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Secretary

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記憶


 車を六本木方面へ走らせながら、吾郎は盗むようにルームミラーに映る主の姿を見た。後部座席の、吾郎とは斜に当たる方で、北岡は腕組みをして首を前のめりに眠っている。
 顧問弁護士として契約している会社が幾つもあって、今日もこれからそのうちの一社の会議に出席する。その為の資料作りの他、弁護依頼も何件か持ち込まれ、重なった仕事に連日追い回されている。ここ数日は満足な睡眠など取れていない。
 眠る北岡の為に、吾郎は車内のBGMにクラシックをかけ、先方との約束に間に合う時間までできるだけ長い距離を走った。金にならない仕事はしない。そう公言していても、一度持ち込まれた話を調べずにはおけない。
「引き受けてないよ。今後の参考に、知っておくだけさ」
 そう言って北岡は、断った依頼にも少しずつ手を貸しているのだ。
 そういえば、そんな風にして知り合ったあの少女はどうしているだろう。先月か、もうすぐ母親のリハビリが終わって退院できるのだと、一緒に散歩した病院の中庭で教えてくれた。
 正式な仕事ではなかったけれど、名前も住所も知っている。元気でいるだろうか、今度手紙でも書いてみようか。


 仕事先のビルの地下駐車場へ静かに車を停めると、北岡の乗っている側のドアを開け、先程と全く様子の変わらない主に声をかける。
「先生、着きました。起きてください」
 肩にかけかけた手を引いて、代わりに耳を北岡の顔ぎりぎりまで近づけた。スゥ、と細く小さな吐息が一定のリズムを刻んで聞こえた。
 どこがかジク、と痛んだ気がして、吾郎はほんの一時、コンクリートが打ちっぱなしになった駐車場の天井を仰いだ。
 自分の為と言いながら人の為に身を削るこの人に、死は確実に近づいている。今眠っているこの姿で、明日はもう呼吸さえしていないかもしれない。そうなってしまった原因の一端は自分にある。代われるものなら。北岡と共にいるようになって、何度そう思っただろう。全くキリがないのだけれど。
 吾郎は一度強く瞼を閉じ、開くと北岡の肩を優しく叩いた。
「先生、起きてください」
「…ん……着いた?時間は?」
「約束の10分前です」
 北岡は座って身を縮めた格好で伸びをして、億劫そうに車外へ降りた。資料の詰まったアタッシュケースを渡され、軽く顎を上げると吾郎の手がネクタイの曲がりを直す。
「5時に迎えに来てくれる?ロビーで待ってるから」
「はい」
「それと吾郎ちゃん、明日なんだけど」
 明日、と聞いて吾郎の頭の中でスケジュールが繰られていく。今日のような大きな仕事も、案件もあらかた片付いて、後は細々としたデスクワークが残っているばかりだ。急な仕事でも入ったのかと黙っていると、
「花見をしよう」
 と言い出した。
「もうずっと働きづめなんだよ?知らない間に葉桜も通り越してるってどういうことよ、ここらで休んだって、罰は当たんないでしょ」
 とはいえ、この時期に桜が残っていそうなのは寒い地域の山の中くらいだろう。ようは花見と称してどこかへ出かけたいのだ。考えてみれば、北岡は暫く外出らしい外出をしていない。
「景色の良い所がいいなぁ、おべんと持ってさ」
「何か食べたいものはありますか?」
「だし巻き卵」
「それなら夕食に作りますが」
「外で食べるのが良いの!…って時間だ」
「いってらっしゃい」
 じゃあねー、と手をひらひらさせて北岡はエレベーターのある方へ走っていった。主の言うだし巻きは、砂糖たっぷりのまるでお菓子のように甘い卵焼きだ。


 約束の時間までまだ大分あった。
一本の電話が、家にいた吾郎に北岡の急を告げ彼は主の運び込まれた病院まで最短の道に車を走らせた。車内には、北岡のためにかけていたパッヘルベルが不自然な途切れ方をしながら流れている。北岡の状態を聞こうとかけた携帯電話は、どういうわけか何度ボタンを押しても繋がらない。苛立ちを募らせてアクセルを踏み込んだその時、視界いっぱいに強い光が満ちて吾郎は思わず目を閉じた。
 車全体が何かと衝突し、吾郎は自分の体が宙に浮いたように感じ、どの方向を向いているのか分からなくなった。


 その後は 知らない


作品名:Secretary 作家名:gen