歩んできた時間
お酒によってほんの少し火照った体に夜風はとても気持ちがよかった。
けれど、私の右手だけは異常に熱い。
フランスさんは店を出た後もずっと私の手を握ったまま歩く。
その手を無理に離すことなど出来なくて、私も気にしないものとした。
「日本?」
「はい。」
「寒くない?」
「大丈夫です。」
「そ?」
ふんふんと鼻歌を歌い、時折口笛を吹くフランスさんは道に迷うことなく私が泊るホテルへ向かう。
「フランスさん。」
「何?」
「早歩きにしましょうか、でないと戻るのに大変でしょう?」
15分で戻るというのは不可能ではないとはいえ、やはり大変には違いない。
しかし、そんな私の言葉にフランスさんは笑った。
「あはは、嫌だよ。折角日本を独占出来る時間なのに。俺の予定ではゆっくりめに歩いて14分30秒かけてホテルに到着して30秒で店に戻るつもりなんだから。」
サラリとそう言われ、私は「それは無理ですよ。」と答えたが、フランスさんは「そうだねぇ。」と言ったまま歩く速さを変える気は無いらしい。
「俺のことは気にしないで。無事に日本をホテルに送るのが使命なんだから。」
にっこりと微笑まれそう言われては、もう何も言えなかった。
「せっかくだから楽しくお喋りしようよ!日本は俺に何か聞きたいことある?」
フランスさんは私を見て、楽しそうにそう言った。
突然そんなことを言われても、アドリブに弱いのは国民性なのか、「あ、う。」と言葉に詰まる。
「なんでも良いよ。日本にならなんでも知って欲しいんだ。」
優しい笑みでそう言われ、私は頭をひねり絞り出した。
「で、では、戦歴、とかどうですか?」
「…戦歴?」
「随分血なまぐさいことを聞くんだね。」と苦笑され、私は顔を赤くして否定した。
「あ、そうではなく、…前にイタリアくんが女性との交際歴を『戦歴』とおっしゃってまして…その、フランスさんは『愛の国』と呼ばれるほど男女交際が盛んなのかと、あぁ…そうではなく、我が国では恋愛観が薄れてきてまして、それで、何か良いアドバイスでも頂けたら…なんて。」
言えば言うほど墓穴を掘ってるのがわかる。
いつもそう、この方の前ではどうにも調子が狂う。
「つまり、俺の女性関係を知りたいってこと?」
「あ、はい。」
「やっだー、日本たら大胆だねぇ。ヤキモチ妬かない?」
「や、妬きませんよ!」
ニヤニヤと笑われ、思わず声を荒げるとフランスさんに「もちろん、教えてあげる。」と耳元でささやかれた。
「とは言ってもね、俺が本気で恋した人は少ないんだよ。」
「そうなんですか?」
「…意外、だと思う?」
「あ、いえ、その…。」
「3人。」
フランスさんは微笑んだ。月の光に照らされたフランスさんの表情はどこかいつもと違って見える。
「3人だよ。」
「…3人…。」
「一人は俺を…『フランス』という国を愛し、戦ってくれた人。もう一人は自由を愛し、最期まで美しかった人。そして、最後の一人は…たった今俺の左手を握っている人。」
思わずフランスさんを見ると、フランスさんと目が合う。
「お上手ですね。」
「まぁね。ドキッとした?」
「ええ、とても。」
「愛を成就させる秘訣はね、『逃げない』ことだと思うよ。」
フランスさんの私の手を握る力が幾分強くなる。
「俺は彼女たちの処刑の日に、逃げたんだ。」
フランスさんは俯き、その表情はわからない。
「そして、後悔した。…だから、もう後悔したくないんだよ。」
フランスさんが立ち止り、ふと、気がつくとそこは私の泊るホテル前だった。
「…ホテルに…。」
私が言いかけるとパッと顔が上がり、そこにはいつもの笑みを浮かべたフランスさんが居た。
「ああ、着いちゃったね。残念。」
「はい、是非またそのお話を詳しく聞きたいです。」
私がそう言うと、フランスさんは照れくさそうに苦笑した。
「参ったな、本当は柄じゃないんだ。昔の失敗話なんてさ。…けど、日本の望みなら叶えてあげる。」
「ありがとうございます。」
「満月の下に居る日本はいつも以上に綺麗だね。」
そう言われ上を見上げると、確かにそこには美しい満月が光っていた。
すぐに満月が陰り、その影がフランスさんだとわかった。
ああ、キスをされる。思わず目を瞑ると、チュィンッという鋭い音がした。
目を開けると、フランスさんの高い鼻の先が火傷をしたように赤くなっている。
「…撃たれたね。」
「・・・撃たれましたね。」
確かに私たちの数歩先に銃痕が残っている。
フランスさんのケータイが震え、フランスさんが「スイスだ。」と言って出た。
『15分まで1分をきった。次は当てるぞ。』
「…何処から狙ったの。」
『愚か者、屋根に登ればお前を狙い打つことなど造作ない。』
「・・・。」
静かにケータイを切ったフランスさんは、「ごめん、俺、『鷹の目』に狙われてるみたい。」
そう笑って、私から離れた。
「今日は帰るよ。おやすみ。」
「ええ、ありがとうございました。おやすみなさい。」
ホテルのドアを開け、フランスさんに背を向けると後ろからフランスさんの声がした。
「俺はもう、後悔したくないんだ。」
振りかえるとドアが閉まるその隙間から一瞬、笑顔で手を振るフランスさんが見えた。