acoustic stories / 紅花
side:Yuri
官舎の中に併設されている騎士たちの宿舎は、帝国の歴史と並び歩んできたものであるらしい。
その割に古臭い感じはちっともなく、多くの者が利用する廊下だとか食堂だとかにはそれなりの傷みも見られたが、どこも丁寧に掃除やら修繕やらが重ねられた形跡があって、居住空間としてはすこぶる快適なものだった。肌に馴染みやすい温もりがあるというか。古いから新しくするわけでなく、大切に使い込まれてきた風なところは、下町の気風に似たり寄ったりで性に合うのかも知れない。貴族出身の騎士の中には、こういう環境を嫌って宿舎の増築・改築要望案を提出する輩も後を絶たないらしいが、今の団長も、そのまた先代も、それを上にまで通さないって話を聞いたことがある。物好きもいたもんだな、と、そのくらいにしか思わないといえばそこまでの話だが。
「お、っと、そこの若いの」
勤務後の貴重なひとときを過ごす騎士たちで賑わっている娯楽室の横を抜け、上階の自室に戻ろうと上った階段の途中。今、誰かを呼び止めようとした声は誰のことを呼んだのか、はた、と気付いた。なんとなく物寂しい空気が背中にへばりついたのを感じ、足を止め、数歩戻って声のした方を覗く。その視線の先に何だかもさもさした男が、へらっと顔を上げ、階段横の廊下からひらひらと手を振っていた。
「あー良かった。知らん顔されたかと思った。ねえちょいとコイツ、運ぶの手伝ってちょうだい」
「…若いの?」
自分のことかと、一応確認のために顔を指差してみる。
「若いでしょうよ」
きっぱりと言われ、まあそうかもなと認めて階段を下りた。
その男の横には、正方形をした木箱が4つ、縦に置かれていた。ぶっちゃけ、運ぼうとしているらしい男の身の丈以上の高さになっている。天井が高くなかったらつっかえてもおかしくない箱柱だ。実際に持ってみるまでは分からないが、かなり中身も重たそうな様子で、1人でこなすには無謀な荷物運びだというのはすぐに予想がつく。しかも運ぶっていう本人が、何ともなし頼りがいのなさそうな優男ときている。
「思ったよりも大荷物でさー、困ってたのよ」
とても騎士には見えない体たらくで、うさんくさい。しかしまあ、官舎並びに宿舎は騎士団関係者以外は基本的に立ち入り禁止だったが、さすがにこの時間帯となると、清掃員だとか帝国関係者だとかが廊下を歩いている姿も珍しくないことで、こういう人間のひとりやふたりいても可笑しくはないのだが。
「…あー、ちょい待ってくれ」
「ん?」
両手を持ち上げてみせた。動かすとガサガサと鳴る。
右手のは、曲がった腰で重たい木箱を引きずるように運んでいた食堂のおばちゃんを見かねて手伝ったらおこぼれに預かった、新鮮なトマトがごろんごろん入った袋。左手のは、寄り道した下町のバザールでもらってきたりんごと牛乳入りの紙袋だ。どうやったって両手ふさがりだった。しかもどっちも水物のせいか、存外重たい。これを持ったまま1人頭単純計算、2箱ずつ運ぶにしろ、終わったときにはせっかくのトマトやらりんごやらが傷んでしまいました、になりかねない。特にトマトなんて少しぶつけただけで傷む代物だ。
「どしたのそれ。らしくないの持ってんのね、若いのに」
「若さ関係あんのかよ。まあいいわ。悪い、これ部屋に置いてくるから」
「ちゃんと戻ってきてくれる?」
その男の口調といったらない。
思いがけず、笑ってしまった。
いい歳こいて子供みたいなことをいう大人の姑息で理知的な匂いがつく。
「可愛いこと言うなよ、おっさん」
気のせいかは知れない。
そういう直感っていうのは、大体当たって、大体外れるもんだ。
「そうかい?じゃ、まー、待ってましょうかね」
「あんたが気を揉んで他の若いのに頼む前には戻ってくるわ」
「ハイハーイ」
どうせ部屋は階段上がってすぐの角部屋で、荷物をしまうのに食う時間など知れている。
間延びする楽観的な返事を背に自室へと向かい、そして、行きずりの頼まれ仕事のために再び階下へと戻るときには、隣の部屋のドアを軽く蹴り、それにいつものような反応が返って来ないことを確認すると、今日はまだ1度も顔を見ていない親友の不憫を心の片隅で労った。
作品名:acoustic stories / 紅花 作家名:toro@ハチ