Return to the dream
終章.
マキバオーがみどり牧場に帰る日が決まったのは、『2頭のダービー馬、涙の絆!』などという、カスケードにとっては羞恥極まりない記事が週刊競馬ゴングに掲載され、多くのファンに感動を与えた頃のことだった。
内容を知らないままで済んだならまだしも、取材を受けた本多ファームに掲載誌が届けられたために、喜んだ医師たちに記事を朗読されてしまった。しかも、あの放牧地で撮られた記事内の写真を眺めていたマキバオーから、「カスケード、まるでぼくのおかーちゃんみたいなのね」と微笑まれた漆黒の帝王は、甚大な精神的ダメージを受けた。
馬の妊娠期間は約330日。カスケードが今年種付けした仔は、まだ生まれていない。
「父親になる前に母親になってしまったか、カスケード」
「……」
本多にまで笑われ、面倒を避けるために寝たふりを貫いた結果、写真の撮影を許してしまったことをほとほと後悔したが、総ては後の祭りだった。
別れの朝は、二頭ともやけに早く目が覚めた。
「どうした。嬉しくて落ち着かないか?」
奇妙な寝床の上で、落ち着かない様子でモゾモゾしている白い生き物をからかう。
「う……ん。元気になって帰れるのはうれしい。けど、なんか寂しい気持ちもたくさんあるのね」
随分近くにいたせいで、マキバオーは寂寥が募ってきているらしい。
「帰ったら、親分がいなくなったときみたいに、ひとりの部屋を寂しく感じちゃうかもしれないのね」
「…………。そんな弱気じゃ、あのねずみに叱られるだろうよ」
「んは……、それもそうなのね。カスケードの声もちゃんと覚えたし、寂しくなったら思い出すことにする」
「……、好きにしたらいいさ」
最後の診療を終えてすぐの9時過ぎ、みどり牧場から賑々しい迎えの軽トラックがやってきた。運転席には源次郎、助手席にはいかめしい顔の調教師、荷台には騎手の山本菅助の姿も見える。いまいましいことに、あの競馬記者たちもちゃっかり荷台に同乗していた。
「んあ~! 虎せんせいと菅助くんも来てくれてるのね~」
医師に抱かれたマキバオーは、手(前脚?)を振りたいのに叶わず、もどかしそうに身をよじっている。
「これはこれは。賑やかなお迎えだな」
「……まったくだ」
本多と苦笑しているうちに、速度を緩めたトラックがカスケードたちが待つスタリオン入り口に到着した。
荷台から飛び降りた山本が、マキバオーに向かって走ってきた。らしいと言えば彼らしいが、すでに号泣している。
「よかった! よかった、たれ蔵くん。よかった!! うっ、うっ……」
「うん……うん……。心配かけたのね、菅助くん」
再会を喜んでいる小さな人馬コンビの盛り上がりは、見ていてとても微笑ましい。が、マキバオーを抱きしめる山本に、勢いあまったのか一緒に抱きしめられてしまった形の医師が少し哀れだった。
かすかに聞こえる連続したシャッター音。
マキバオー闘病記は、どうやらシリーズものだったらしい。差し詰め今度の記事は『無二のパートナー、感動の再会』とでも題されるのだろう。
また妙な写真を撮られてしまわないよう、今度は隙を見せないようにしなければ……とカスケードが難しい顔をしていると、
「……週刊競馬ゴング、ちょっと危ないらしいんだよ。マキバオーの独占記事で、持ち直せばいいんだが……」
「……」
本多から聞きたくもない人間世界のしがらみを聞かされてしまった。
作品名:Return to the dream 作家名:ぽち