歩んできた時間
珍しい訪問者に一瞬言葉を失う。
私は目を瞬かせた。
「フランス、さん?」
「うん、お兄さんだよー。やだなぁ、忘れちゃった?それとも見惚れちゃった?」
相変わらずの軽い雰囲気に私は思わず噴き出す。
どうぞお入りくださいと、入られた瞬間「誰か来てるの?」と聞かれる。
フランスさんの視線は下がり、玄関先の靴にある。
なるほど、確かに私の物とは思えない大きな靴は一目瞭然だ。
「ロシアさんが来てます。」
「うん、でももう帰るよ。」
突然気配もなく現れたロシアさんに一瞬肩が揺れる。
「え、」
「もう僕の用事は済んだんだ。…それに邪魔者も来たし。」
その視線はフランスさんに注がれる。
フランスさんは「酷いなぁ」と呟きながら笑う。
「日本くん…ううん、キクくん。」
ロシアさんが靴を履いて言いなおしながら私を見る。
「はい。」
「僕のことさっきみたいに呼んでよ、コレカラは。」
「え、と…。」
「ね?」
にっこりと口は笑ってるのに目は笑わない。
これは了承意外は許さないと言外に言っている。
「…わかりました。イヴァンさん、お気をつけてお帰り下さいませ。」
「バイバイ、キクくん、フランスくん。」
頭を下げると、カラカラカラとドアが開き、ピシャンと閉まった。
私はその間ずっと頭を下げていたから気がつかなかった。
フランスさんが私の方を見ていたなんて。
「日本って『キク』って言うんだ?」
客間に通して開口一番にそう言われる。
私は素直に頷いた。
「はい、人名ではキク・ホンダと言います。」
「へぇー、知らなかったなぁ。俺の名前は知ってる?」
にこっと微笑まれる。
知っていたけれど、今まで呼ぶことの無かったその名前を口にした。
「フランシス、さん、ですよね?」
フランスさんが嬉しそうに微笑む。
「知ってたんだ?」
「前にイギリスさんが呼んでいるのを聞いて…。」
「そっか、嬉しいな。少しは俺に興味があるんだね!」
ニヤニヤと笑うフランスさんに私はどのように表情を作ったらよいのかわからず苦笑してしまう。
本当に欧米の方々はどこまでが本気なのかわからない。
欧米の方に言わせれば日本の『八つ橋に包む』言い方のほうがよっぽど複雑怪奇だとおっしゃるけれど。
「今日はどうされたんですか?」
「ん?」
「何か御用でしたか?」
フランスさんが「んー…。」と少し考えたように天井を見上げる。
「花を…。」
「花?」
「そ。今俺は大切に大切に花を育ててる最中なんだけどね、今日あたり変な虫がくっつきそうだったからさぁ。」
私の質問の答えとは思えない内容に内心首を傾げたが、「はい。」と返答する。
「殺虫剤をまきにきたような感じ、かな?」
にっこりと笑みを濃くしたフランスさんが私の髪を撫でた。
まるでガラス玉のような瞳が私を見ている。思わず目をそらした。
…意味は、理解出来た。けれどいっそ理解できない方が良かった。だって熱くなる頬を一瞬で冷やす方法を私は知らない。
「…そうですか。」
「そうなんです。」
静かな時が流れる。いたたまれない空気に何をどう切り出したら良いのかと、私は黙る。
さっさとお茶を淹れたりするんじゃなかった、その湯呑にはまだ熱いお茶が湯気をたてていて、これでは「お茶を淹れる」という名目でこの空気を払えない。
「…っキク、というのは…花の名なんです。」
情けなく声が裏返る。フランスさんは私の動揺を見越して「へぇ、」と驚いたようにこえをあげた。
「私を菊の花のようだと、そう言って名付けて下さいました。」
「…誰が?」
フランスさんの少し探るような目に一瞬で過去のあの人がよみがえる。
「何よりも、天下を・・・私を望んで下さった方です。」
思い出すと少し胸が痛い。
「俺も日本を、キクを望んでるよ。」
フランスさんの瞳がいつもと違うと気がついた時には、私の体は畳に打ちつけられていた。