バルカ機関報告書
かくのごとき野盗の主張には宗主国の側は難色を示した。強訴を一度でも認めれば連合の権威が失墜することは目に見えている。そうなれば、国家は瓦解に向かうことは確実。親バルカも反バルカも関係なく議員達はそのような意見で一致していたのである。意見の調整に手間取り、協議が全く進展しない議員達を残してバルカの王はさっさと自分の居城に戻ってしまった。ジュリアーノ・コレオーネはすでに罪人ではなく、議員達は彼を引き留めるだけの理由をすでに失っていた。ドン・コレオーネはもとより自由であったが最後までそれは変わらなかったのだ。大勢の兵士に囲まれて物々しく連行されてきたバルカ王は帰る時には一人であったという。そして、彼が白い家に戻って来て後、連合首都であるオールドゴウルは反乱軍に奪取された艦隊による軌道からの爆撃を貰って甚大な被害を被ったのである。温情あふれる反乱軍は、人の動きが無い深夜を狙って砲撃を加え、そのために死者の数は限定されることになったが、それでも物損はすさまじく、議事堂もいくつかの庁舎もその時の攻撃で完全に吹き飛んでしまっていた。議員連は短刀を突きつけられて初めて自分の立場を知り、かくして居城に引っ込んでしまったバルカ王の再出座と相成ったわけである。
――地球は地方に権限の委譲を認めるかわりに、反乱軍は武装解除をした上で地球に与えた損害の七割を負担する。反乱首謀者および加担者については各自の惑星の司法によって厳罰に処し、反乱軍は地球を永世宗主国として認める。地球は返還された軍武装の半数を破棄する。
バルカ王の調停案は以上のようなものであった。地球の側も反乱を起こした殖民星の側もこの調停案に従わないわけにはいかなかった。地球の側は名誉を保ち、反乱軍は実利を取ったのである。そして、バルカはその両方をいちどきに手にしたのである。
「何とか、落ち着きましたけれど……」
エレナは言った。と、ピット夫人が不意に極めて些細なことをエレナに尋ねてくる。
「役所のほうはどうですか?お忙しいですか?」
「辞めてしまいました。いろいろあって」
そうですか。女王陛下のスパイは笑った。エレナはどういうわけだかこの老婆のことがまるで十年来の知人か、親戚の世話焼きなおばさんのように思えて、それだからだろう口数が僅かに多くなった。
「今は、無職です……」
「これからはどうなさるのですか?決めていらっしゃるんでしょう?」
「学生に戻ろうと思います。歴史の勉強をしようと思ってます」
ピット夫人はそれは良いと言った具合にうなずいて、それから真顔で言った。
「過去に目を閉ざすものは未来に向き合うことが出来ないというのは、あれは自意識過剰の馬鹿な政治家の嘘八百ですよ。普通の人は今日を食べるのに精一杯。昔のことなんか知らなくても人間は生きていけますよ。けれど昔を知るのは決して無益ではないでしょう。御先祖様が誰にいくら貸していたか判れば、明日から取り立てができますものねえ」
老婦人の言葉にエレナは苦笑いをした。ジュリアーノ・コレオーネとその眷属にとっては理想主義者は偽善者とイコールであるらしい。
と、釣り糸を垂れる子供たちに動きがあった。ツカサの竿に待望のあたりがあったらしい。少年は慌ててリールを巻き始める。しばらくすると、そばで見ていたリサが腹を抱えて笑い始めた。少年が釣り上げたのは大きなヒトデであった。遠くからその光景を見ていたエレナも吹き出してしまった。ツカサ少年は自分の釣り上げた生き物に、こんな馬鹿なことが許されるのかとでも言いたげに呆然としている。人のよいおじさんは子供の針からヒトデを外すと、土色をしたおかしな生き物を海に投げ返した。
「かわいい子達ですねえ」
エレナは子供達を見ながら言った。
「ええ、本当に。よく育ってくれました……」
ピット婦人はしみじみとした口調で言った。品の良い小ぎれいな老婦人は何かを言い出す気配があった。エレナはそこで口をつぐんで、相手が語り始めるのを待った。波の音に混じって、リサが笑い声が切れ切れにに聞こえてくる。
「昔、まだジュリアーノぼうやが学生だった時に、バルカではある計画を極秘に行っていました。異星で見つけた古い技術を復活させる、そういう計画だったと言います」
ドン・コレオーネの乳母がバルカという組織にいったいどれほど食い込んでいるのか、エレナには判らない。ただ、小柄な老婆はさまざまなことを知っているということは確かである。
「けれど異星の技術はあまりにも複雑で、人間には使い切れないということでした。私にはよく判りませんが、技術のほうが使い手を選ぶ、そんな話でした」
「技術が使い手を選ぶ……」
エレナはかつて地下で見せて貰った戦闘機の姿を思い起こしていた。人間には操縦できない機体
「技術そのものが知性を持ち使う者を判断するんだそうですよ。賢い番犬のように」
「番犬ですか……」
「そこで、バルカの研究者達は異星で拾った異星人をよみがえらせることにしたのですよ。見つけたものの中に、異星人のものと思われる遺伝子パタンが残されていて、これを使ったのだそうです」
エレナはため息をついたがもう驚かなかった。世の中とはこんなものなのだ。
「それで、その復活した異星人はどうなりましたか?」
「それがねえ、みんなうまく育たなかったそうです。みんなまるで電池が切れるようにして十歳まで生きた後に亡くなりました」
ピット婦人は不思議そうに言い、そして、そこでエレナは自分の尋ねようとしていた最後の謎の一つについて思い出した。いや、ひらめいたといったほうが良いだろう。
「特殊実験体……」
エレナの呟きにピットは重々しくうなずいた。
「そう。それそれ。それですよ……」
かつての異星人の再臨。それが特殊実験体であったとは。
「異星人の血脈は結局、絶えてしまいました。あの二人を残して」
ピット婦人が思いもよらぬことをさらりと言ったために、エレナはうっかりと驚くべきところを軽く流してしまった。元査察官はうんとうなずいて、数瞬経って、それからはじめて『ええっ?』と声を上げた。ピット婦人は穏やかに続ける。
「異星人の復活と同じ頃に、人間の受精卵に異星人の遺伝子を組み込むという実験が行われていました……」
「それがあの二人だと?」
老女は柔和に笑った。彼女にとっては血筋や血統というものはあまり重きをなしていないのに違いない。
「受精卵の一つの提供者はアントニオぼっちゃんと、その奥様キョウコ様のものでした。もう一つはトマス・オークランドとその奥様マデリーン様のもの」
老婦人は続ける。
「そうして作られたのがあの二人なのですよ。と、言っても、あの子達には人間よりも優れたところもなければ劣ったところもありませんけどねえ」
老婦人は努力をして結局当たり前の方法で作った子供と同じものしか作れない科学のことを笑っているようでもある。
「そうだったのですが……」