バルカ機関報告書
を喜色満面で宣言した。モスグリーンの制服を着た禿かかった体格の良い中年将校の姿はホロヴィジョンを通じて白い家で待機するエレナの目にも映ることになった。ホロのライブ映像による参謀総長は、
――疑惑の多い人物を電撃的に、しかも誰一人として死傷者を出さずに拘束するために兵士達が史上に類を見ないほどの勇敢さを見せた。
と、しきりに自分の部下達の能力と連合に対する忠誠心を称賛し、と、いうことはつまり、それを管理監督する自分がどれほど偉いかを内外にアピールした。しかし、エレナのほうは懐疑的であった。
――この参謀は本当にそのようなことを思っているのだろうか。
査察官は連合軍が自分達がコレオーネを手際よく捕らえたと思っているようであるが、実はそうではないことをエレナは知っていた。作戦が八時間で済んだのは、軍が優秀だったのではなく、アルビオンの区長の協力があったからなのだ。アルビオンの側は徹底抗戦をすることだってできた。いや、今だって、彼らはいつでも反撃ができるように、ビルの影や排水溝、地下に掘られたトンネルに待機している。エレナは、自動小銃で武装して持ち場へと向かう影を縫う女の姿を見ている。彼女達は、人の気配が無くなったアルビオン区のどこかに潜んで、シナリオに狂いが生じた時には猛然と逆襲に転じるだろう。そうなったとき、アルビオンを占領する軍団はいつまで持ちこたえられるかエレナには疑問であった。
――軍も、自分達が極めて危うい状況に置かれていることを知っているのかもしれない。
エレナはそのようにも思った。
アルビオン区を占領した軍は、一見すると勝者にも見える。だが彼らは敵地にあり、そして死地にあるのだ。軍は罠の真ん中に飛び込んで来たのであって、四方を敵に囲まれている。軍としてみれば、このような危険な場所に留まるのはどうしても避けたいのではないか。エレナのそのような疑念は、どうやら真実に近かったようである。軍はバルカの王を捕らえると、早々にアルビオンからの撤収を開始した。彼らがもしも多少なりとも野心を持っていたならば、バルカの持つさまざまな財産――それは動産であったり不動産であったり知識であったり人材であったりそして兵器であった――に手を着けないままに帰還をするのには僅かに未練があったはずである。あるいは彼らがもしも本当に連合のことを考えていればバルカの財産を略奪し、連合の禍根をこの際に断とうとしたのではないか。だが、そうはしなかった。軍は結局、犬でしかなく、ご主人の命令を聞くことで十分に満足していたのだ。そして、この時から戦場はアルビオンからオールドゴウルの連合議会に移ったのである。
証人喚問
白い家に移ったでエレナには仕事らしい仕事が無かった。アークスはいまだに健在であり、端末を用いればいくらでも情報を得ることができたが、そんなことをするような状況ではなかったし、またその気にもならなかった。最初のうちは、
――もしも軍がアルビオンの人々に危害を加えるようなことがあれば、軍の指揮官に自分が掛け合わなければならないだろう。
と、緊張していたが、彼女がそのように出しゃばる必要もないままに軍は粛然として去っていった。相変わらず連合議会からの指令は滞っており、査察官の身分は準戒厳令が敷かれた敵地で宙ぶらりんになっていた。エレナとしては、バルカの子供達と家で留守番をする以外にやることはなかった。
――どうして私がバルカの子供達のベビーシッターをしなければならないのだろう?
エレナは、ふと我にかえってそのように考えることもあった。
――私は何のためにここに来たのだったか?
エレナの記憶に間違がなければ、確か、彼女はアルビオンの区政を探り、バルカの牽制をするのではなかったのか?だが、そのような迷いを彼女が抱いていたのもごくごく僅かな間のことであった。いろいろな事が、それも自分の手の届かぬところであまりにも一度に起きすぎたのだ。エレナは自分自身の非力さを改めて思い知りらされた。そしてさまざまに思いを巡らせ、悩んだ揚げ句に彼女は一つの結論に辿り着いた。悟ったと言うと大げさだろう。諦めたと言うのが一番近い感覚かもしれない。
――私には最初からほとんどすべてが手に余ることだったのだ。
もっとも査察官はすべてを投げ出してしまったわけではなかった。
――私はだから、自分に出来る唯一のことをしよう。それは、すべてを終わりまで見届けること。
何が起こり、誰がどのように考えたのか。エレナは渦を遠くから眺めるという傍観者、それもできる限り正確な傍観者という任を自分に見いだしたのである。実際、彼女ほど客観的に全てを見通せる立場にいたものはいなかったのである。彼女はバルカの外の人間でありながら、バルカの内情に肉薄した唯一の人物であった。アークスに侵入し、さまざまな情報を盗み見ることに成功し、その情報を鏡にして連合の内部を投射することもできた。彼女は恐らく連合の議員達以上に議員の内実を知っているはずであった。そして彼女は短い間だけれど、権力者コレオーネと言葉も交わした。アルビオンの法王の公的な姿にも触れたし、こうして日常のひとこまにも触れた。連合の誰もが若い指導者が二人の子供を抱えているとは知らないだろう。彼女だけが知っているのだ。エレナ・ゴールドウィンという若い行政官だけが。
――もしかしたら、コレオーネは、最初から、私を時の記録官としてここに呼んだのではないか。
査察官はそのようにも思ったものである。
――コレオーネの議会での証人喚問がホロのライブ中継で放送されている!
そのようにエレナに教えてくれたのはコレオーネの娘であった。アルビオンは軍が去った翌日も準戒厳令下におかれていた。抑止力が無いのに戒厳令が敷かれるというのも奇異な話であり、市民が仮に外出したとしても誰もそれを咎めるものなどいなかったのだが、それでも区民達は律義に自宅待機を続けていた。エレナも外に出歩かず、白い家のベランダでツカサを相手にオセロをして時間を潰しているところであった。
――ゲーム、しようよ。
そう誘ってきたのは小さな少年のほうであった。はにかみやで人見知りの激しい少年は、エレナと会ってしばらくの間は、彼女のことを遠くから恐ろしそうに見つめているばかりであったが、しばらくして、エレナが姉のリサと打ち解けると、ようやく査察官のほうに近寄ってくることになった。
――どこから来たのですか?
――何をしに来たのですか?