恋文
固めている笑顔が崩れた。口を薄く開けて、白い歯が見えたまま笑顔を固めなおしている。若干頬を引きつらせたままで。指先は力を失って、傾いた封筒で片目が隠れた。
「俺の予想では、それは古泉一樹宛の手紙だ」
「それはそれは。何故そう思われるのです?」
「それくれたの、お前のクラスの女子だぞ?」
「知ってます。あなたが手紙を渡される現場を目撃してるんですから。そのように考えられた動機はそれだけですか?」
「それだけだ」
今日初めて笑顔をなくした古泉は、あっけに取られたような顔で目だけを封筒に向けた。その次には馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに唇を歪めて……そんなに睨みつけてやるなよ。一応あの女子生徒の思いか何かがこもった手紙なんだぞ。
「納得がいきませんが、あなたがそういう方向で安心をしているのならば」
封筒を持った右手が振り下ろされた。俺の手に封筒がキャッチされる。
「あなたに判断を委ねます」
「俺に読めと手渡されたもんだから、元々俺が判断するところだ」
「仰る通りです。失礼しました」
しつれいいたしまーす、と丁度いいタイミングでアプリコットとプリンが運ばれてきた。
「プリン、頼まれたんですか?」
「気づいてなかったか」
「これはご丁寧に、僕の分まで」
「ありがたく思え」
「ありがとうございます」
お前のオゴリだけどな。
古泉は俺が手紙の封を破るのを見ながら、スプーンを手に取った。俺はプリンがそっとすくい取られていくのを封筒の先の視界に見ながら、便箋を取り出す。二枚構成のたいそうなお手紙である。
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「どうしたんですか?」
古泉が声をかけてくる。
「何かあったんですか?」
古泉が声をかけてくる。
「キョン……さん?」
まさかのさん付けだ。古泉がそうして普段使わないような呼びかけまで使って返答を求めてくるので、目だけで返事をする。スプーンをくわえた古泉と目が合った。睫毛が長い。
スプーンを形のいい唇から抜いて、その目は俺をずっと見つめている。動作は緩慢で、スプーンを置くまで時間をかけている。
「まさか、その手紙にほだされたなんて仰るんじゃないでしょうね?」
色白の頬がぴくりと動いて、嫌な笑みを浮かべる。妖艶? そういう言葉も似合うかもしれない。
「返事ぐらいして下さい」
口調は穏やかだが、台詞は取り乱している? 俺は古泉を見ながらアプリコットティーを一口だけ飲んだ。甘味控えめ。砂糖のないストレートだからか。
「……すみません」
古泉はとうとうこちらに手を伸ばしてくるが、俺はさっき古泉にやられたようにさっと手紙を引っ込めた。そこで我に返る。
「あ、あのな」
「なんですか。どういったご用件だったんですか。場合によっては僕、失礼ながらその手紙をこの場で引き裂いてしまうかもしれません。僕の知らないところであなたの気を惹かれるような事があっては困りますからね」
いやいやいや、そういう台詞で来るかよ! だめだこいつ。だめだ……俺もだめだ。耳まで赤くなってるのが自分でも判ったからな。なんだこれ。
古泉は古泉で今まで類を見ないほどの真剣な顔で迫ってくるし?
「なんですかその反応は……なんですか! 困ります! 僕の立場も考えて下さい」
声を張るな、こんな公衆の面前で男に迫られてる俺の立場も考えろよ。
「いや」
「またそうやって言葉を濁す。そんなに魅力的な手紙でしたか。あなたの心をそこまで大きく動かす手紙だったとは予想の遥か斜め上とでもいったところでしょうか。そのような文芸がそこにあるのでしたら、是非一度後学の為に拝読したい」
「いや、まだ何も言ってない。お前が走りすぎだ」
「困りますからね。何かあったら」
腹の底から黒く搾り出すような声で、これまた初めて聴く表情となる。「何から質問すればよいのか判りませんが」と、嘆息の次に吐かれた言葉は聴き慣れた声色で安心した。
俺も何から説明すればいいのか判りませんが。むしろお前が知っちゃいかんと思うのですが。古泉はアプリコットをすすり込むと、頭を振って体勢を整えた。前髪を手櫛でとかし、固い椅子に座りなおす。
「すみません、取り乱しました」
その台詞はどこのお笑いグループだよ。
「我々は普段からこうした不慮の事態がないように日々努めているつもりですよ。しかしその手紙の主は我々の監視の目をくぐってきました。我々の監視に穴があるわけがない、つまり、彼女は本来あなたにそういう用事を持っていたわけではない、そう考えるのが妥当です」
今、何気に酷い話を聞いたな。俺がモテないのは『機関』による手回しなのか? 俺に分け与えられるチャンスの芽を全てお前らが摘み取っているのだとしたら、こちらにも考えがあるぞ。
まぁ、その推理はこちらとしては残念な事に、あながち間違ってはいない。
目を閉じて少し反省をしている風な古泉の表情は端整である。様になる男だ。奴が目をゆっくり開くところまで確認した。
「俺もちょっと取り乱した。すまん」
さて、話を始めようじゃないか。まぁ、俺としても反応し辛い手紙だったという事で、ともかくお前も読んでみるがいいさ。渡したその便箋は古泉一樹宛である、と言ってもかまわない。
古泉は柔和な表情を心がけつつ便箋を広げた。アプリコットのカップを口元にかまえて、そのまましばらく動作がなくなった。便箋の文字に視線を這わせている目だけが判る。
こほ。判りやすく表すなら「こほ」だろう。実際はアプリコットを顔の穴という穴から噴き出さないように口を閉じて咳き込んだ音声で「くふぉ」と聴こえた。
ゆっくりとカップを唇から離してソーサーに置いたところまで見届けて、俺は背もたれに体重を預けて腕を組んだ。
ざまあみやがれ。古泉はみるみるうちに涙こぼれそうな顔で頬を染めていく。
「これ……あなた、読んだんですか?」
「読んでるところ見ただろ」
「これ……」
「ああ、読んだよ。読みましたよ」
「よく、僕に読ませてくれる気になりましたね」
「読みたがってただろ」
「そういうつもりではなかったのですが」
「そりゃそうだな」
そんなつもりで近づいてたわけじゃないんです。思われているような動機では一切ありませんし、そんな事望んでいませんよ。肩叩くぐらい普通にある事だと思いますし。同じ部活動をしているようなもんなんですから、帰りが一緒でも不思議ではないかと。笑顔が多いのもあなたが居るからという括りではありませんし、それは大きな誤解というものです。そうでしょう? あなただって僕にそんな気があるわけじゃありませんよね? いえ、疑うのはおかしい。すみません。でもこんな見られ方をしているとは思わなくて。あの、なんとか言って下さいよ。あ、なん、なんで僕の事見つめてるんですか? いえ、誤解ですよね?
以上、古泉が唇を震わせ蚊の鳴くような声で喋った言葉全文。俺は落ち着いた後なのでのんびりと古泉の慌てっぷりを眺めていられるわけだ。