空と海の境界
大きな壁。
それは俺が気にしすぎているだけなのかもしれない。
現に伊達殿は気になどしていない、と言っていた。
だが、伊達殿が気にしていないと言っていても、それがなくなることは決してない。
いつまでも付きまとって離れないものである。
自分がつけたわけではない、生まれた時からそうだった。
今まで、別にそれが疎ましいと思ったことはなかったし、気に留めることもなかった。
思い知らされたのは、最近のことである。
伊達殿と会ってからだ。
俺と伊達殿が持っているものは全然違っていて、嫌でも自分に付きまとっているものを認識せざるを得なかった。
もちろん、初対面の時は持っているものが全然違うなどとわかっていなかったものだから、無謀にも戦いを挑んでしまったのだが。
伊達殿自身が気にしておられないようなので、今のところ俺にお咎めなどは全くないが、逆に伊達殿の気分一つで、俺は罰を受けることになる。
それほどに、俺と伊達殿には違いがある。
それが大きな壁を生み出しているのだ。
たとえ、お互いが気にしないと言っても、この世界で生きている限りなくならない壁。 乗り越えられない壁。
ただ、一部を壊して、近づくことができるのであれば……。
「伊達殿」
意を決して、正面から伊達殿を見据える。伊達殿は少し口元を持ち上げて、いいねぇ、と呟いた。
「いい顔してるじゃねぇか。話す気になってくれたってわけかい?」
「その前に。以前、伊達殿は身分など気にしないと仰られましたが、その気持ちは今でもお変わりありませんか?」
「ああ、身分に何の意味がある? もちろん、上手く使えば自分にとって得になることもあるだろうが、色恋では意味がない。俺は身分に惚れちゃいねぇからな」
伊達殿の左目が俺を捕らえている。吸い込まれそうな澄んだ瞳に、伊達殿は嘘をついていないと判断した。
そして、伊達殿を信用することにした。
「こだわり続けていたのは、私のほうだったようです」
「こだわり?」
伊達殿の問いかけに首を縦に振り、俺はきびすを返した。そのまま歩みを進めると、伊達殿はチカちゃん、と俺の名を呼びながらついてきた。
橙色に染まっていた空はすっかり黒く染まり、海と空の境だけがまだ橙の色を残していた。
それもそのうち消えてしまい、海と空の境目まで曖昧になり、同化してしまうだろう。 そんな風に曖昧にすることができるのであれば、いいのかもしれない。
俺と伊達殿との境目も。
「何にこだわってたんだよ?」
伊達殿は黙って歩き続ける俺に痺れを切らしたのか、再び問いかけてきた。
歩みを止めて、俺は大きく息を吐き出した。
「身分です」
「身分だと…?」
「ええ。私と伊達殿を大きく隔てるものです」
「チカちゃん!」
伊達殿は俺の肩を掴むと、思い切り引っ張ってきた。振り返らされた俺は、伊達殿と対面する。
伊達殿の瞳には少しの怒りの色。
「俺は気にしちゃいねぇって言ってたはずだろうが! それなのにチカちゃんは…!」
「申し訳ありません。それでも、私は気にしておりました。私のいるところと、伊達殿がいるところはあまりにも違いすぎておりましたので…」
「チカちゃん!」
伊達殿は俺の両肩をしっかり掴んで、力を込めてきた。
「…チカちゃんは、俺の気にしねぇって言った言葉を信用できなかったのか…?」
「そうではないのです。ただ、伊達殿は伊達殿が住む世界があって、こんな私のようなものに目を向けておられるお人ではない、と思っておりましたから…」
「だから、俺を遠ざけようとしたと? 俺から奪った宝をわざわざ返すような真似までして?」
俺の肩を激しく揺らしてくる伊達殿に向かって、俺は無言で頷いた。
二度と会わないと宣告し、宝を返すことで伊達殿とのかかわりは全てなくなるだろうと思っていたからだ。
そうすることで、お互いの世界に、お互いが足を踏み入れることもなくなる、と俺は考えていた。
だが、そうすることで自分自身がこんな思いに駆られるとは予想していなかった。
離れれば離れるほど、近づきたくなる。
手に入れかけていたものを、無理に手放したことによって余計に欲しくなる。
俺は肩を掴んでいる伊達殿の腕に触れて、搾り出すように、伊達殿、と声にした。
「正直に…、お話…いたしましょう」