涼の風吹く放課後 お試し版
涼も頭の悪い子ではないので、俺の言うことはとうにわかっているようだ。「そうやって正直に言ってくれるのは本当にありがたいよ。」とも言ってくれる。でも、どうしても歌からは離れられないらしく、いつもイトコさんからもらったカラオケや図解入りの振り付け資料を見て練習している。もちろん、イトコさんは女性アイドルなので、男性アイドル用の楽曲とはちょっと言い難い曲が多い。ただ、そんな女の子っぽい曲も、涼はとても可愛らしく歌い、踊りあげている。
もしかしたら本当は、「男らしくなりたい」というのは涼の中では二の次で、ただ純粋に歌ったり踊ったりすることが好きなのかもしれない。そう思うほど、涼は一心不乱に歌や踊りの練習をしていた。
そして、この不幸な『事件』のあった日にとうとう、涼は現役アイドルのイトコに頼ることを決心した。もちろん、何もコネがないよりはチャンスがあることは間違いないだろう。ただ、その先に何が待っているかは、俺にはもちろん知るよしもないし、今までのように俺が守ってやることも出来ない世界だ。そう思いながらダンスの練習を続けている涼の背中を眺めていると、先程の白く大きな羽根がチラチラと視界に浮かんでくる。なぜそんな絵が浮かぶのか。もちろんそれがギリシャ神話のイカロスの絵を重ね合わせたものであることは容易にわかることだった。イカロスは、あまりに太陽に近づきすぎて、羽根を固めていた蝋を溶かしてしまい墜落した。
思いとどまらせようか、とも思った。しかし、涼にこれ以上辛い思いをさせることのほうが問題だ、と思った。涼の持つ輝きは、地上に置いたままでは強すぎて、かえって反発を誘うこともあるということを思い知らされてきた。この日、涼が女子学生から受けた叱責のように。
ここまで俺は、せめて涼を取り巻く不利な環境が払拭されるまでは、涼を守ってあげられる場所にいたいと、出会った頃から不思議と自然にそう思い、行動していた。学校の中で俺のことを『涼キュンのナイト君』とからかう声にも動じなかった。俺自身の涼に対する意識は、もちろん男同士でもあるし、恋愛感情のようなものだとはゆめゆめ思っていなかった、少なくともこの時は。
「決心がついたなら、律子さんの話をこれまで以上にきちんと聞いて、そして律子さんの迷惑にならないように自分の力を出し切るべきだ。」
結局、俺はこう言って涼の背中を押した。
作品名:涼の風吹く放課後 お試し版 作家名:みにもみ。