バルカ機関報告書
コレオーネの話が壊れたアナログディスクのように僅かに飛んだので、聞き手は混乱をした。
「何ですって?」
「政治趨勢理論。政治力学理論とも言います。政治学を学んでいると教わるんですけれどね、簡単に言うと、人間の集団というものは、人々の『良く生きたい』という意思の総体によって動いていて、その『良く生きたい』複数の人間の集まりが社会であるという考え方です。社会の中には多国籍企業や自治体、国家といったものも含まれています。社会は、このような人間の集団がたえずせめぎあっているものである。そして、この集団の中でもっとも多数を占める人々が人類という一個の生き物の主導権、つまり権力を握るという考え方です」
学生は小さく頷いた。
「さて、これを今の連合の中にあてはめてみましょうか。良く生きたい人間集団の一つめがバルカです。これは内緒の話なのですがね、バルカの人間も幸せになりたいのです」
黒い瞳の教授は楽しそうであった。
「第二の集団が連合です。ただし、連合の中には宗主国である地球に住む人々の集団と、殖民星に暮らす人々の二つ通りが存在します」
青年は言った。
「宗主国である地球の人々は、宗主国の習いとして殖民星から搾取しようとする。もっとも、これは言い過ぎで、宗主国の人々にしてみれば投資したものを回収しているだけとするべきでしょう。そして一方の殖民地にしてみれば、大きな顔をする宗主国の存在が面白くない。ただ単に面白くないだけならば良いのですが、微妙に利害が絡んでくる」
エレナはコレオーネの言わんとしていることが理解できなかった。
「ちょっと待ってください、それがあの戦闘機とどんな関係があるのですか?」
「ま、話をさせてください。宗主国と殖民地の関係は、前者が圧倒的な力を持っているからこそ成り立つのです。逆に言えば、後者が力をつけてくると、両者の関係はずいぶんと違ったものになってくるのです。そこでさっき申し上げたキーワードです。権力を握るのは最多数派だと」
「最多数派……」
「状況を考えてみましょうか。バルカは最多数派ではありません。バルカには智恵と技術はありますが、それだけのことです。さっきも申し上げたようにバルカとしてみれば、なるべく世の中が安定していて、世界に裏から時折ちょっかいを出せるぐらいで満足するべきでしょう。それでは最多数派は誰か」
「それは連合であり、連合を支持する二千四百億の人々です」
「さっきも言ったように、連合は一枚岩ではありませんよ。宗主国である地球本星と殖民星系の二つの集団から成り立っているのです。それではどちらが多数派か」
「それは……地球ではないのですか?」
青年はやんわりと訂正する。
「査察官殿しっかりしてください。内務省の人口統計をご覧になっていないのですか?純粋に人口だけで言えば、殖民星に住む人々のほうが地球に住む人々よりも多いのですよ。しかも両者の逆転は二十年も昔に起こっている。そう、ちょうどセシリア殖民計画が始動し、私達が異星人達の知識を拾った時分のことです」
「そうなのですか……」
エレナはぼんやりとしていた。そして、コレオーネは笑って続けた。
「まだお分かりになりませんか?多数派だった地球の人々は今や僅差で少数派に転落したのです。そして、いつでも、どんな場合でも権力は多数派が握るのです。しかも権力が移譲される場合には必ず大きな犠牲が伴うのです。つまりです。今の連合はとても危うい状況あるのです。この世界は例えて言うならば集中豪雨で決壊寸前のダムのようになっているのです」
「ダム……」
状況を把握しかねている査察官にバルカの王は言った。
「ダムは水でいっぱいなのに、雨はまだまだ続きます。よろしいですかな、あなたは地球にいて殖民星の現状を良く知らない。殖民星では、ここ数年の間に地球に対する敵対意識が少しずつ醸成されているのです」
エレナもそのようなことを聞いたことがあったのだが、そのことをそれほど気にしていなかった。そしてバルカの王はあっけないぐらいに言い切った。
「どんな社会であってもそうですが、連合もまた矛盾を抱えた存在なのです。多数決で自分達の生き方を決めるという制度にありながら、最初の一歩で一票の重さに差があるのです。この矛盾は連合が小さなうちは黙殺することが難しくなかった。けれど、ここまで連合が大きくなってしまうと、無視することができない。いずれはどこかで破裂してしまう」
コレオーネは指をぱちんと鳴らした。
「破裂とはいったいどういうことですか?」
「連合内で内乱が起こるということです。それも全土規模の大変な内乱がです」
「内乱?まさか……」
エレナはあまりにも呑気であった。バルカの王は首を静かに振った。
「私のところの情報局の特務部の試算によれば、連合内で全土規模の大規模内乱が起こる可能性は一,五パーセントになります」
「たった一,五パーセントではないですか……」
「二十年前の試算ですよ。可能性は毎年概算で二十パーセントの割合で増加していくことになります」
コレオーネは頭を掻いて言った。
「……二割ですか」
エレナは頭の中で計算をしたがすぐにうまくいかなくなった。二十年が経過して、負の利息はいったいどれほどのものとなったのだろうか?バルカの法王は言った。
「二十年が経過した今、その可能性は五十八パーセントになります」
「ご、五十八パーセントですか?」
エレナは息を呑んだ。得点圏打率が六割を越えるバッターにボールを放るピッチャーの気持ちをエレナはこの時初めて味わうことになった。
「この計算でいけば、数年後には内乱の発生確立は確実に百パーセントになります。おそらく、五年内にどこかの星で地球に反抗する抵抗運動が始まることになります。場所については明言をできませんが、多分、人口が多く、税金の負担が重いザキントスかナウプリオンのどちらかでしょう」
「まさか……あなたの言うのは連合のことですよね?」
エレナはたじろいで言った。コレオーネは静かにうなずいた。
「そう。地球連合です。この連合です」
コレオーネは床を二度ほど蹴った。
「……」
「私達は内乱に伴う人類の損害についても試算しました。結論は胃が痛くなるような代物でした。内乱によって最低でも三つの殖民星が完全に放棄されるでしょう。金銭的な損失は数百兆レアルにおよび、人口の実に七パーセントが内乱の直接の銃火によって死ぬでしょう。残りの人口の十八パーセントが戦火の次にある飢餓や疾病によって命を落とすことになることでしょう。殖民地の多くが独立し、連合はいくつかの星々に分裂することになります。そして、その後、いくつかの惑星国家同士の間で誰が主導権を握るかということで激烈な争いが起こります。戦いは百年続き、そうなった場合、人類は今の人口の半分にまで減ることになるのです」
「そ、そうなのですか?でも、まさかそんなことは……」
「貴女が信じないかもしれません。けれどバルカの十人委員会はその試算を信じました。彼らはデータを偏重します。私とは違ってね」
コレオーネはズボンのポケットに両手を突っ込んだ。