのだとしても。それでも、あなたには笑っていて欲しいと思うのはいけないことでしょうか?僅かにでもあなたの力になりたいと、そばにありたいと願うのは傲慢なことなのでしょうか?」

 振り返ったムウはどこかアフロディーテを彷彿とさせるような憂いを含んだ淡い笑みを浮かべていたのだった。
 だからなのだろうか。
 自然と身体が反応したといってもいい。シャカは無防備に歩み寄り、ムウへと手を伸ばしていた。

「シャカ?」

 怪訝そうに声をかけたムウにハッと我に返ったシャカは「なんでもない」と言葉を濁すしかなかった。