けもの道
夕立は小一時間ほどで止んだ。雷におびえる私の気を紛らわそうとしてか、雨宿りさせてくれた男、文次郎はやけに喋った。いくつか質問もされたが答えられないものが多かったので私はほぼだんまりになってしまった。それでも文次郎は気を悪くする風でもなく、私の相手をしてくれた。一方的とはいえ、伊作以外と長い会話をするのは随分久しい気がする。
家に戻ったときには陽も大分傾いてあたりは薄暗くなっていた。気付いた伊作が玄関まで出迎えにくる。
「ただいま」
「おかえりー!雷ひどかったから心配し、て……ねぇ仙蔵どこ行ってたの?」
私に近づくにつれて伊作は顔をしかめてそう言った。相変わらず鼻がきくやつだ。
「別に。ちょっと雨宿りしてただけだ」
「昨日の人の家で?匂いがするから隠そうとしても無駄だよ」
伊作に嘘は通用しないのは重々承知だ。頷くこともできない私は顔を背けて伊作の脇を通り越した。そのままリビングのソファへと足をすすめる。
「仙蔵っ!」
伊作が後をついてくるのが気配で分かる。それを無視してあえて一人がけのソファの方に腰をおろした。
「ねぇ仙蔵、だめだからね!?」
「何が」
「何って……わかってるくせに。彼と関わること全てだよ」
伊作の心配する気持ちは痛いほど伝わってきたが、私の本能は彼を欲してやまなかった。だから伊作の目をまっすぐ見られない。
「だって、彼の時間は、止まらないんだよ。そして、僕らの我が侭で止めちゃいけない」
「わかって、る……私のようにしても仕様がないものな」
言ってからしまったと思った。後悔と共に伊作に目線を戻せば、伊作は焦げ茶の大きな瞳いっぱいに涙を抱えていた。
「やっぱり仙蔵、ほんとは、僕のこと」
「伊作、ちがう、悪かった言い過ぎた。違うんだ、伊作……」
慌てて口を出てきた否定の言葉は月並みなものばかりで、伊作は目の前で膝を折ってはらはらと泣きはじめてしまった。
「僕、ぼく……本当に悪かった、って後悔して、ねぇ、」
「伊作、」
「仙蔵、は、僕を恨んでいいんだよ、きらったって、……っく」
「いさく」
「ごめ、んね……」
「伊作っ!いいんだ。謝らなくて、いいんだ」
ぽろぽろと涙をこぼす伊作をぎゅっと抱きしめる。そうしてできる限り優しく背を撫でてやった。こいつのためにならなんだってしてやりたいと思っているのに、こんなことしか出来ない。しかも泣かせた原因は自分にある。それが口惜しくて苛立たしくて唇を思いきり噛み締めた。
*
真夜中に目覚めた。泣きはらしたせいで重たい瞼を開ければ、隣にはちゃんと仙蔵がいてほっと息をつく。眠りから目覚めたときにはいつだって隣に仙蔵がいるかどうかを確認するのは最早無意識の習慣となってしまっていた。どこにも行けないようにしたのは自分なのに、どこかへ消えてしまうような気がしている。
絡まることを知らない髪を一撫でしてから、そっと冷たい手に触れた。言葉の通り生気を感じさせない仙蔵の手に触れる度に、もしかして仙蔵はもうさして生きる気がないのではという疑念にかられる。だって、飽いてしまったようにみえる、生きることに。僕よりも100歳くらい若いけれど、それでも人間からみれば十分すぎる時間を生きている。その全ての罪悪感に胸を痛めるけれど、なす術は何もなくて、それがまた罪悪感に拍車をかけた。僕のために死んでくれ、じゃなくて永遠に死ねない身体になってくれ、だなんて下手をしたら死より重い。それを仙蔵に課したのは他の誰でもない自分だけれど、だからこそ身に染みて思う。はじめはただ、仙蔵があまりにも綺麗だったからずっと一緒にいたいと願っただけだった。でもその結果が今だ。こんなしんどい思いをするのは僕らだけで充分じゃないか。だから。
「だめだよ、仙蔵」