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 3人の視線が窓辺の彼に向いた。そのとき、一頭の別のブウサギがブキブキ呟きながら戻ってきて、ブウサギルークの腹をこづいた。サフィールがそれを見て、おやおや、と大げさに呟いた。ピオニーが口笛を吹く。
「可愛いほうのジェイドは面倒見がいいなあ」
「……その言い方はやめてくださいと何度も申し上げたはずですが」
 ジェイドが顔をしかめるのを見て、ピオニーが笑った。少し遅れて、サフィールが笑った。
 ルークはジェイドにさんざんこづかれ、キュウキュウ文句めいた声を上げながら部屋の外に誘導されていった。


 
 
「オラクル兵に囲まれて、死んだと思ったら、次の瞬間、外にいたんだ。あいつの目で世界を観ていると直ぐに分かった。何度かやってたからな。ただ、それまでなら俺の方が力が強かったから、あいつを押えて俺が動くこともできたんだが、あのときは殆どできなかった。ただ、観てるだけだった……」
 キムラスカ王国はしばらく蜂の巣をつついたような大騒ぎだったらしい。王位継承者兼、王女の婚約者兼、救国の英雄。死んだと思われていた彼が、帰ってきたのだから。祝賀の特使として訪問したジェイドが、アッシュと二人きりで話す機会を得ることが出来たのは、バチカル訪問後数日たった、ある日のことだった。
 アッシュは身体上の異常はまったくなし。いたって健康そのもの。斬られたはずの、傷さえ残っていない、という。
「ずっと観ていた?」
「そうだ。そしてあいつがローレライを解放した。ただ……」
「ただ?」
「コンタミネーション、とか言ったか」
 バチカルはグランコクマより少々蒸し暑い気候らしいが、この部屋は涼しかった。かすかに潮の香りがするのは、ここも海に近いしるしだ。
「そんなことが起こるとすれば、あのとき起こっていたんじゃないかと俺は思う」
 ジェイドの、記録をとる手が一瞬、止まった。
「いつですか」
「ヴァンを倒した、すぐ後だ。……あんたは握手をするのに左手を出したろう」
 ええ、とジェイドは頷いた。
「あいつが左利きで俺は右利きだ。……一瞬、俺も手を出そうとしたんだ」


 ……結局ルークは、その死後になにも残さなかったのだろうか。
 話の途中で、急な呼び出しをアッシュが受けてしまったため、話はいったんそこで打ち切りになった。アッシュは必ず、再度場を設けると約束してくれたが、ジェイドもそうそう長い間マルクトを留守にするわけにもいかない。
 王宮に部屋を用意するというのを断って、ジェイドは下層階市街地区に宿をとっていた。貴族居住地区を抜け、階下に降りる昇降機のほうに向かおうとしたとき、彼を呼び止める声がした。ジェイドは振り向いた。
「ジェイド、貴方も、ルークが帰ってこないと知っておいででしたの?」
 王だの皇帝だのというのは勘がよくないと務まらないのか、ナタリアはその澄んだ瞳を、ひたとジェイドに向けた。
「も、ですか」
「ベルケンドに問い合わせましたの。そうしたら、スピノザたちが話してくれましたわ。……彼らに口止めしていたのですね、貴方」
「ええ」
「何故?」
「それがルークの望みだったからですよ、ナタリア」
「嘘ですわね」
 ナタリアはぴしゃりと、ジェイドの台詞を遮った。
「ええ、嘘です。ルークはそんなこと、私に頼みはしませんでした。ビッグバンの詳細については彼も知らなかった筈ですし」
「なら、どうして?」
「さあ、なぜでしょうか」
 正直、ジェイドにもよく分からない。ただ、崩壊するエルドラントを離れて、最初に彼がしたことのひとつが、ベルケンドにその件についての鳩を飛ばすことだった。
「私は……」
 ナタリアはかすかに眉根を寄せた。
「ルークの……アッシュの死んだことは、どうしても信じられなかった。あの場でルークが嘘をつくはずがないと分かっていても。だから、ルークに帰ってきてほしかったのかもしれません。アッシュが死んだなんて嘘だ、そう、彼の口から言って欲しかった」
 ひどいでしょう?そう呟いて微笑むナタリアは、ともに世界を旅したあの頃よりも、数段大人びていた。
「私、ほんとうはなにを待っていたのかしら」
 ジェイドが手巾を差し出すと、彼女はかすかに笑って、それを受け取った。
「彼には、黙っていてくださいね」
「当たり前です。貴女を泣かしたなんて、もしばれたら生きてバチカルを出られませんからね」
「まあ、ルークはそんなに野蛮じゃありませんことよ」
 ぷんと唇をとがらせる彼女に、わずかなあの頃の名残。
「どうぞお幸せに」
「その前に、国の安定ですわ」
 
 
 ティアはもともと歳より老成して見えるほうだったが、尖ったところがなくなった。時折会うたびに彼らの変化を見るにつけ、自分らがそんなに急激に変ることのできないことを思い知らされる。
「大佐は……あ、すみません」
「いいですよ、大佐でも二等兵でもお好きなように」
「……相変わらずのようですね」
 たびたびバチカルに来ているという彼女と街路ではちあわせをした。聞けば、教団の実務の他に、折々にファブレ侯爵夫人シュザンヌの話し相手になっているのだという。私には母の記憶がないから、理由を聞くと短くそう答えた。
 バチカルの市街地にはまだ、ところどころに祝いの花飾りが残っていた。
「ルークは、あ、私たちと旅した方のルークですけど」
「面倒ですねえ、この事態は」
「そうですね……、って、た…ジ、ジェイド!話をごまかさないでください」
「すみませんねー、歳をとるとどうも認識力が落ちていけない」
「ですから……」
 いじりやすい性格はあいかわらずのようだ。
「ルークは、帰ってくるって言ったんです。約束がある、って。でも彼、いろんな人と約束してたんだわ。アッシュとも約束してたし、ナタリアとも」
 海からの風が強くなった。ティアの長い髪が風になぶられ、彼女の表情を見えにくくしていた。
「あなたとも、……そうでしょう?」
「……ええ。ルークから聞きましたか?」
「エルドラントに行く前の夜に」
 ひとは、年月を経ないと話せない秘密があるのかも知れない。ふと、ジェイドは思った。ビッグバンの一件を旅の仲間に隠したのも、そのせいなのか。時が経てば、大人になった彼らに打ち明けることがあったろうか。
「だいぶ後になって、ルークの言っていた意味が分かったんです。アニスに呆れられてしまいました」
 城壁に手をかけて、ティアはよどみなく話す。
「どうしてそこでもう一押ししなかったの、ですって。……でもあの頃の私は、ルークに甘えてたから。フラれて正解だったのかも。告白したつもりはなくても」
 こんなこと、大佐に言うのもおかしな話ですよね。ティアはそう言って、振り返り微笑んだ。ジェイドも、笑顔を返した。
「で、ティア。いつになったら私は出世させて貰えるんでしょう?」
「……あ」
 
 
 
「うまく説明できないんだが、あそこにはあいつと俺とローレライがいたんだ」
 いよいよ科学とは遠い話になってきた。サフィールあたりがなんと言うやら。自らの理論をことごとくひっくり返される衝撃と快感。ジェイドは目で、アッシュに続きを促した。
「俺の体が治るまで、って言われて、あいつといろいろ話をしてた」
「そのときの身体感覚は」
作品名:みんなで、しあわせ。 作家名:梁瀬春樹