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acoustic stories / 紅花

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 side:Yuri

 夕どきになると、どこからともなくカゴやメモを手にわらわらと集まってくる人々。
 ビビッドなオレンジに染まるなだらかに続く坂道。その坂道の両脇に所狭しと軒を並べる露店があり、その店先には食べ物や日用雑貨品が並ぶ。
 花売りの子供。薬を売る年寄り。
 酒をかっくらいながら夕涼む人だかり。
 道ばたの家々の窓の灯かりが、家庭の数だけ、ぽつぽつと、点きだす。
 行き交う人々はすれ違う相手と気軽に挨拶を交わし、今日もそれなりに平穏だったと暮れていく、トマトをつぶしたような色の空の下、一日が終わる。
 昔から知っている、少し埃っぽく、湿っぽくて、温かい空気に包まれている下町。
 誰もが歓迎される場所。
 今日はちょっと風が強かったよなー、とか、今晩はミートローフにするかー、とか、家内が家出ていっちまってせいせいしたが食う飯に困るわー、とか。とりとめのない会話に、歌もへったくれもないような気のいい誰かの口笛がひゅるっと通り過ぎ、疲れて落ち込んでいる誰かの肩があるのなら、誰かがそれを笑って叩いていく。
 そんな馴染みの場所を、歩いていた。
 「おう、ユーリ!これ余りもんだから持ってけ!」
 「あん?」
 呼び止められる声と同時、なべらかな深い赤色の物が小さな放物線を描いた。
 「ぉー、っていいのかよ、売りモンだろこれ」
 「おまえさんたちのおかげで子供たちも好きに遊ばせてやれるしな」
 果物と香辛料が並ぶバザールテントの奥で、店の主人は嬉しそうに言う。
 間髪入れず、二個目の丸々とした林檎をぽいっとされて、思わず気が抜けて笑ってしまった。
 「儲かんねぇ商売してんなあ」
 たったこれっぽっち。嬉しくておもたい、一個あたり四五〇グラムぽっちだ。
 酸味が強いからそんままじゃ食うなよ、と三個目を投げられ、ふうんと返す。
 鼻先に近づけ、その甘酸っぱい匂いを嗅いでみる。
 「あらちょっと、それならそこの牛乳も持ってってちょうだいよ。どうせ腐らかすだけだから」
 となり店の割烹着のおばちゃんが出てきて、かんらかんら笑いながら、自分の店先の牛乳を指差した。
 「はあ?いや、そんな持ってけ、」
 「特製レシピも入れといたげる。あの男所帯だもの、気分転換に料理でもなさいな、ほら」
 有無を言わさずのしっと、太い腕に茶色い紙袋を押し付けられる。
 牛乳の賞味期限は一週間後って書いてある。
 すぐに腐れるわけがない。
 「ちょ、」
 任務ついでの官舎までの帰り道、ちいさい寄り道がとんだおすそわけ参りになってしまい、さすがにどうしようか迷っていると、それを知ってか知らずか、痺れを切らすのが早すぎるおばちゃんがずいっと店の中から出てくる。
 「まったくもう。毎日見てた顔が見れなくなったってだけで寂しいってのに、しなくていい遠慮まで覚えられちゃあたまんないよ」
 手に持っていた牛乳をぐいっととられて袋にガサガサ入れられて、手にしてたりんごもその中にぶっこまれて、ずしりと膨らんだ重たい紙袋を持たされる。お代は礼のたったひとことだってんだから、本当に商売上がったりだ。
 その遠慮のない手。
 苦労と思いやりのすりこまれた、硬い手のひら。
 よっぽど自分の手なんかより厚くて力強い。
 「あんた顔、傷だらけんなったねぇ。頬のとこ、えらい腫れてるじゃないの」
 そう言って、ちょっと汚れた割烹着の裾でぐいっとやられそうになった。
 思わず後ろに下がると、そんなに引かなくても、って笑われる。
 頬の傷は打撲というよりはこっぴどい擦過痕が腫れたやつだった。そんなもんにそうなことやられちゃ、間違いなく涙がでる。この勝手知ったる往来で。
 「おいおい。まさかそれ、貴族のやつらの仕業じゃねえだろな。あいつら陰湿だし、ねっちねっちねっちねっちされてんじゃないのか?」
 「あー、いや、違う違う。貴族は大っ嫌ぇだけど相手にしねぇし。こりゃ訓練でだよ、フレンのやつにやられたんだ」
 紙袋を小脇にかかえて肩を竦める。
 頬は痛いわ、体のあちこち筋肉痛だわ。
 痛む箇所を挙げたら、キリがない。
 ああそうかなるほどねえあっはっは、って、二人して似たような反応が返ってくると、ため息が洩れた。
 そういやぁ最近顔を見ないね、なんて、そんな二人の話に耳を傾けながら、暮れ行く空を見上げる。
 腰にさした剣と、抱えた紙袋と。
 どちらの重たさも同じように感じるってんだから、持って帰るしかない。

作品名:acoustic stories / 紅花 作家名:toro@ハチ