Call,Call,Call!
そうして結局、ここにいる。
極彩色の鳥を眺めながら、見るたびに疑問に思うことをまた、口にする。
「このこたち、喋るのかしら?」
有里の言葉に首を捻った赤崎だったが、大きなくちばしの鳥に、考え付いたことは夢も希望も無いようなことだったようだ。
「コイツにマネとかされたら、むかつきそうですけどね」
余りにも納得できたので、笑ってしまった。有里が笑うと、赤崎は小さく、安堵したような目をする。その距離が、すこうし、すこうしだけ、淋しい気がする。赤崎を見つめる、有里の目をどう見たのかは、語らないまま赤崎は足を進めた。
「ゴリラが、危険なんですよね、確か」
どうして、手を、取られて心臓が痛いんだろう。バランスが不意に崩れて、力が入ってしまいそうになる手を必死で止めた。馬鹿みたいだと唇を噛んで、うつむきながら有里は答える。
「飛び道具を使ってくるからね」
熊、行きますか。という言葉に頷いたのは、見えただろうか。顔を上げなかったので、分からない。手が、温かいからそちらばかり見ていた。骨ばった手の親指の爪が、使い込まれていてとても綺麗だと思う。ネイル、もっとちゃんとすればよかった。チラリと考えた有里の手を、日差しが照らす。
バッグの持ち手を握りしめている指がやけに白く見えた。緑のなかに、独特の匂いを孕んだ風が服の裾を撫でる。見上げた先で、赤崎は背中を見せたままだ。風にさらされている、あの、耳。触れたら何か分かるだろうか。チカ、チカ、時間を刻むように移ろい始めた光のなかで、有里はただ手を繋いだままでいた。
「こんなに、広かったっけね」
結局、熊よりもペンギンに心打たれたりしつつ園内をぐるりと回った。交わす会話と言えば、取り留めも無いものばかりで、何ひとつ変わっていないような気分でコーヒーを飲んでいる。空は、いつの間にか擦りガラスを透かしたような色をしてしまっているのに。氷を突くと、赤崎もまた手持ち無沙汰のようにカップを回した。あの手に触れていたのが何だか嘘のようだ。けれどいつまでも名残に、包まれているような気もして、いっそ思い切り手を振ってしまいたい。しかしそんなことも出来るはずがない、ので、ぼんやりと、ストローを玩びながら園内の様子を眺めていた。家族連れが多い。走り出すほど好奇心を詰め込んだ子供の目がキラキラしている。ああいう目に、いつも囲まれている気がする。有里はつい口元を綻ばせて、呟いていた。
「いっつも、お休みって、何してるの?」
ああいう目は、仕事で、触れている。その先にいる人のことをそっと振り返れば、赤崎は目を丸くしていた。そうして少し考える。そんな仕草を前にしながら、有里はゆるゆると胸のうちに満ちてゆく不安をただ見ていた。お休み、なんてものは、もしかしたら踏み込んだものだったのかもしれない。有里は自分が投げたものが、どんな形になっていくのか分からなくて呆然としてしまう。また距離が、ぐねりと歪む。
「……最近は、世良さんたちとフットサルですかね」
ポツンと返ってきたものが、あんまり変な形をしてなくてホッとする。だから気楽に混ぜ返した。
「サッカーじゃん」
好きだねぇ、とからかうように言うと、唇を尖らせて「そっちは?」と訊かれてしまう。思わずギシリと固まった。最近の、休みって言ったらあなた。
「……寝てる」
「おっさんじゃん」
鼻で笑う仕草が大変にムカツク。椅子の足を蹴ってやると「何すんすか」と言いつつやっぱり笑ったままだった。怒っていたかったのに、有里も笑ってしまう。プラスチックの中で氷が揺れた。音が案外大きく響いたので、しまったと思った。空のことが、ばれてしまう。それが、どうしてこんなに。胸の中に、案外大きく出来た空白に、一瞬だけ動きを止めた有里の前で、赤崎が口を開いた。
「最後は、なんにします?」
言われてしまった言葉に、有里は平気な顔で答える。
「最後は、バクでしょう」
厳か、とても取れそうな有里の台詞に、赤崎は怪訝そうな顔をしている。その顔に笑った。
「いい夢見るの」
なるほど、と頷いて赤崎も笑う。同じタイミングで立ち上がって、あーあ、と思った。
最後。この休日は終わりを告げようとしている。このあとで、私たちは、今日という日をどう位置付けるんだろうか。有里はまだ決めかねている。赤崎はどうだか、分からない。
あぁ、ほらまた手を、繋がない。
夕暮れが、どんな背中も同じ色に染めていく。圧倒的な懐かしさに園内が染まっていく。夜へ向かおうとする太陽が、どうしてこんな作用をもたらすのだろうか。遠くの音が、近くよりもやけに鮮やかに、響く。
「ゆりー」
声に二人で、振り返る。視線の先でまだ小学生くらいの女の子が、背の高い男の人に向かって走っていった。遠くのものに、なぜか呆然としていた有里の隣から、少し、硬い声が落ちる。
「今の声、監督に似てましたね」
仰いだ顔は、普通の顔だ。けれどなぜか、何かを言わなければならないような気がした。しかし何も言いたくないような気も、する。
「そうかな?」
呟いた声が、逃げている。自分自身で分かって、有里は唇を噛みたくなる。だってずっと特別だった。それだけは確かだったのだ。思考と感情が渦を巻く。飲み込まれだした有里の耳に、また小さな子の声が聞こえる。「まって」って、そう私も言ったことが、あるよ。それは、どうなったんだっけ。何が、欲しかった?
「有里」
これは、誰の声だっけ。
ポカンとして振り仰げば、赤崎は真剣な顔で有里を見つめていた。やめて欲しいと思う。そんな顔で、そんな声で、呼ばないで。
呼ばれていたい、とか思うでしょう?
変えたのはそっちのくせにと睨む有里の前で、赤崎は目に込める熱を変えはしない。今度はもう、変えはしない。
「有里」
そういう風に、呼ばれていた。まだ二人にとってフットボールが仕事ではなかった頃の話だ。いつの間にか呼び方は変わって、けれどその分距離は変わらなかった。今、赤崎が変えようとしている。何で、とうまく受け取れないのを見かねたように、赤崎が笑った。有里はもう喚きたくなってしまう。けれど声が、どうしても出ない。もどかしくてどんどん追い詰められていくようだ。
待って。違うよ。
欲しいのはその顔じゃない。今日一日、ずっと淋しいと思っていた、笑顔じゃなくって。もどかしげに口ごもる有里の頭に、そっと触れてから赤崎は足を進める。手を繋いでいないから、有里は置いてけぼりだ。ああいう背中を、前も見たことがある気がする。
でも、それって小さな頃の、話よ。
有里は今ある背中を見つめる。あの、昔の背中のことを、どうしても止めたかった。追いかけて、声を嗄らして、それでも止まらなかった背中。誰か、誰でもいいから、止めてくれないかって思っていた。
じゃあ、あの背中はどうなのだろうか。有里は子供の足で追いかけた、過去の背中が今に置き換わるのが分かった。足元がぐらりと揺れる。過去が残像に変わった。今、追いかけたいのは、あの背中。今、目の前を遠くなっていく背中は、
私が止めたい。
そういうとき、は。何て言うんだっけ?
「りょ、お!」
作品名:Call,Call,Call! 作家名:フミ