Call,Call,Call!
よっ!五輪代表!とどこぞのおっさんのような声を出す有里は上機嫌だ。裏表のない笑顔はあの頃から全く変わっていないように見える。山のような書類を両手に抱えて、テキパキと動き回っている姿は、それこそ女子ではなくて女性と言うに相応しいものになっているけれど。
「もう、格好良かったじゃないのもうー」
グリグリと肘を押し付ける。「はぁ、どうも」と答えて、そんなこと言わなくてもよかったなとしみじみ思った。
「おかげでクラブのいい宣伝になったよ!」
そうだった、この女はそういうヤツだった。
有里の宣言、とでも言いたくなるような勢いのいい台詞に、その場の空気がピシリと固まる。椿は動きを止めたあと、そろそろと助けを求めるように周囲を見渡し、諦めたのか項垂れた。矢野もまたうつむいてはいるが、椿とは違う意味でだろう。肩が揺れている。世良はにやつく顔を抑えられていない。が、それでも何とか声を出していた。
「ゆ、有里さん……?それ、それ、何か……何か違うから!」
まぁ結局、爆笑したわけだけれど。世良の遠慮の欠片も無い笑い声に、我慢しかねたのか矢野もまた笑い出した。椿は「逃げ出したい」と大きく書かれた顔で、その場をオロオロとうかがっている。
「え?何が?」
きょとんとした有里の顔に、ため息をついて赤崎は頭をかいた。変わっていない。まるで変わっていないのだ。この人も自分もこの距離感も。あぁ、と声に出してしまえば敗北感に襲われそうだったので、息だけついて、言った。
「そりゃあ、よかったです」
言葉の裏、など全く読まずに有里は笑う。その笑顔ひとつで何も変えはしないで、それでいいかと思い続けて。
「椿に言ってた話って、そんだけっすか?」
じゃあ行かなくてもいいすよね、と続いた赤崎の言葉に、有里は首を捻って少し考えたあと、「うーん、悪いけど後でも来てくれる?」と言ってやっぱり笑った。それは少し大人の笑顔のような気がして、赤崎は不思議な気持ちになる。だって何にも、変わっていないように思えるのに。有里が去って、再び練習へと足を向けても引っかかったままの赤崎だったので、矢野が椿を連れて足を速めたことも、世良が自分の顔を見て苦笑してから気付いた。世良はすぐに前を見て、自分に背中を向けたまま、淡々とした口調で言った。
「どーした赤崎ー。お前が得意なのは、攻撃じゃないかー」
作ったような平坦な口調に、笑い出す前に頭が垂れた。世良は肩に頭を乗せられても、まったく気にした様子も無く、平然と歩いている。
「攻撃、ねぇ……」
呟きに、世良は律儀に言葉を返す。
「進めー。シュートは打たなきゃ、入らないー」
いやまぁそんなのは、分かっているんだけど。赤崎はギュッと目を瞑ってから、おもむろに口を開いた。
「さすが、一目ぼれした相手を執念の待ち伏せで見つけ出しただけありますよね」
「振られたけどなー」
ボロッと言ってから、慌てたように「いや、でもそれだけが人生じゃないから!てゆうか俺の人生振られてばっかじゃないし!ここ重要だから覚えといて!」と付け加える世良に、起き上がって笑いかける。
「振られることが、人生か」
「だから、違うっつうの」
憮然とした世良と、肩を並べてグラウンドへ向かう。気が晴れたような気もするけれど、根本的な解決には至ってないのは知っている。
不本意ながら、変えたいと、思っているのもいないのもきっと自分だけなのだ。赤崎はそんなことを思いながら事務所の扉を叩く。「どーぞー」と気楽にかかったのは有里の声だ。チクリとてのひらに走った痛みを無視するようにドアを開けた。有里は笑っている。その開けっぴろげな笑顔を、変えたいとはどうしても思えない。だからどうしても距離を、変えられなくて。赤崎は早く立ち去りたくなって、ぶっきらぼうに声を放つ。
「何すか、用って」
そんな赤崎の様子など、気にも止めずに有里はデスクの片隅に積みあがった、書類の山から一つの封筒を取り出した。薄くも、厚くも見えない普通の封筒だ。首を傾げる赤崎に、有里がイタズラっぽく目を輝かせる。
「あのね、コレ、赤崎くんへの応援メール」
テレビってすごいねー、と広報にあるまじき感想をのんきに告げる有里は、それでも少し大人の顔をしていた。この場所にあるものが、有里にとって仕事にもなったからかもしれない。子供のように夢中になって、追いかける、仕事だ。そしてその先を自分は求めていく。
あぁ、大人になったのだな、お互い。
そんな感慨を持って封筒を受け取ると、有里は少し迷う顔をした。珍しい現象に、赤崎も面食らう。
「な、何すか?」
声を出すのも、一苦労だ。そんな赤崎をチラリと見てから、有里は迷いを振り切るように封筒から手を離すと、一息に言う。
「あのさぁ、私、嬉しくて。あの試合見た人たちが、この選手誰だーって調べて、ETUまでたどり着いて、そんでわざわざ、メールくれたんだよね。何かもうさぁ、嬉しくて」
だから早く渡したくて。来てもらっちゃってゴメンね。
そう言って、顔を上げた有里は確かにすまなそうだったけれど、表情にはどうしても嬉しさが隠しきれていなかった。何も言えず、その顔を見ているだけの赤崎の真正面で、有里の顔には真剣さが小さくひらめく。それに伴うように、有里の声は少し小さくなる。
「サッカーってさ、すごいよね」
ポツン、とした呟きは、どこか呆然としていた。人の気持ちを確かに、どうしようもなく動かす。そんな場所にいることに、唐突に気付いて赤崎も微かに身じろぎした。怖い、とするにはあまりに甘いから、言わない。それを出来なくなるくらいには自分たちは、プロだ。しかし微かに揺れるほどにはまだ、若かった。けれども赤崎は自分が昔胸を熱くしたように、他のどこかの誰かにもそんな気持ちをさせられるようになりたいと思うし、有里の中に一番にあるのは、そうしてETUを知ってくれた人がいた、という確かな、嬉しさなのだろう。向けられた顔でそれが分かる。光るような目で有里は笑った。素直な言葉がしんとした場所に、響いた。
「ありがとう、赤崎くん」
サポ代表ー、と付け加えた有里はいつも通りの気楽さで、赤崎は悔しくなる。その笑顔は、自分に向けられていても実は違う。ETU、もしかしたらフットボールそのものに向けられていると、知っている。知っているから自分は距離を、変えなくて。なのにどうして気持ちが動くんだ。何でそんな顔で、笑うんだ。
「……どういたしまして」
悔し紛れに言った赤崎の言葉に、有里は楽しげに笑い声を上げた。相変わらずおっさんみたいな笑い方をする。何でこんな人にこんな気持ちを抱くのか、赤崎は自分で自分がよく分からない。有里がくれるものはいつも他愛もないものだし、他にいくらだって可愛い子はいるのに。
赤崎はため息をつく。きょとんとした有里の顔に、少しだけ溜飲が下がったが、結局何も変わっていないことを考えると、またため息が出そうになる。その顔も、どうせまたどこかに蓄積されるのだ。有里が何の気もなしに寄越す笑顔や、仕草や、言葉なんかの他愛もないものが、体の片隅のどこか、静かな場所に降り積もっていく、から。
俺はいつもいつまでもアンタにため息を。
作品名:Call,Call,Call! 作家名:フミ