バルカ機関報告書
老女は穏やかに言った。そうだ。そこで初めてエレナは冷静に事態を観察することができるようになった。コレオーネは全てを知っていたのだ。どうして?彼が耳聡いということもあるから、ではないだろう。彼は、こうなることを知っていたのだ。何故ならば、シナリオを書くのは常に彼であるのだから。軍を出動させたのは、連合の議会かもしれない。けれど、そう仕向けたのは恐らくジュリアーノ・コレオーネ本人ではなかったのか。だとしたら、何故?何故のようなことをする必要がある?いずれにせよそのことはすぐに明らかになるはずであった。
見ていてごらん、魔法はこういうふうに使うんだよ
アニス・ピットの運転する車はエレナを、アルビオン郊外にある白い垣根のある小さな家へと導いた。小さな庭を持つ二階建ての家屋はうららかな日差しの下、牧歌的な佇まいを見せていた。軍の包囲が完成しつつ街の雰囲気ではなかった。
「さあ、どうぞ。時間があまりありませんよ」
老女はそう言うと、車のキィをつけたままエレナを白い家へと誘った。丈の低い小さな木製の門を開けて、緑の芝の真ん中の砂利道を数歩で、すぐにすりガラスのはめられた扉に辿り着く。老女は扉のノブを静かに引き開けた。扉の向こうはすぐに客間になっていた。そしてそこではジュリアーノ・コレオーネが鏡を見ながらネクタイを締めている最中であった。
「これはどういうことですか?」
エレナは即座に訊ねた。いったいどうなっているのだ?エレナには聞きたいことが山とあった。コレオーネはエレナのほうを振り返ると僅かに笑った。
「ようこそ我が家へ」
「ようこそ我が家へって……」
エレナは、あまり緊張感が無いバルカの王に調子が僅かに狂った。何から聞くべきかとエレナが一瞬考える間に、アニス・ピットのほうは、家の奥のほうへと入っていった。
――お茶をお出ししましょうね。
老女はそんなことを呟いていた。
「……いったいどういうことなのですか、これは。軍の空挺師団がやって来ていますよ」
エレナの質問にバルカの王は泰然としたものである。
「第二十四空挺師団ですね。それだけではありませんよ。第一○二機甲師団と第一二七機械化歩兵師団も一緒です。海上にはヘリ空母アコンカグアを筆頭に十四隻が展開中です」
ジュリアーノはネクタイを鏡の前で直している。
「彼らは、あなたを捕まえようとしているのでしょう」
エレナは苛々として言った。的の部隊編成を聞くことが、いったいどんな意味があるというのだ?
「まあ、そんなところですか」
ジュリアーノは適当に答えた。
「何故、そのようなことをするのですか?バルカの法王が、たかが連合の軍隊にあっさりと捕まるとは思えません」
「まあ、そうですね」
ジュリアーノ・コレオーネは曖昧に言うと、ネクタイの曲がりを直していた。彼はどこから見ても慌てているようには見えなかった。
「いったいどういうことなのですか?内乱予備が露見したのですか?いや、そんなことはないでしょう。あなた方がそんなに簡単にしっぽをつかまれるとは思えません。つかませることはあったとしても……」
エレナはバルカの法王に迫った。バルカの王はその時になってようやくエレナの顔に視線を送って返した。青年は笑っていた。
「シナリオをちょっと変えたんです。順番を入れ替えたのですよ、査察官殿」
シナリオを?エレナは首を傾げた。
「お分かりになりませんか?殖民星の内乱のシナリオが動き出したのです。X日はすぐ明後日ということになります」
「そ、そうなのですか?」
エレナの声は上ずっていた。
「こんなに早く?」
「早くはありませんよ。極めて適切な時期です」
「……どういうことなのですか。私にはもう何がなんだか判りません」
エレナは考えるのを放棄してしまった。コレオーネはそんな査察官に状況をかいつまんで語った。
「だから、シナリオを変えたのです。最初のシナリオでは、今回の内乱という寸劇にバルカは役者として出演する予定はありませんでした。私達は、あくまで監督、脚本、演出ということでやっていこうとしたのです。けれど、それを土壇場になって変更しました。私達もこの大舞台の端役として出演することにしたのです」
「表立って行動することを嫌うあなた達が何故?」
「こうすればR―GLAYを使わなければならないような事態は限りなく零ら近くなります。そのようにうちの特務部が試算したのです。もっとも、私が処刑される可能性は若干高くなりますがね。何、それでも十パーセント台ですけれどね」
コレオーネは十分の一の確率で断頭台に昇ることになるのに、実にあっさりとしたもであった。
「こうすれば、人々の苦痛も短くなるのです。マキアベリはこう言いましたよ。悪を行うのであれば徹底的に、しかも短期間の間に行えとね」
コレオーネは笑った。
「それに私もちょっとは危ない目に遭わなければ、内乱で傷つく人々に示しがつかないではありませんか!」
青年はそう言った。エレナはコレオーネを悪人であるとは断じていなかったが、それだからといって人間愛の固まりであるとも認識していなかった。彼は連合の議員達よりもよほど博愛主義者であったが、それでも罪人に代わって十字架に磔にされるような人物ではないとエレナには思われた。彼が身を危険に晒してまで、全銀河のことを救おうとしているとはエレナにはどうしても思われなかったのである。
――何かあるのだ。
エレナはそのようににらんでいた。最新鋭の戦闘機を使いたくないとコレオーネは言ったが、アルビオンの法王が新鋭機の使用を嫌う理由がエレナには判らなかった。彼は数万の人を死なせると決断したのだ。数万の死者が十数万になったとしても彼にしてみれば報告書のゼロが一つ増えるだけのことでしかない。自分が安全な場所にいたのでは内乱の犠牲者に申し訳が立たないというようなしおらしいことを彼は語ったが、それはあくまでポーズであろうとエレナは踏んでいた。そこでエレナはずばりと核心に切り込んだ。
「あなたはそこまで連合の人々のことを考えているとは思えません」
コレオーネは何かを言おうとしたがエレナがそれを遮った。
「連合の議員よりは考えているとおっしゃるのでしょう。恐らく連合議員が人々に見せるそれの二割増しぐらいの気遣いをあなたはしていると」
「二割増しですか。おもしろい表現ですね」
コレオーネは目を丸くして言った。エレナは静かに続ける。
「零の二割増しは零でしかありません」
「……その通りです」
コレオーネはやり込められて頷いた。それからこう続けた。