平和島さんが同人誌を出したようです。
最初に、静雄の姿に気づいたのは門田だった。同じ学校の同級生でもある彼は、初めて出会った高校の頃から誰にでも分け隔てなく接することのできる人物だった。しかもそのことを極当たり前にやってのけるものだから、彼自身のあずかり知らないところで、彼のシンパは増え続けていた。
たぶんいつも彼の後ろにいる二人も、そうなのだろう、と静雄はそんな三人を少しうらやましく思いながら、近づいてくる門田を見遣った。
「よぉ、何やってんだ?」
「・・・・ああ・・鳩を見てんだけどよ」
仕事に行かずにこんなところでぼけっとしている静雄に、門田はそんなふうに声をかけてきた。それで静雄は何気なく返事をしてしまったのだった。
今から思えばそれも間違いだったような気がする。
門田と二言、三言、決して言葉数の多くない会話を交わすうち、門田の後ろから入り口にいたはずの二人がひょっこり顔を出した。そのとき静雄はそれを見て、鳩のようだなと、思ったのだった。
思いだしてきた。眉間に皺を寄せつつ静雄は膝に置いた手のひらに力を込める。
にこやかな笑顔で話しかけてきた黒服の女と、ハーフの男に、一瞬静雄が呆気に取られているあいだに、いつの間にやら話がまとまって、何故だか静雄は彼らと喫茶店に行くことになっていた。静雄に話しかけてきた三人は、ワゴンを運転していた男になにやら声をかけて、さっさと公園を出て行く。すでに昼になってしまっていた公園に、正午を告げるチャイムが響いていた。ぼんやり立ち尽くす静雄を遠くから門田が呼ぶ。
連れられて入った喫茶店は、俗に言うメイド喫茶というやつだった。
何だか諦めきったような顔で静雄に謝る門田に、誘ってもらった礼を言ったのも、たぶんきっと間違いだったのだろう。そうでなければ、あの門田の疲れきったサラリーマンのような表情の意味がわからない。
もはや完全に静雄は思いだしかけていた。いや、思いだしていた。単純に思いだしたくなかったので脳が思いだすことを拒否しているだけだ。
何処で間違ったのか。
静雄はそれを思いだそうとしていたが、結論から言うと全部間違いだった。つまり静雄はことごとく選択を間違えたのだ。
喫茶店の中でご機嫌な二人の会話が弾んでいるのを、静雄は微笑ましく見ていた。門田はそっと視線を外し、生温かい目をしてコーヒーを啜っていた。静雄は会話を気にするなと忠告されていたが気になるので聞いていた。絵の話が出たのは、同人誌の話から、メイドの中に有名な大手サークル所属の同人作家がいるらしいという話題の流れだった。
件のメイドを呼んで今度は絵の話で盛り上がるふたりに、突然視線を向けられた静雄はくわえていたストローを落とした。
そのあたりの記憶がどうにもあやふやなのだが、いろいろなことを総合的に分析すると、店に備え付けのメモ用紙の裏に静雄が描いた落書きがことの発端だったようだ。しかし静雄自身、落書きを描いた記憶もあやふやなうえになぜこうなったかが全くわからない。
楽しく絵を描いて見せ合う彼らを、ただ見ていただけのはずなのに。
気がついたときには静雄は何処だかわからない見知らぬ部屋でマジメに絵を描いていた。いや、絵というより、漫画だった。大雑把に描かれた枠組みと人影に沿って、ひたすら線を描いていく作業。次第に進む時間。途中で何度か頭の中に疑問が浮かんだが、今思えば何故そこで引き返さなかったのだろうか。
もう、あたまがおかしかったのだとしか思えない。
作業の間ほとんど休むこともなく、そして二日前の朝、平和島静雄は生まれて初めて描いた漫画を、目の中に星をきらめかせながら手を差し出す黒服の女に渡したのだった。
作品名:平和島さんが同人誌を出したようです。 作家名:藤枝 鉄