Return to the dream
3.
馬運車の扉が開け放たれる音が、物思いにふけるカスケードを現実に引き戻した。薄暗い車内に眩いほどの光が差す。
姿かたちは小汚いが、愛馬を想う気持ちだけは見事なあの牧場主は、最良の決断をし得たのか。入り口に立った本多の表情は、あいにく逆光のため分からない。
「待たせたな、カスケード。マキバオーはしばらく、うちで預かることになったよ」
「そうか……。オーナーは納得したんだな?」
「はじめはやはり相当に迷っていたようだが、最終的にはマキバオーを頼むと土下座までされてしまったよ。責任重大だな」
「せいぜい医者たちの尻を引っぱたくことだ」
ほっと息をつき頷き合った自分たちの滑稽さにふと気付いたのは、ほぼ同時だったらしい。
「よその馬にどれだけ入れ込んでるんだという話だな、お互い」
「本当にな。だが、言い訳させてもらえば、マキバオーという馬はお前と同じくらい、私の競馬人生においてエポックメイキングな馬だったからね」
「走る珍獣だしな」
「もちろんそれもあるが……、記録に残るよりファンの記憶に残る馬の方が幸せなのだと教えてくれた馬でもある。お前たちが同年代に生まれて、忘れられない名勝負を生んでくれたことを私はお前たちの一ファンとして感謝している。――ま、この年になってようやく、競馬の真の面白さに気が付いた、というところかな」
しばらくすると、開け放たれた扉の向こうから、一輪車に乗せられたマキバオーが運ばれて来るのが見えた。つくづく常識には当てはまらない馬だ。体勢を楽に保つためか、椅子の背もたれのように盛り上げられた寝藁に埋もれている。
扉の外で、牧場主が本多の手を握り、なにやら感謝と懇願を繰り返している。小便を漏らしたステテコを脱ぎ捨てたのか、源次郎の下半身はフルチンだが、双方に気にする様子はない。慣れているのだろうか?
一輪車を支えたまま一緒に頭を下げていた三枝と目が合い、カスケードは顎をしゃくってマキバオーを乗せるように促した。
「降ろして俺の腹にもたれさせるといい。藁は転がらないようにマキバオーの腹まわりに積んでおけ」
腹ばいになったカスケードの横腹に、慎重に降ろされたマキバオーの背中が触れる。その体温を、頭と体にしっかりと記憶した。これから、この小さな生き物の少しの変化も見落とすことなく、見守っていかねばならないのだ。
眠ったままのマキバオーを潤んだ目でじっと見つめていた若者が、ぐいと涙を拭うとカスケードに頭を下げた。
「カスケード、よろしく頼むよ」
「……ああ。任せておけ」
本多に背を押され、馬運車に入ってきた源次郎は色とりどりの鶴で溢れたダンボールを抱えている。
「すまねえ、カスケード。邪魔だろうが、こいつを馬房に吊るしてやってくれねえか。あと、あと……このりんごも」
感極まったのか、うっうっ、と源次郎と三枝がまた男泣きを始めた。
「飯富さん、なにも今生の別れじゃないんだ。マキバオーはきっとすぐに戻ってくる。それに、会いたければいつでも訪ねてくれてかまわない。しばらくはしっかり寝て、人間の方の体調を整えることも大事だ。牧場仕事に休日はないんだから。あと、パンツはちゃんとはきなさい」
やはり気にしていないわけではなかったようだ。
作品名:Return to the dream 作家名:ぽち