バルカ機関報告書
と、珍奇な押し問答をしているツカサ達のところに、もう一人クラスメイトがやって来た。グエンという名前のその少年は、ツカサとレオンの共通の友人であった。ただし、この少年は算数教師の悪夢の種となるツカサ達と違って、優れた数学的なセンスを持つ少年であった。当然のことである。彼の両親はアルビオン区立大学で数学を教える教師であったのだ。グエンは、全国の初等学校の生徒の数学のオリンピックで常に優秀な成績を収める天才児であった。当然のことだがグエンはツカサのように算数の特習クラスの厄介になる必要はなかった。彼がツカサと席を並べるのは五年次の基礎コースだけである。
「すごいニュースだ」
天才児は興奮していた。数学に非凡の才能があるからといって他の面でもグエンは優秀な人物だというわけではない。特殊な才能を差っ引いてしまえば彼もまた十歳そこそこの子供でしかない。
「すごいニュースってなんだ?」
レオンはすでにツカサの家族関係などどうでも良くなったようである。レオンが果たしてどういった理由からツカサの家について興味を持つようになったのかはツカサには判らなかった。ただ、ツカサはスポーツ万能の友人が退屈をすると時々突拍子もないことをしでかすということを知っていた。つまり、何となく聞いてみたかったのだろう。間違ってもレオンがリサに興味を持っているとはツカサには思われなかった。容赦の無い性格のリサは、弟の友人のことが全く気に入らないらしく、レオンのほうも苛烈な性格をしたツカサの姉のことをひどく恐れていたのだ。
――おまえの姉ちゃん、おっかねえな。
レオンは大きな体を折り曲げるようにして恐懼していた。
「転校生が来るんだ!」
グエンは言ったが、ツカサには相手がなにをそんなに興奮しているのかさっぱり判らなかった。エイリアンでも来襲するならば興奮もするが、相手はただの人間ではないか。そんなものにいちいち興奮をする必要がどこにある?
「それも女子生徒だぞ」
「そうか女子か」
レオンも新入りに興味を持ったようである。スポーツ万能の少年は、とにかく退屈しているのだ。だから新奇な出会いの予感に大いに喜んでいるようである。
「さっき、先生が職員室で話をしているのを聞いたんだ」
グエンは言った。
「いったいどんな子なんだ?」
レオンは訊ねた。
「判らない。けれど午後の授業から出てくるっていうことらしい」
グエンは僅かに浅黒い顔に人好きのする笑顔を作って言った。
「美人か?」
「知らないよ。まだ見たことないんだから」
「美人だといいな」
レオンは虫の良いことを言っている。
「できればバスケットボールに興味があると良いな。アイスホッケーでもいいけどよ」
レオンはそのようなことを言った。自分の得意な分野に相手が興味を持っていてくれればレオンとしても話がやりやすいということであろう。一方、レオンの希望的観測を聞くグエンのほうは少々面白くないようであった。彼の持つ算数の成績は女子生徒の関心を買う材料としてはほとんどと言うか全く役に立たないものであったからである。たとえ彼が全星域規模の天才であったとしても、そのことは女子生徒には何らアピールをすることはないのだ、残念ながら。要するに、人間は目に見えない努力よりも、目に見える物、それも眼前で繰り広げられるドラマを評価するのだ。制限時間残り三秒で同点のロングシュートを叩き込むことに比べれば、残り三秒で数学の公式を解くことは、それがどんなに凄いことでも人々を感動させる魅力に乏しい。グエンもそのことが判っているのだろう。
「運動の嫌いな子かもしれないぜ」
グエンは腹立ちまぎれに言った。対するレオンは自信たっぷりにこう答えた。
「オレの華麗なプレーを見れば、考えも変わるさ!」
そしてツカサは友人達の会話にこう思った。
――けれど、もしも新しい転入生が美人じゃなかったら二人はどうするつもりなんだろう?
やって来た転校生が美少女であれば、それはそれでまた揉めることになるだろうが、逆に謎のクリーチャーとでも呼ぶべきおぞましい異物だったらどうなるのだろう?二人とも誇るべき自分の特技をなるべく隠蔽しようとするのではないか。このように考えるのはツカサが僅かに悲観主義者の気があるからだが、それよりもツカサがまだそれほど女性にたいして興味を持っていないということのほうが大きかったのではないか。興味がなければ、より冷静に物事の本質をとらえることができる。ツカサは体が小さいこともあって、異性について悩むというようなことはまだ経験をしたことがなかった。多分、これはすぐ上によく喋る姉がいるということも影響しているのだろう。いずれにせよツカサはひどく客観的であった。そして、世の中というものはいつでもちょっとばかり素直に事が運ばないのだ。
「フローラ・チェンといいます」
新しくクラスの仲間になった長い髪の少女はそのように挨拶をしたのだが、その時のツカサの感想は簡単に言っても、そして複雑に言っても同じであった。
――綺麗な子だなぁ。
大きな眼鏡をかけた中国系――正確に言うとホンコンシティの生まれであった――の少女は小柄で、黒い瞳と大きな眼鏡が印象的な美少女であった。物静かな雰囲気が漂うこの娘のことをツカサは一度見ただけでとても気に入った。それは少女が肌の色や目の色、髪の色などツカサと同じような雰囲気を持っていたからということもあるのだろう。そしてその親近感は、ツカサが見たことの無い母親のイメージに繋がっているに違いがなかった。
――フローラっていうのか。
子供は妙にそわそわとした気分になった。それはグエンも同じであり、レオンもそうだったようである。そして、他の男子のクラスメイト達も同じであった。
――いったい誰がこの転入生ガールフレンドにするのか?
レオンにしろグエンにしろ生徒達はお互いに牽制しあい、そして、そのような男子生徒達の動きを敏感に感じ取った女子生徒達のほうはというと、内心はあまり面白くなかったようであるが、さりとて転入生を非難するわけにもいかず、新しいもの好き(加えて美形好き)の男子生徒達の低劣極まる品性を影でこき下ろすことで不満を解消していた。
放課後。男子生徒達は、まるで餌を投げられた池の鯉のように新しいクラスメイトのところに群がることになった。黒い瞳の美少女は思いもよらぬ歓待に喜ぶと言うよりも、戸惑っている様子であった。集まってきたのは男子生徒だけではない。女子生徒達も新入りのことをしきりに聞きたがった。
――家族構成は?
――親はいったいどういう仕事をしているのか?
――家はどこにあるのか?
――趣味は何か?
――スポーツは何が好きか?
最後の質問をしたのが誰かは今更に語る必要もあるまい。フローラは、そのような友人達の問いに次のように答えた。
――家族構成は父親と母親。そして自分。
――父親の仕事は連合政府の軍人。
――家はアルビオンのイーストタウン四丁目。
――趣味は読書。それから詩を書くこと。
――スポーツはあまり好きではない。